Kiss in the Moonlight

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途中何度か休憩を入れながら、馬車は黙々と目的地へと進む。
昇ったばかりだと思っていた朝日も、やがて頭上の真ん中へと移動してゆき、ゆっくりと西に傾いてゆく。
地平線に近付くにつれ、明るさは影を潜め始める。
こんな荒い山道で、二回も夜を迎えるのはさすがにキツイ。

少し足を速めた方が良いだろうか、と頼久と天真が相談していた時、幌の中から泰明が出てきた。
「あと2時間ほどで、聖域と呼ばれる地域に踏み込むはずだ。」
「え、もうそんなとこまで来てたのか?」
天真たちには分からないが、泰明や永泉のような者には神気が感じられる。
ぴりぴりと、それでいて眩しい何かが、そこまで近付いているのだと言う。
「その領域へ入ってしまえば、あとは心配することはない。もうしばらく頼む。」
「承知致しました。では、足場を注意しながらも、今より速度を少し速めて進むことにします。」
頼久は手綱を引き、改めて前を向いた。
遠くにうっすらと見える、山の輪郭。頂上付近は、雲に覆われて見えない。
あの場所が……終着点。
すべてのゴールが、目の前にそびえ立つ。



空の色が、黒みを帯びてくる。
オレンジ色の太陽が空を染め上げ、いよいよ夕暮れが本格的に始まった。
「やべえなあ。これ以上遅くなっちまったら、夜道を歩くことになっちまう。」
少し焦り気味に、天真が言った。
「もうちょっと急いだ方が良いもんかな?」
「それはそうだが…足場の悪い山道では、早足にするのは危険だろう。」
だが、夜道は更に危険でもある。
あと少々の距離なら、やはり急いだ方が良いのだろうか…と、頼久も迷っていた。

「あの…頼久さん、天真くん」
今回幌から顔を出してきたのは、あかねと友雅だった。
「この道を真っ直ぐ行って、右に降りたら…川が流れてるんです。そこに行って下さい。」
「下に降りるのか?危なくないのかよ」
「大丈夫。その川は、山から流れてきているんだよ。」
山に降った雨水が、川となって降りてくる。
その大地を通過するため、山の神気がその川には流れ込んでいるのだ、と泰明が言っていたらしい。
「川の付近は少なからず神気が漂っている。だから、川沿いを伝っていけば神気に触れたままで、聖域に行けるから安全なんじゃないか、ってことだよ。」
「そっか。じゃあ、そうするか。」
危険は出来るだけ少ない方が良い。
あと少しで目的地なのだから、ここで無茶することは絶対に避けたいのだ。


泰明の言うとおりに道を下りてゆくと、確かにそこには川が流れていた。
山へと続く道だというのに、川辺は意外となだらか。
あかねたちの小さな馬車くらいだと、楽に通れそうな道だった。
「何か、ちょっと空気が変わったような気が…しません?」
最初に言いだしたのは、あかねだった。
木漏れ日のように柔らかい、そしてほのかに暖かな空気が肌を包むような…そんな気配がしているような。
最初は半信半疑だったイノリや詩紋たちも、徐々にその変化に気付き始めた。
確かに何か、この辺りに来てから空気が変わっている。
「不思議だね…。何だか、ホッとする感じがしない?」
「んー…。別に暑くも寒くもないのにな…。何だろ、この感覚って。」
敢えて言葉にするなら、"安心感"というものか。

「神気のせいですよ。」
詩紋が作ったサンドイッチを食べながら、永泉が穏やかな表情でそう答えた。
「普通は気付かないかもしれませんが、ここにはあかね殿がいらっしゃいますから。一緒にいる私たちにも、その神気が伝わってくるのです。」
「へえ、そんなもんなのか」
感心しながら、イノリはあかねの方を見る。
上級巫女というものは、かなり特殊な存在だと聞いてはいたが…目に見えぬところにいろいろな力が働いているのだな、と思い知らされる。
「あかねちゃん、もうすぐゴールだからね、頑張ってね!」
「あ、うん…ありがとう」
詩紋から励まされて、あかねは少し恐縮していた。
だが、詩紋だけではなく次々と、彼女を応援する言葉が続く。
「三年間、よく頑張られましたね。」
と鷹通が言えば、次は永泉。
「あなたの努力は、本当にご立派でした。天もご満足しておられますよ。」
「あと少し、最後の踏ん張りを頑張れよ!」
最後にイノリが、拳を握りしめて力いっぱい言った。

「困るよ、皆が口を揃えてそんな風に言ったら、あかね殿が逆に緊張してしまうだろう?」
友雅の手が、背中に伸びてきた。
あかねの身体を抱き寄せるようにして、顔は笑顔のまま鷹通たちを軽く窘める。
「一番大切な時なんだからね。もっと気楽に行動出来るよう、普通通りにしてあげてくれないか?」
「あ、ああ…そうですね、すみませんでした。」
鷹通はすぐにさっきの発言を詫びた。
友雅の言うとおりだ。最後の重要な儀式を前に、過剰な期待を背負わせるのは、逆にプレッシャーとなってしまう。
あまり余計な特別視はせず、すんなりと進められるように。
それだけで良いのだ。

小瓶の葡萄酒を、あかねは友雅のグラスに注いでいる。
彼の腕に背中を護られるようにして、和やかに会話を愉しんでいる。
さっきの緊張した表情など、もうどこにもない。

鷹通は思った。
…やはり友雅殿は、私たちに分からないほど細かい部分まで、あかね殿を理解されているのですね。
常に誰よりもそばにいて、彼女を護る彼のことだ。
担った任務に加え、個人的に抱いているその気持ちが、彼女を繊細に護り続けているのだろう。
例えその想いが、成就するかどうかの確信は…どこにもなくても。



「あかね、着いたぞ。」
泰明の突然の一言に、幌の中が水を打ったように静まりかえった。
外にいる二人には聞こえていないため、馬車は変わりなく進み続けている。
「龍胱山のエリアに入った。ここから先は、我々は完全に護られる。危険が伴うことはない。安心しろ。」
そう言われて、ほうっ…と、誰もが安堵感を漏らした。
幾度か獣に襲われた山道だったが、もうそんな心配はしなくて良い。
今後はさほど警戒しなくとも、神気がバリヤーとなって全員を守ってくれる。

だが、危険はなくなったとは言えど、緊迫感はまだまだ彼らの胸に残っている。
問題は龍胱山に着き、そこで行う儀式。それこそがこの旅の目的なのだ。
三年余り前、あかねは時期上級巫女となるために王宮に召された。
その間、あらゆることを学び、成長し……いよいよ彼女が上級巫女になる、その時がやって来たのだ。

「川沿いを抜けた後、適当な場所で一旦小休止を取る。そこで改めて、今後についての話し合いをすべきだ。」
泰明たちが真剣に話している間、友雅はずっとあかねの肩を支えている。
重大な儀式が目の前に迫って、身体が少しこわばっている。
けれど彼がそばにいてくれるおかげで、ほんの少しだけあかねは安心感を抱くことが出来た。



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Megumi,Ka

suga