Kiss in the Moonlight

 Story=18-----02
「友雅殿、まだ休まれていなかったのですか?」
鷹通がドアを開けて部屋に入ると、友雅は窓辺にゆるく腰掛けて、外を眺めているようだった。
レースのカーテンの間から、朝の日差しがすり抜けてくる。
同時に少し開いている窓からの風に、ふわりとカーテンの裾が膨らんでは揺れる。
「どうも、まだ寝付ける感じじゃなくてね。」
「昨夜は随分とお疲れだったでしょうに。横になれば、すぐに眠れますよ。」
針葉樹色のマントを脱いで、鷹通はそれをクローゼットにしまった。

カチャカチャと、ガラスが接触する音が聞こえる。
目を遣ると鷹通がサイドボードを開き、中から取り出した葡萄酒をグラスに注いでいた。
「友雅殿も、召し上がりますか?」
「ああ、少しもらおうかな。」
この町の葡萄酒はやや甘めで、正直言うともう少し辛口の方が好みなのだが、寝酒にはこれくらいが丁度良いか。
二つの小さなグラスに、それぞれ半分ほどの分量。
窓辺へやって来た鷹通は、そのひとつを友雅に手渡した。

「何か気に掛かることでも、お有りですか。」
酸味と甘みの強い葡萄酒を一口啜り、鷹通は椅子に腰掛ける。
友雅もグラスを自分の口へと持ってはいくが、ほんの少しだけ舐めただけ。
「彼女の方は天真たちが着いていますし、泰明殿も王宮と連絡を取っております。町の方々も落ち着きましたから、それほど気にすることはございませんよ。」
「そうか、それは何よりだ。」
鷹通からそう聞かされると、もう一度友雅は葡萄酒を口に含む。
しかし今度も、軽く一口だ。
グラスには、まだ葡萄酒が残っている。
彼は手の中にあるそれを、少し揺らしながら眺めている。

「…もしかして、あかね殿のことで…何か気になることでも?」
「いや?特に何もないよ。」
「ですが、あなたが気に留めることと言ったら、あの方に関することだけではありませんか。」
友雅の洞察力には敵わないが、彼とは随分長い付き合いになる。
近くにいれば、尚更に微妙な変化にも気付くというものだ。

「本当に、何でもないんだよ。ただ…あかね殿も随分と、上級巫女らしくなったな、と思ってね。」
窓の下に広がる町は、今朝方の喧噪も殆ど落ち着いて、いつもの活気ある空気に戻りつつある。
だが友雅はそこから目を逸らす。
代わりに眩しいくらい明るい青空を仰いで、けれどすぐに目を閉じた。

「彼女を見つけた時は、まだまだ可愛い女の子でね。本当に、どこにでもいるような子だった。」
そう言うと、あまり聞こえは良くないかもしれないが、初めて会った彼女は平凡な普通の女の子で。
上級巫女の資質というような、神々しさなど欠片もなかった。
ただ、今まで会った多くの女性からは感じられない、心地良い惹かれる感触があったのは事実。
直感で、"この子が次期に上級巫女になるのだ"と、確信出来た瞬間だった。

「……昨日のあかね殿を見て、君は何か感じなかったかい?」
急にそんな返し方をされて、鷹通は少し驚いた。
しかし生粋の真面目な性格であるから、言われた通りに昨夜の記憶を思い起こす。
その最中で、また友雅が言葉を挟んで来た。
「シリンに対しての発言とか、聞いていてどんな風に感じた?」
「どんな…と言われましても。最初は急なことで驚きましたが、ご立派な態度だと思いましたが。」
あくまでも彼女は敵であり、あかね自身を利用してまで、自分の目的を達成させた人物。
更に、この町に限らず藤姫たちがいた、あの小さな村をも混乱に陥れたのだ。
簡単に許せるような相手ではない。

