Kiss in the Moonlight

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少し古ぼけた白いドアが、そうっと開いた。
それと同時に、ふわっとこぼれてくる暖かい湯気と、柔らかい石鹸の香り。
「あ、あのー…お風呂、空きましたけどー…」
頭の上からタオルを被って、やや大きめのローブに身を包んだあかねが、バスルームから出て来た。
「友雅さんも、入って下さい。夕べ、濡れてたのに着替えただけだったし…」
「そういえばそうだね。まだ身体のどこかに、潮がまとわりついているような気がするよ。」
あかねが戻ってきたのと入れ替わり、友雅がソファから立ち上がった。
ベッド近くのクローゼットには、未使用のタオルとローブが畳んで置かれている。

「あかね殿、ちょっと頼みがあるんだけれど…良いかい?」
濡れた髪をくしゃくしゃ拭いているあかねは、バスルームに向かおうとする彼の声に振り返る。
「私が身体を洗っている間、バスルームの中にいてくれないかな」
「え、えええっ!?いやですよ!そんなことっ!!」
何をいきなり言い出すと思ったら、そんな!
いくら男だからって、入浴中のバスルームに一緒にいてくれだなんて、はっきりいって刺激が強すぎる!
「友雅さんがお風呂入ってるところなんか、見てられませんっっ!!!」
「…いや、別に見ていなくても構わないんだけどね…」
真っ赤になってムキになるあかねを、友雅はくすくす笑いながら肩を叩く。

「私が入浴中、君は部屋で一人きりになってしまうだろう。私の目が届かないところで、突然何か異変が起きたら困る。だから、取り敢えず一緒に浴室の中にいてもらいたいんだよ。」
彼の言い分はもっともで、確かに理解できる。
でも、シャワーを使えば湯気が立ちこめる浴室だからって、身体がすべて隠せるわけがない。
「大丈夫だよ、ちゃんとバスタブにはカーテンが着いているし。まあ、見られても私は構わないけどね。」
「冗談じゃないですよ!!」
別に、彼の素肌を見るのには慣れているけれど、入浴と言ったら完全に…身ぐるみ剥がれているわけだし。
"見て"と言われたって、そんなの見られるか!!
「そう完璧にはね除けられると、少し自信がなくなるな」
こちらの動揺など全く無視で、友雅は笑いつつ浴室へと向かった。


とは言っても…やはり気になって仕方がない。
最初に案内された部屋とは違い、ランクの低いこの部屋の浴室はユニットタイプで狭苦しい。
バスタブと洗面台との間は、人ひとりがようやく歩ける程度の幅しかなく、嫌でもカーテンの向こうからの湯気に巻き込まれる。
薄いカーテンで姿は遮られるけれど、シルエットは洗面台の鏡に映り込んで。
シャワーの水音に、時々カーテンに張り付く肌の形。
慌ててあかねは顔を逸らし、手の中にあるペンダントをぎゅっと握りしめた。

深い緑の瑪瑙に刻まれた、国王の印と彼の名前。
濡れないようにと預けられたそれは、今あかねの手の中にある。
…初めて会った時も、一晩これを預けられたんだったっけ。
それは三年も前のこと。
改めてそのペンダントを、明かりにかざして眺めてみる。

やっぱり…綺麗な色。
ものすごく深い緑なのに、色が全然濁っていなくて…透明感があって。
おじさんの工房でいろんな天然石も見たし、瑪瑙もたくさんその中にあったけれど、こんな綺麗な色なんて見たことない。
国王様から身分証明に、って授かったものだもんね。
きっと最高級の瑪瑙を使っているんだろうな…。


