Kiss in the Moonlight

 Story=17-----02
「泰明殿…」
永泉が声を潜めて、泰明の肩をそっと揺すった。
半分程度の浅い眠りにとどめていたので、すぐに彼は目を覚まして身体を起こす。
「どうした永泉」
「…向こうの岩陰に人影が…」
人影?辺りには民家などひとつもない、この山麓に人の気配?
しかもまだうっすらと、空が明るくなってきたくらいの時間じゃないか。

「どんな人間だ?」
「それが……はっきりとは確認出来ませんでしたが…おそらく…」
一度永泉は口をつぐんで、静かに息を呑み込む。
「おそらく、あの女性…ではないかと。」
遠目ではっきりは見えなかったが、すらりとした体付きに長い髪。
歩き方や仕草で、あきらかにそれは女性と分かった。

「すぐに皆を起こせ。」
まだ他の者たちは眠りについていて、目を覚ます気配はない。
だが、シリンがここにやって来ているとなったら、警戒せざるを得ないだろう。
彼女がユニコーンの事件に関わっているなら。
そして、女性たちを生贄にしてまで欲しがった強大な力が、何に利用されようとしているのか。
もしかしたら、凶暴化したユニコーンよりも、彼女のたくらみの方が危険かもしれない。





コツコツ…と足音が洞窟内に響いていた。
片手には松明を持ち、足場の悪い岩場を彼女は迷わず進む。
これまでに幾度も足を踏み入れたおかげで、身動きも慣れたせいだ。
キャメル色のケープをまとい、少し濡れた道をどんどん下ってゆくと、浅い地底湖の広がる広場に出た。

「ふう…。」
はらりとケープを脱ぎ捨てて、松明で周囲を照らした。
氷に包まれた女性たちが、目を閉じて立ち並んでいる。
それらをひとつひとつ、確認するように覗き込む。
どれも変化はないようだ。
氷の表面も傷んでいないし、彼女たちの身体に傷もない。

「さあて…、あんたたちのお仲間はどこかねえ?」
全員の姿をチェックしてから、シリンは池の縁にしゃがみこんだ。
そして水の中に沈んでいるはずのあれを……探したのだが、何故か目を凝らしても見付からない。
「え?どうして!確かにここに沈めておいたのに…」
濡れるのも気にせず、ばしゃばしゃとシリンは水中を探る。
けれど、やはりどこにもない。

…はっとして、彼女は立ち上がった。
何かを思い出したように、一番手前に並んでいる氷漬けの女性の背面を、慌てて覗き込む。
だが、そこにもシリンが期待していた予定通りのものが、存在してなかった。
「…何でよ…?岩もないし、ここにいるはずのあの子もいないなんて…どういうことよ!?」
きょろきょろと辺りを見渡し、やや混乱に陥る。
今までと同じ予定で進んでいれば……彼女がここにいるはずなのだ。
なのに、何故いない?
ユニコーンたちが錯乱した足跡が、草むらにはしっかり残っていたのに。
それならば、彼らがあの娘をさらってここに連れて来るはずなのに…どうしてだ。


「随分と困惑しているようだね。」
突然背後から聞こえてきた声に、シリンは振り返った。
予想もしていなかった展開に、台詞通りに困惑していたのだろう。近くに人がいることさえも、今の今まで気付かなかった。
そんなシリンのもとへ、彼はゆっくりと近付いてくる。

「で、君の考えでは、どうなる予定だったんだい?」
「ち…近付くんじゃないよ!」
本性が出たか。これまでのように、やけにご丁寧な口調は面影もない。
もちろん友雅は彼女の言葉など耳も貸さず、歩み寄り続ける。
「もしかして、私の彼女までも、そこにいる氷の姫君たちのように眠らせるつもりだったのかい?」
後ずさりするシリンに、一歩一歩迫るように友雅は近付いてゆく。
圧力を掛けるように、上から見下ろしながら。
「彼女を生贄にして…誰もがひれ伏すような力を得ようと?」
「来…来るんじゃないよ!」
「そのために、彼女の清らかな魂をも利用しようと?」
「それ以上っ…こっちに来るんじゃないよっ!」
足元に転がっていた岩を掴み、シリンは手を振り上げて投げつけようとした。

----が、そんな彼女の鼻先に向け、ぎらりと虹を作る刃先が宛われた。
ギリギリほんの1cm。一瞬でも身動きしたら、その先端はシリンの鼻の先を間違いなく傷付ける。
「利用されてたまるか。」
ソードの柄に垂直に沿って、友雅の目とシリンの目がぶつかる。
剣で威圧され、彼の気によって圧せられ、まるで金縛りにあったような圧力を掛けられて、動けなかった。
この男、本気で私を脅している---。
あの娘を利用しようとした自分を、息の根を止めてやると言わんばかりに。
「君みたいな女性に、彼女を扱えると思ってるのかい?」
友雅は、時々かすかに手を揺らす。
刃先が動くたびに、びくっとして身体が震える。

「友雅さんっ!!」
鬼気迫る態度を崩さない彼に、あかねが思わず名前を呼んだ。
そのとたん、友雅はわずかに緊張の糸が緩んだ。
シリンは、その一瞬ばかりの隙を見て、自らの首に掛かるネックレスを掴んだ。
「黙って私が大人しくしてるなんて、思ってんじゃないよっ!」
彼女は天に掲げるかのように、それを頭上に振りかざす。
氷の輝きに反射して、きらりと光が放たれたかと思うと、同時に彼女が呪文を口にし始めた。
馴染みのないイントネーション。
それでいて、どこか古い感じがする口調。
まさか!

「標的が一人だけだと思うな」
感情の起伏がない声がして、するどい風が真っ直ぐに洞窟の中を進む。
ジェット気流のようにその風は、泰明が指示する的をピンポイントで定めた。
「きゃああっ!」
掲げていたシリンの手に、竜巻の如く風がまとわりつき身動きを封じる。
金色の美しい髪がばらばらと宙を舞い、風圧で目を開けることも出来ない。
「と、止めなさいよぉぉ!!」
「懇願する前に、おまえの物騒な呪いを止めろ。」
必死に嘆いてみても、泰明はまったく動じる様子はない。

この男…本気で自分の息の根を止めようとしている…!
いや、その手段にまったく懺悔の念や戸惑いが、ない。
もしもこのまま、こちらが引き下がらなかったら、きっと容赦なく手を下す。

「わ、分かったよっ!!止める!止めるから!理由を話すからっ…止めてよっ!!」
ダメだ。相手が悪過ぎる。
この呪い師らしき男、想像を絶した力を持っている。
おそらく立ち向かえない。彼の力に飲み込まれるに決まってる。
腕に絡み付いた風が、一瞬で暗闇に溶けて広がった。
ふっと縄が解かれたかのように、身体が軽くなってがくりと座り込む。

天真と頼久が、シリンに駆け寄る。
両手首をしっかりと縛り、背後から羽交い締めにされると、悔しそうな顔で彼女は友雅たちを見た。



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Megumi,Ka

suga