Kiss in the Moonlight

 Story=19-----03
緊張感に包まれているためか、その夜は誰もがなかなか寝付けなかった。
焚火の回りで、どうでも良い雑談で気を紛らわしたり。
泰明や鷹通などは、今後のことについて真剣に話し合ったり。
随分と夜が更けてきたのに、幌に入って眠るものは殆どいなかった。

しかし、友雅とあかねに関しては別だ。
他の者たちは、明日からしばらくここで待機するだけだが、彼ら二人は山の頂上へと歩いて行かねばならない。
整備されている道でも、徒歩で昇るにはそれなりの体力を温存しなくては。
「お二人はもう、お休みになられて下さい。」
「ああ、そうだね…。」
実際、友雅も眠気は殆どないのだが、明日の事を考えれば仕方がない。
取り敢えず横になって、身体を休めることにするか。
そう思い立ち上がった時、永泉が彼を呼び止めた。
「友雅殿、オイルを今のうちに塗られておいた方が、良いと思いますよ。」
さっきのオイルというと、あの魔よけのオイルか。
「全身ではなくても良いが、上半身…特に背中はしっかりと擦り込んでおけ。」
七合目から外に出た時、宙を飛ぶ鳥類の獣がいるかもしれない。
彼らは、背後から相手を狙う習性がある。
もしも背中にオイルを塗っていなければ、後ろから心臓までくちばしがひと突き…となることも有り得る。
「そうか。じゃああかね殿にも、その旨を伝えてくるよ。」
彼女は既に幌の中で眠っているはずだが、少しだけ起きてもらうとしよう。


「…あかね殿?」
そっと幌に掛かるシェードを開けると、奥でもそもそと動く塊が見えた。
「もしかして、まだ起きていたのかい?」
「……なかなか寝られなくて」
確かに、それもそうだな。一番緊張するのは、張本人である彼女だ。
自分の未来を決める儀式に挑むのだから、落ち着いていられるはずがない。

「実は私もなんだけど、寝ろってみんなが五月蝿いのでね。」
幌の中に上がると、ゆっくりあかねが身体を起こす。
その後ろから藤姫が顔を出した。おそらく彼女の話し相手をしていたのだろう。
「ま、お互い何とか頑張って、眠れるように努力しよう。出発前夜に、くどくどお小言を言われちゃ困るしね?」
友雅の手が、あかねの髪を優しく撫でた。
子どもをあやすように、静かにそっと。
彼女の緊張を、少しでも良いから和らげられるように…と願いながら。

「ああ、でもその前に泰明殿から言われたんだ。さっきのオイルを、身体に塗っておくようにって。」
「オイルですか?」
黒い小瓶は、あかねの枕元に置かれている。
ちょっとだけ蓋を開けて、匂いを嗅いだけれど、まだ手は一切着けていない。

「良かったら、手伝ってあげようか」
「えっ!?」
急に彼がそんなことを言い出したので、あかねと藤姫はびっくりして友雅を見た。
「背後を狙われないよう、背中は念入りにと言われたしね。でも、背中は自分ひとりじゃフォロー出来ないだろう?」
「で、でも、そのっ…」
友雅の言うことはもっともだけど…。
でも、背中にオイルを塗ってもらうということは、つまり彼の前で服を脱がなきゃいけないわけで…。
背中を向けると言っても、衣類は一切取り払わなきゃ、オイルは塗れない。
けど、自分で手が届く範囲は限られているし……どうしよう!?
「君が許してくれるなら、背中に限らず前面の方も、喜んでお手伝いするけど?」
って、そんな台詞まで付け加えるから、更に動揺してしまう。

「わ、私がお手伝いしますわっ!!」
あかねと友雅の間に、ひゅっと藤姫が割り込むように入って来た。
「友雅殿のお手を借りなくても、平気ですわっ!!」
この小さな妖精が、彼女の背中にオイルを塗ってやるのだ、と気合い充分に言う。
「私の方が手が大きいし、短時間で終わると思うけどねえ…」
「そんなことありませんわっ!!私の方が小さい分、細かいところまで行き届きますものっ!」
人形のように愛らしい姿をしているのに、友雅に対してはまるでケンカ腰。
絶対に譲るもんか!と、強い意思表示をしながら、バタバタ羽根をはばたかせる。

「あ、あの…友雅さん、取り敢えず藤姫ちゃんにお願いしますんでー…」
睨み合い(と言っても、一方的に藤姫が睨んでいるだけだが)をしている二人に、あかねが気まずそうに口を挟んだ。
やはり、彼の前で肌を晒すのは…気が引けるし、心情的にも困るし。
藤姫に任せるのは大変そうだが、女同士の方が気が楽だ。
「残念だな。やる気満々だったのに。」
「結構ですわっ!殿方が女性の肌に触れるなんてっ、お仕事でも不埒ですっ!」
不埒ねえ…。そこまで言われるとは。
よこしまな気持ちがない、とは言わないけれども。

「じゃ、終わるまで私は外で待っているから、早めに済ませておくれ。」
これ以上留まっていても、罵声を浴びせられるだけだ。
大人しく引き下がって、彼女の用事が済むまで外で待つことにしようと、友雅は幌から降りて皆のいる場所へと戻った。



「友雅さん、終わりましたよ」
背後から詩紋の声がして、彼の手が背中をぽんぽんと叩いた。
「すまなかったね、詩紋。手伝わせてしまって。」
「いいえ、これくらい全然平気です」
彼にオイルを塗ってもらったあと、友雅はシャツを羽織って袖を通した。
確かに豊富な材料を使っているらしく、かなり強い香りがするオイルだが、悪い匂いではない。

「それにしても、おまえって結構…ガタイ良いんだな…」
ぼーっと詩紋の手伝い風景を、一部始終見ていた天真が言う。
お世辞にも筋肉隆々とまでは行かないが、腕は割と太いし筋肉も付いている。
肩幅もあるし、胸板も厚いし…思っていた以上に引き締まった身体だ。
「そういう言葉は、出来れば女性に言われたいものだね」
友雅は笑いながら、さらっと返す。
どうせ彼のことだから、何人もの女性からそんな賛辞を貰っただろう。
同じ男として悔しいけれど、言い返せない現実があるだけに、それがまた悔しい。

「あかね殿を護らなきゃいけないんだから、身体は鍛えておかないとね。」
熱心なトレーニングはしていないが、必要不可欠な訓練だけは欠かしていない。
それもこれも、みんな彼女のためだ。
「あかねの前では言わずにいたが----友雅、おまえの安全は保証出来ない。それだけは肝に銘じておけ。」
静まり返る中で、火が燃える音だけが聞こえる。
友雅はその場に置かれていた、バスタードソードを手に取った。
イノリがさっきから、丁寧に手入れをしてくれていて、鋭角な刃先は虹を放つ。

「……自分の役目は分かってるよ。命に代えてでも、無事に彼女を頂上まで連れて行くさ。」
鞘に納まったソードが、鋭い金属音を響かせる。
目の前にそびえたつ神の山は、黙ってこちらを睨んでいるようにも見えた。



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Megumi,Ka

suga