Kiss in the Moonlight

 Story=19-----02
馬車を停めて降り立ったそこは、何もない広いだけの野原だった。
ユニコーンたちが棲んでいたあの場所より、ずっと広大な世界が広がっている。
しかし不思議なことに、辺りには木々が一切ない。
ただ、地面を覆う草が茂っているだけの草原。
既に時間はとっぷりと暮れて、夜が訪れている。
けれども障害物がない草原には、満月の明かりが辺り一面を照らしていた。

--------ここが、龍晄山の麓である。
無音、無風、寒くもなければ暖かくもない。
不気味というよりは、まっさらな空間という感じの…不思議な異空間に思える。
「やっと、着いたのか…」
天真は遙か空の上を見上げた。
真っ白な山肌は雪ではなく、元々白い石や岩の層で出来ているからだ。
白銀に輝く、龍の棲む山。
目の前の何もかもが、聖なる力を発している。


火を焚こうと思ったが、焼べるものが全く見当たらない。
イノリたちがそこらの草を、ありったけむしっ来たが、たかが知れている量だ。
仕方なく予備の毛布や紙くずを丸めて、あとは薬品調合に使う油を使い、火を長く保てるように工夫した。
「最後の晩餐って感じだな」
「んな、縁起でもない言い方すんなよ〜、天真」
天真のつぶやきに、イノリが苦笑いする。
並ぶものは普段と変わらない、パンや肉、簡単なスープに葡萄ジュースとワイン。
だが、明日になれば山に向かって…早ければ、そこでこの旅が終わる。
「ともかく、問題なく儀式が終わるよう祈りましょう。」
パチパチ…と燃える炎が、永泉の輪郭を照らした。

「では、明日の行程について説明しよう。」
食事もそこそこに、泰明は鷹通に書類を渡すように、と手を伸ばした。
ワインレッドの革カバーが着いたファイル。
中を開くと、数十枚の文書が閉じられていた。
傷みから見て、かなりの年代物だろう。
「現上級巫女から預かった、代々伝えられている儀式に関する文書だ。」
何度かは書き直しや書き写しはされているはずだが、それを取っても随分古い装丁である。
泰明は丁寧に一枚一枚をめくり、中に書かれている内容を簡潔に読み上げて行く。

「龍晄山には、馬車で行く事は出来ん。頂上まで徒歩で登ることになる。」
「はあ?徒歩って……」
天真は背後を振り返る。
そびえ立つ山はどっしり構えていて、雲が頂上を隠しているほど。
あれを徒歩で登るなんて、一体何日掛かるか想像も出来ない。
これが最後の苦行というものか?と考えていると、泰明は落ち着いた口調で天真に言った。
「心配はいらん。洞穴に入れば、あとは階段を登って行くだけだ。」
山の内部は空洞になっていて、長く続く吹き抜け状の階段が作られている。
外を歩けば、空を飛ぶ獣に教われる可能性もあるし、天候が不順ならば崖崩れなどの危険もある。
それらを回避するため、移動方法として山の内側に階段が作られていると言う。
「へえ、よく出来てんのなー」
「長い間、何人もの尊き女性が山を登って行ったんだ。出来るだけ身体に負担を掛けないよう、工夫され続けて来たんだろう。」
王宮に勤める者として、噂程度には聞いたりしていたが、まさか自分がここを訪れることになろうとは。
今でも妙な気分だな…と、友雅は思う。

「だが、我々が頂上に向かう必要はない。」
-----------え?
全員、泰明の言葉が飲み込めなかった。
天に仕える龍の居場所は、龍胱山の頂上だ。そこに行かなければ龍と対面出来ないし、それでは儀式が成り立たない。
頂上に行かずに、どうするというのだ……?

すると泰明の目が、真っ直ぐに友雅たちを見た。
「山門から頂上まで行けるのは、おまえたち二人だけだ。」
………何だって?
びっくりしたように、二人は互いの顔を見合う。
同時に、そこにいた他の者たちも、驚いた顔で泰明の方を見た。
「私たちだけで、頂上へ歩いて行けと?」
「龍の棲む場所には、選ばれた者しか踏み込めない。」
泰明や頼久たちも、同じように天啓の元に選ばれた者たちである。
だが、あかねは別として…友雅は彼らとは一線置く立場として選ばれた者だ。
彼女を探し出し、第一に護るために選ばれた、たった一人。あかねと同じくらいに、特別な任を背負っている。
そして、彼女と共に聖域へ踏み込むことを許されている。

再び泰明が、広げられた山の全体図を指差す。
「階段があるのは、七合目までだ。その先に山門があるが、そこから先は山の表面にある階段を登って行く。」
「……厳しいですね。標高の高い場所ですと、気圧の関係もありますし…体調不良も懸念されそうですが」
男ならばそれなりに身体を鍛えているし、友雅も側近であるが故、その辺りは予測済みだろう。
だがあかねは…果たしてどうだろうか。
「それについては回避方法がある。心配しなくても良い。」
そう言って革袋の中から、泰明が黒い小瓶を二つ、あかねたちに手渡した。
手のひらに乗るほどの小さなものだが、振ってみると意外に内容量が重い。
「このオイルは強力な万能薬だ。これを身体に濡れば、高山病も獣からの襲撃も完全に回避可能だ。」
山道を抜けるまでの間に塗ったものより、濃厚で効果の高いオイル。
二人のために、泰明と永泉が旅立つ前から用意していたものだった。

「…道は危険じゃないのかい?中はどうあれ、七合目以上は本当の山道だろう?」
「道は整備されていると聞く。心配せんでも良い。」
そうは言われても…最後の最後に二人だけなんて。
もしもの事態が起こったとき、どうすれば良いだろうか。さすがの友雅も暢気に構えていられなくなった。

更に、そのあとの泰明の言葉が、またも皆の不安を募らせる。
「必要なものは簡単な食料と水…それと、友雅は武器を持って行け。」
武器という言葉を聞いて、びくっとしたのはあかねだった。
彼女の変化に、すぐに友雅が泰明にまた尋ね返す。
「待ってくれ。今、オイルを使えば危険はないと言っただろう?だったら、武器など必要ないんじゃないか?」
「もしもの時に備えて、だ。別に、戦うための利用に限らんだろう。」
まあ、刃物は何かを切ったり削ったり。用途は色々とあるものだ。
しかし彼の言うとおり、"もしも"という可能性もゼロ…とは言えないわけか。

「……武器は、どんなものが良いのかな」
「おまえの使いやすいもので構わん。出来れば、大振りなものは避けた方が良いだろうが。」
と言うと、この間使ったバスタードソードが適当か。
さほど重くもないから扱いやすいし、持ち歩きにも邪魔ではないし。
頼久がすぐに悟り、馬車の中にある武器庫からソードを持って来た。
黒光りした、細身だけれど重心のしっかりした剣。
改めて友雅は、それを強く握りしめる。

「我々はおまえたちが儀式を終え、下山するまでここで待機している。くれぐれも、油断はするな。」
「分かってるよ。この時のために旅をしてきたのだからね。」
あかねを護り続け、無事に上級巫女として天啓を貰うこと。
それは彼女だけの目的ではなく、友雅の目的でもある。



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Megumi,Ka

suga