Kiss in the Moonlight

 Story=18-----04
昨夜歩いていた道を、また同じような時間に歩いている。
しかし、今回は一方通行で後戻りなし。
町に帰ることはなく、ただひたすらに前を目指す道程。
「小さい馬車で良かったな。普通の大きさの馬車だったら、多分ここを通り抜け出来なかったぜ。」
ようやく岩と岩の間を潜り抜け、ほうっと安心した溜息のあと、天真がこぼした。
険しい道とは言っていたが、その言葉は嘘ではない。
大小の岩があちこちに転がっているし、崖が崩れた部分も多所で見受けられる。
「まあ、足場を確認しながら、慎重に進むしかないね。」
と友雅は言うが、これじゃ近道とは言っても時間が掛かりそうだ。
船を使って水路を進むよりは、まだ短時間だろうけれど。

少し開けた場所に着き、一旦そこで小休止を取ることになった。
そのタイミングを見計らい、泰明が薬液の入った小瓶を永泉に手渡すと、それらは皆の手に配られて行く。
「そろそろ出掛けに使った薬の効力が、弱まって来る頃だ。各自、身体に馴染ませておけ。」
身体だけではなく、貴重品や荷物にもそれらを振り掛ける。
獣が匂いを嗅ぎ付けて、近寄ってくることをも避けるためだ。

蓋を開けて手のひらに延ばす。
濃緑のとろりとした液体は、少しつんとした感じもあるが、比較的爽やかな香り。
髪や手足、首筋や腕など…。小さな藤姫の羽根や髪にも、あかねが指先でそっと塗ってやる。
「このペースだと、早くても向こうに着くのは明日の夜だな」
大きな地図を広げて、天真と鷹通が現在地と目的地を差し測っている。
今は丁度、三分の一を越えたくらい。
ここで朝まで休むのも有りだが、獣が出没する土地で野宿など危険だ。
ゆっくりと一晩中かけて進み、早めに龍胱山のエリアに到達した方が良い。
そうすれば、山から溢れる神気が自分たちを包み込んで、外界からのあらゆるものから護ってくれるはず。
「先を急ぐぞ。皆、馬車に戻れ。」
泰明の声に従い、全員は再び車の中へと戻った。



いつもよりも進みが緩やかなせいか、その静かな震動に心地良さを感じて、殆どの者がすぐに寝息を立て始めた。
イノリと詩紋は毛布にくるまり、仲良く肩をくっつけて熟睡。
永泉はその隣で、安らかな顔をして横になっている。
鷹通と泰明は身体を起こしたまま、幌に寄りかかり目を閉じている。
そして友雅は…まったく眠れずにいるあかねの隣で、彼女の背中を包むように抱いている。

「昼間にぐっすり寝ちゃったから、全然眠気がないんですよね…」
「まだ道中は長いんだよ。無理してでも、少し眠った方が良いと思うんだけど。」
彼の言う事はもっともだし、自分でもそうしたいのはやまやま。
けれど、身体も意識も冴えている以上、思った通りには行かないものなのだ。
「だったら、横になって目を閉じていると良い。それだけでも、疲れが取れて楽になるんだよ。」
友雅は少し身体をずらして、空いた場所に毛布を敷いた。
男には手狭だけれど、あかねが眠るのには十分なスペースである。

「友雅さんは寝ないんですか?」
「私もまだ眠気がなくてね。でも、外の頼久たちが疲れるかもしれないし、いざという時の交代要員として寝ないでおくよ。」
馬車は頼久と天真が交替で引いている。
が、何があるか分からないのが、旅というもの。
一人くらい予備がいても、まったく問題はない。


「……ねえ、友雅さん…?」
毛布に身体を包んで横になったあかねが、小さな声で友雅の名前を呼んだ。
「何だい?」
「んと…あの…この馬車が着いたら、いよいよ龍胱山なんですよね?」
「そうだよ。私たちの…いや、君の最終地点だ。」
旅の目的は、彼女を龍胱山に連れてゆくこと。
そこに棲む龍から、上級巫女となる許可を得ること。
「それが終わったら王宮に戻って……」
「君は、念願の上級巫女となるんだよ。」
と、友雅は穏やかに微笑みながら言った。

念願の上級巫女か。
念願…だったのかな?目指していた目標ではあったけれど…。
三年間、十分に頑張ったつもりだったけど、本当に上級巫女として必要なこと、全部理解出来たのかな?
「私、ちゃんと立派な上級巫女になれると思います…?」
いよいよ最後の審判が近付いてくるにつれ、不安や戸惑いがいくつも浮かんできて、つい友雅に尋ねてしまった。

すると彼の手が、あかねの頬に伸びてきた。
「なれるよ。歴代の上級巫女に負けず劣らない、素晴らしい上級巫女になれるよ、間違いなく。」
友雅の手は、優しく頬を撫でてくれる。
まだ王宮に召されたばかりの頃にも、こうやって眠りに着くときに、よく頬を撫でてくれた。
その手のぬくもりが触れていると、不思議と緊張感もほぐれて、心が柔らかく安まって。
安堵感に満ち溢れながら、良い眠りに着くことが出来たっけ…。

「ふふっ…やっぱり眠くなったかい?」
あかねは少しまぶたが重いようで、まばたきの時間が随分ゆっくりになっている。
「友雅さんにほっぺた撫でてもらってると…何かホッとして眠くなっちゃうんです、私。」
小さな笑い声を立てたあかねは、頬に触れている友雅の手にそっと手を重ねた。

「離さないでいてくれますか?」
うっすらと細く開けた瞳が、友雅を捕らえた。
「もうちょっとで寝られそうです。だから…それまで、ほっぺた撫でていてくれますか?」
「良いよ。その前に、おやすみのキスの方が先だけど。」
静かに腰を上げた友雅は、右手であかねの頬を撫でながら、彼女の上に乗り掛かるように影を落とす。
ゆっくりと唇を下ろし、いつものように彼女の唇を一度だけ味わってから、身体をどかした。
「それじゃ、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」
あかねのまぶたは、幕が下りるようにそっと閉じられる。
それでも友雅が頬を撫でていると、たまに嬉しそうな顔をしたりした。
そんな反応が消えたのは、およそ5分ほどが過ぎた頃。
手のひらを頬からそうっと離したが、もう彼女は何も言わなかった。


寝息だけが聞こえる幌の中。
コツ、コツ、と馬が山道を進んでゆく音と、かすかな車の揺れ。
その中で友雅は、自分の手のひらを眺めてから、あかねの寝顔に目を移す。

一瞬、どきっとしてしまったじゃないか。
君があんなことを言うから。
そんなつもりで言ったわけではないのに、少し動揺してしまった。
でも、すぐにそれは自分の勘違いだと分かって、苦笑いしか浮かばなかった。

"離さないでいてくれますか?"………か。
私の方こそ、離したくないよ。
手のひらで触れる君の頬ではなくて……君自身を離さずにいられたなら、どんなに良いか。
だけどおそらく君は、そんな私の思い違いに気付いていないんだろう。
あどけない無邪気な寝顔で、眠りに着いて。

最後が近付いてくるにつれて、どんどん気持ちの強さに自覚せざるを得なくなる。
君の夢を叶えてあげることは出来ても……自分の夢は、どうなることやら、だ…。



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Megumi,Ka

suga