「ですが、彼女を最初から咎めたりせず。背後にある原因を理解した上で、慈愛を差し伸べる発言をなさって…。今思えば、あれは本当にご立派だったと感心しております。」
「そうか…。そうだよね。上級巫女になるのに相応しい。」
「ええ、本当に。説得されるご様子も、しっかりされていて。」
これならばきっといずれ、一人前の上級巫女になってくれるだろう。
あの時のあかねを思い出すと、そんな頼もしさが胸に込み上げて来る。
友雅にしろ自分たちにしろ、ずっと彼女の成長を見守って来た。
この変化は喜ばしいことだ…と、誰もがそう感じた、と思っていたのだが。
「本当に……いつのまにか立派になってしまったんだよ。それを今回、改めて実感させられた。」
遠い眼差しで気だるげに言う彼は、何か違う想いが存在しているようだ。

龍晄山に到着し、天に仕える龍を通じて天啓を受け取ったら、彼女は上級巫女として認められる。
王宮に戻って一週間も過ぎれば、正式に新しい上級巫女の誕生だ。
三年の月日の間、彼女の資質は芽吹き、蕾となり、今や花開こうとしている。
「それを思うとね、ちょっとだけ妙に寂しい気持ちになってね…」
「まるで、子どもを持つ親の心境のようですね。」
鷹通に言われると、友雅は髪を掻きあげながら苦笑した。
確かに、そういう部分もある。
自分は他の誰よりも近くで、誰よりも長く彼女を見て来た。
どんな時でも彼女のことを最優先にして、彼女が一人前になるのを見守っていた。
だから、感無量のあとに来る寂しさというものは、間違いなくあるだろう。
「でも…本来の、この複雑な気持ちは…別のところにあるんだよ。」
そう言って友雅は、自分の心臓あたりを指差してみせた。

一人前の上級巫女になったら、そうそうのんびりした日常は過ごせなくなる。
毎日、世界の調律が取れているか確認するため、龍のお告げを受ける儀式を受けねばならない。
心身共にハードなものだが、それについてはあかねも既に覚悟しているだろう。
その他に司祭との祭事の打ち合わせや、異国からの来賓と面会することも増える。
「そうしているうちに、いずれどこかの誰かが彼女を見初めて、結婚の申し込みも来るかもしれない。」
「随分と気が早いですね。まあ、歴代の上級巫女様には、そう言った方もおられますけれど…。」
上級巫女は、結婚を禁じられてはいない。
彼女自身が選んだ相手と合意があれば、婚姻を交わすのも恋をするのも自由だ。
例えそれが国王や王族であっても、結ばれることは許される。
現在の上級巫女もまた、皇太子と恋に落ちて婚約に至ったのだ。

「だけど、もしそうなったとしたら…一生、私は目の前で、その幸せな光景を見続けることになるのだよ。」
あかねの幸せを願うのは、今も昔も同じ。これからも変わりないだろう。
彼女を護るという自分の任は、そんな意味も込められている。
本望であるはずなのに、もどかしい気持ち。そして空しさと切なさと、寂しさ。
この任務は、半永久的に続く。あかねが上級巫女を辞める時まで。
彼女が幸せを掴んでも、自分は一人きりで----------誰とも結ばれずに。

「あかね殿は誰かと結ばれても、私はずっと独り者…か。寂しい人生だな。」
「そうと決まったわけでも、ありませんでしょう。もしかしたら、お気持ちに気付いてくださるかも…」
と鷹通が言うと、友雅は首を横に振って笑う。
「生憎、彼女はそういうことには少し鈍いんだ。残念ながら、あまり期待出来ないかな。」
心から信頼してくれるのは嬉しいが、それが男にとっては残酷な場合もある。
惹かれている相手には、少々警戒されるくらいが良いのだけれど…。

「今やキスでさえ、何のためらいもなく出来ちゃうからねぇ」
「…は、キ、キスですか…」
お互いの信頼を確かめるための儀式----------なんて、まっかな嘘。
可愛い彼女を、ちょっとからかうつもりで、悪戯半分に始めたお遊びの儀式。
それがいつのまにか、別の想いで唇を重ねるようになって。
なのに、彼女の方はどんどんキスに慣れて、平然とした顔をする。

仕掛けたのは私の方なんだから、自業自得ではあるのだけどね……。
甘い口づけへと発展できないのが、今は空しい。



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Megumi,Ka

suga