『友雅はどうした』
「……ひぇっ!?」
しげしげと石を眺めていたあかねに、突然泰明の声が響いて来た。
「あかね殿?どうしたんだい?」
流れていたシャワーの音が消えて、友雅がカーテンの向こうから尋ねた。
「あ、あの…泰明さんがっ…」
『友雅はどうしている?おまえのそばを離れぬよう、強く言ったはずだが。』
「いえ!あの、友雅さんは今…入浴中で!濡れちゃいけないから、ペンダントを預かっているんです!」
そうか。ペンダントには泰明の呪が掛かっているから、これに触れていれば向こうと連絡が取れるのだ。

『そちらでは変わりはないか。さっき、妙な男が訪ねて来たと言っていたが,その後はどうだ』
「あー…あれからは、別にそれっきり…何もないです。」
多分、フロントで厳しく警備しているのだろう。
いくらなんでも、そう簡単にやすやすと宿の中に、宿泊もしない人間が行き来するようでは問題がある。
『問題なければ構わんが。----それより、例の妙な魔術師について、少しだが情報をまとめられたぞ。』
「ホントですか!?」
『藤姫に訪ねて見ると、割と覚えていてくれたのでな。大体の容姿や特徴は、分かった。』
これで少しは、手掛かりが出来るかもしれない。
例え今回とは無関係でも、あの村に不穏を持ち込んだ魔術師がいたのは、確か。
そして、その人物はまだ捕らえられていない。
今後の旅で、もしかしたら遭遇する可能性もあることだし。
知っておいて損はない。

『あかねさまっ!あかねさまっ!』
泰明の声が途絶えて、慌ただしい少女の声が聞こえて来た。
「藤姫ちゃん?ありがとう、色々思い出してくれたんだね。」
『いいえっ!お役に立てるのであれば、嬉しいですわ!あかねさまは、ご無事でいらっしゃいますのっ?』
「うん、特別何も危ないことはないよ。友雅さんがいてくれるし----------」
と、一瞬あかねの声が途絶えた。
しかし、間髪入れずに次の瞬間のこと。

『きゃあああっ!きゃああっ!きゃーっ!!』

「あかねさまっ!?あかねさまーっ!!どうなされたのですかぁーっ!?」
透き通る小さな羽根をはためかせ、藤姫は泰明の手にある数珠にしがみつき、あかねの名前を叫び続けた。
だが、向こうから聞こえてくる声は、彼女の言葉に反応するものではない。
『きゃーっ!いやあっ!友雅さあーん!だめですっ!だめっ!!!やーーーーーっ!!!』
見えぬ場所から聞こえる悲鳴に、周りを取り囲む一同は、皆不安の表情を浮かべていた。
けれども、その声の中に友雅の名前が出たとたん…今度はまったく別の意味で不安が頭を駆け抜けた。
「友雅…何かやらかしたのか…?」
「何かって、あいつがやらかして女が悲鳴あげるとしたら…」
静まり返る面々の真ん中で、藤姫だけは必死にあかねを呼び続けている。

しばらくして、あかねの悲鳴が治まった。
かと思うと、今度は友雅の声が聞こえて来た。
『すまなかったね。ちょっと色々あってね。』
「い、いろいろって何だっ!!!おまえまさか、あかねに…っ!!」
多分過剰な妄想に捕われている天真を、鷹通が軽く背中を宥めて、声を潜めるようにと糺した。
「友雅殿、あかね殿が随分と騒がれておりましたが、危険はなかったのですね?」
『ああ、鷹通か…。大丈夫だよ、宥めて落ち着かせたから。』
「それなら構いませんが。くれぐれも、あかね殿をお護りすることだけは、忘れぬようにお願いしますよ」
『勿論。そのために、私がこうして一緒にいるのだからね。』

当然のことのように友雅は答え、鷹通もさほど取り乱しもせず、そう受け流す。
泰明や永泉たちも何故か冷静を保っているが、慌てふためいているのは藤姫と…イノリと天真くらいか。
詩紋もやや、困惑はしているが…かえって鷹通たちの落ち着きぶりの方が、天真たちにとっては不思議なくらいだった。



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Megumi,Ka

suga