Kiss in the Moonlight

 Story=19-----04
「あかね殿、入るよ」
もうかれこれ、一時間ほど過ぎていた。
さすがに小さな藤姫の手でも、オイルは塗り終えているだろう。
そう思い、友雅はシェードを開けて幌に乗り込もうとした。
-----しかし。

「ま、待って下さい!ちょっと待ってえっ!!」
慌てふためいた声が中から聞こえて、即座に友雅は手を止めた。
この様子は…まさか、まだ終わっていないのか?もう随分と時間は経つのに。
「もしかして、まだ塗っている途中なのかい?」
「も、もう少しですわっ!もう少しお待ち下さいませっ!」
あかね以上に取り乱した藤姫の声がする。
小刻みな音がするのは、彼女の透き通った羽根が頻繁に羽ばたいているせいか。

「ふ、藤姫ちゃん、もう大丈夫じゃない?」
「ちょ、ちょっとお待ち下さいませっ!あ、あのっ…そこがまだ…」
「えっ?ここは…別に良いんじゃない?見えないし…」
「いいえっ!ダ、ダメですわっ!塗り残しは絶対にいけませんっ!」
幌の外で友雅は、そんな騒々しいやりとりに耳を澄ます。
藤姫殿が頑張っているのは分かるけれど、これじゃいつまで経っても終わらないんじゃないかな…。
明日のために、出来る限り睡眠時間も取らなければならないし。
それには、早くオイルを塗り終えることなのだが。

ザッと近くで足音がして、人影が辺りを暗くする。
顔を上げるとそこにいたのは、泰明だった。
「何をしている。明日からはこれまで以上に体力勝負だぞ。早く中で休め。」
「いや、そうしたいのだけれどもねえ…」
友雅は気まずそうに頭を掻きながら、この状況を彼に説明した。
自分としては一向に構わないのだけれど、中の彼女がこんな状態では、ここで立ち往生しているしかないだろう。

「面倒だな。おまえが手伝ってやれ。」
「…何だって?」
「ぐずぐず時間を費やしていても無駄なだけだ。背中くらい、おまえが塗ってやれるだろう。」
それはそうだが、本気か?
彼女の素肌に触れなくてはならないのに、それを分かっていて言うのか?
「さっさとやれ。これ以上遅くなれば疲労が取れぬ。」
半ば強制的な態度で、泰明は友雅の背中を押す。
果たしてどうしたものか…と足が進まなかったのだが、後ろから圧力も掛けられていることだし。
このままじっとしてはいられないか…。

「…悪いけれど、中に上がらせて貰うよ」
「え、えええっ!?」
仕方なく友雅は、シェードに再び手を掛けた。
「もし、肌を晒しているのなら、すぐに何か毛布でも纏っておくれ。」
そう言って、ほんの少し時間を置いてから、ゆっくりと彼はシェードをめくった。
中にいたのは、毛布にくるまったあかねと…その肩に乗ってじっとこっちを見ている藤姫。
友雅は構わずに中へと進み、彼女の隣へ腰を下ろした。

「後ろを向いて、背中を出してごらん。」
「ええっ!?そ、そんなこと…っ!!」
ぎゅっとあかねは、自分の身体を強く抱き込む。
毛布の下は、上半身何も着ていないのに、その背中を彼に見せろと!?
「友雅殿っ!!そういうことは結構ですと、申し上げましたでしょうっ!!」
キッと眉を吊り上げて、藤姫がまたバタバタと羽根を振り回す。
けれど、友雅は長い指先をスッと伸ばして、藤姫の額を軽くちょん、と突いた。
「藤姫殿の一生懸命さは有り難いけれど、あまり時間が掛かっては睡眠時間が短くなる。寝不足であの山を登るなんて、あかね殿に負担を掛けるだけだよ。」
「……っ。」
痛いところを突かれた、という表情で、それまで血気盛んだった藤姫が大人しくなった。

「さ、あかね殿。続きは私が塗ってあげるから、背中を出してごらん」
「でもっ…」
ちらっとあかねは藤姫の顔を見る。
だが、彼女も今回は何も言わないままで、そこにじっと座っているだけ。
「早くしないと、眠る時間が少なくなるよ。」
友雅が言葉で追い立てる。

どうしよう…。
でも、このままじゃいけないし、背中は狙われやすいから念入りにって、さっきも言っていたし…。
「変な気は起こさないから。早く後ろを向いて。」
蓋の開いたボトルを手にして、友雅はあかねの動きを待っている。
し、仕方ない…のかな。
恥ずかしいけど…っ、しょ、しょうがないんだよねっ…。
あかねは思い切ってくるっと後ろを向き、何も言わずに毛布をするりと落とした。

薄暗い幌の中、白い肌が浮き上がる。
小さな両肩から細い腕がすっと伸びて…それを目で追ってゆくと、くびれた細い腰のラインに到達する。
かざりっけのない、まっさらな肌。
彼女の素直さがそのまま映し出されているような、艶やかで滑らかな桜色の肌。
その眩しい色合いに目を奪われ、同時に身体の曲線を見ると、否応にも"女"を意識してしまう。
……目に毒だな。
いや、心にも毒だ、こんなシチュエーション。
心を奪われた女性が、後ろ姿とはいえ素肌を晒しているなんて…男には拷問だ。

「友雅殿っ!早く済ませて下さいませ!」
ぷんっ、と苛つくような藤姫の声が、友雅の意識を目覚めさせた。
黒いボトルからたっぷりオイルを垂らし、両方の手のひらでしっかりと伸ばして…友雅は、あかねの肩に手を乗せた。
「…くんっ…」
過剰なくらいに、彼女の肩が強く震える。
肌を友雅の手が撫でるたびに、びくびくして。
その上、息を呑み込むような声が甘く響いて……乱れ始める男の本能。

抱きしめたい。今すぐにでも後ろから抱きすくめて……。
出来ることなら、明日のことなんて忘れて。
もしも、"私には命の危険が少なからずある"と打ち明けたなら、君は情けを掛けてくれるだろうか。
私に思いを遂げさせてくれる?
恋人として、抱きしめることを許してくれる?
いつ、命を失うか分からない運命を背負っていると、教えたら……。
手のひらが彼女の肌の上を滑り、暖かなぬくもりを感じながら、そんなことを思い巡らせる。

「はい、おしまい。服を着るまで後ろを向いているから、終わったら教えてね。」
腰まですり落ちた毛布を引き上げ、あかねの肩に掛けてやったあと、友雅はくるりと後ろを向いた。
背後でごそごそという物音と、藤姫とあかねのやりとりが聞こえてくる。

…言えるわけがないよね、そんなこと。
そんなことを伝えてしまったら、いろんな意味で君は不安に駆られるだろう。
私のことを本気で心配して、泣いてしまうかもしれない。
それか、警戒されるか。
……出来ないじゃないか、そんな君を見ることになるなら。

「と、友雅さん…、終わりましたっ…」
振り返るとあかねは、いつものブラウンカラーのワンピースを着ている。
少し恥ずかしそうな顔をしているが、あとは普通と変わらない。
「それじゃあ、頑張って寝ようか。」
友雅はあかねを引き寄せ腕に抱き、包むように毛布を掛けてやった。
見上げる彼女に、今夜はこちらからおやすみのキスを落とした。

「…おやすみ。明日からは、二人で一緒に頑張ろうね。」
「……はい。おやすみなさ…い。」
握りしめられた手を、ぎゅっと強く握り返した。
これが彼女を落ち着かせられるなら、ずっと手を繋いで握っていてやりたい。
例え、想いが伝わらなくても。



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Megumi,Ka

suga