Kiss in the Moonlight

 Story=09-----03
濃厚な紅茶の香りが、部屋の中をゆったりと漂っている。
ルームサービスで運んでもらった、カットフルーツがテーブルの真ん中に置かれているが、それに手を付けるものは誰もいない。
甘いものには惹かれるはずのあかねや藤姫、デザートなどの料理の腕も巧みな詩紋さえ、視線を止めることはしなかった。

「まあ、あまり深く考えなくても良いと思うよ。こちらが準備する時間は確保したからね。」
シュガーポットの角砂糖を、二個つまんであかねのカップの中へ沈ませる。
ルビー色の紅茶の中で、ゆっくりそれらは溶け出して行く。
「町の保安委員会や、滞在している護衛官にも準備を整えてもらいましょう。」
「そうだね。くれぐれも、相手に気付かれないように頼むよ。」
揃った面々の中で、友雅だけが何故だか悠々としているように思える。
敵と取引に行かねばならないのは、彼だ。
本当なら、一番緊張していても良いはずなのだが、そういう気配は全くだ。

「ああ、そうだ。鷹通、この宿周辺とあかね殿の部屋の外に、護衛官たちを多めに手配してくれないか?」
「護衛官を…ここにですか?」
ソファから立ち上がり、外にいる護衛官たちに連絡を取ろうとした鷹通を、友雅が呼び止めてそんなことを言った。
「私が取引に行く間、彼女の側から離れなくてはならないだろう?。夜遅い時間だし、もしも何かあった時に彼女が危険に晒されたら困るからね。」
「ですが、友雅殿の方とこちらとで、人数が足りるでしょうか…」
永泉は、思い出せるだけの人数を数えてみた。
周囲から集めた護衛官の三分の二は、老人の移動に付き添って町を離れている。
この町の保安官たちは、せいぜい15人ほど。
残りの護衛官を集めても、30人にも満たない。
「だったら、私の方の人数を減らしても良いよ。その分、こちらにまわしてもらって……」


「そんなのダメですよ!!」
ガタン、と立ち上がる音がして顔を上げると、目の前にあかねが立っていた。
「夜遅く人の気配がないところっていうだけで、危険は大きいのに…護衛官の人たちを少なくするなんて、いくらなんでも危なすぎです!」
「残念だな。あかね殿の目には、私はそこまで頼り無さげに見えるのだね。」
「茶化さないで下さい!ホントに心配してるんですっ!」
小さな手のひらが、思わず友雅の胸ぐらを掴んだ。
男ならまだしも、華奢な彼女では迫力に随分負けてしまうが、それでも必死なことだけは周囲に十分伝わる。
「鷹通さん!友雅さんの話は無視して良いですから!護衛官の人たちは、友雅さんの方に多く着かせてあげてください!」
「は、はあ…それは勿論ですが…」
友雅から手を離して、あかねは自分の席に戻る。
少し冷静にならなきゃ…と気付いたのか。


「だったら、おまえたちは先に今夜の船で出航しろ。」
「えっ!?」
泰明の言葉に反応したのは、一人ではなくほぼ全員。
ここまでの会話で、まったく予想もしなかった展開の発言。
誰もが驚くのも無理はない。
すると、まず泰明はあかねに目を向けた。
「友雅の取引が終わったら、二人で深夜出航の貨物船に乗れ。後のことは、私たちに任せろ。」
「ま、待って!それじゃ、全然解決してないです!」
あかねと友雅を逃がし、あとは残った者たちに任せておけ、と泰明は言う。
だが、それでは友雅の危険が、そのまま他の者に移っただけのことではないか。
そんなことを、素直に受け入れられない。
「少しは落ち着け。皆も、これから説明するのをよく考えて聞いていろ。」

護衛官たちの人数が少ないのなら、やはり彼らを捕らえるには取引場所に集結させるのが良い。
男たちを捕らえれば、まずはそれで事態は解決に向かう。
敵は手に入れた宝刀に気を取られて、間違いなく気が緩むだろう。
「あかねは私たちが護りながら、船着き場に誘導しておく。取引が終わったら、一緒に船に乗れ。」
彼らを捕まえたあとで、もしも他に潜んでいる者がいたとして…。
その輩があかねを狙うかもしれないが、船で町を出てしまえば見付けられない。
「私たちは、あの男たちが捕らえられて収容されるのを確認してから、ここを発つ。次の町で合流すれば良い。」
「一緒にはいけないんですか?」
「まずはおまえを逃がすのが先だ。友雅が気にしているのは、そこだからな。」
逮捕して取り押さえれば、泰明や鷹通たちにも危険はなくなる。
護衛官たちも残っているし、アフターケアも安心だ。

「友雅殿、泰明殿のお話に従った方が良いかもしれませんね」
話を聞いていた鷹通が、泰明の策に賛成の意志を告げた。
あかねの安全を守るためには、何より友雅の存在が重要だし、それは彼も分かっていることだろう。
敵の目から逸らすには、先に動き出す他にない。
「あかね殿、私たちはここに残りますが、大勢仲間がおりますから心配なさらないで下さい。」
永泉が優しく語るように、あかねに声を掛けた。
「ほんの少しの間です。すぐに追い掛けますから…それまでは友雅殿、よろしくお願いします。」
あかねは戸惑いを隠せなかったが、友雅はそれに深くうなずいた。


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もうすぐ午前0時になる。
外はしんと静まりかえって、夜の市もすっかり終わっていて賑わいはない。
それなのに、あかねたちの周りは慌ただしさを極めていた。
「しかし、間に合って良かったぜ…」
ついさっき持ち帰ったレプリカを見て、イノリはホッと大きな溜息を付いた。
仕上がったレプリカの宝刀は、制作中のものよりもずっと豪奢で光り輝く美しい。
「一日で作ったとは思えねぇなあ…ホンモノよりホンモノらしいんじゃねえ?」
次々と浴びせられる賞賛に、イノリもまんざらではない様子だったが、そんなのんびりしてもいられない現状だ。

「あかね殿は、もう船に付いたかな。」
「貨物船の船長には、話を通してあります。中で待機しておられるでしょう。」
夜道を歩きながら、友雅と鷹通はそんな話をしていた。
頭上を照らす街灯の更に上には、半分だけの月が輝いている。
「無事に取引を終えて、一刻も早くあかね殿のところへ参って下さい。」
「そうだね。一人で心細い思いをさせては可哀想だ。」
静かな船着き場に、ひっそりと浮かぶ貨物船が見えてきた。
あの中で、あかねが待っている。
そのまま進めば中に入れるけれど、まずやらなければいけないことがある。
友雅は、出来たての宝刀をしっかり抱え直した。

「じゃあ、行って来るよ。君らも気を付けて。」
焦ることもなく、まるでふらりと散歩に出掛けるような雰囲気で、友雅は鷹通たちと離れて去っていく。
彼が向かうのは倉庫の裏手。
既に護衛官たちは総動員で潜んでいるはず。

「友雅、大丈夫だよなあ?」
「あかね殿のためにも、友雅殿をお護りすることも我らの役目だ。」
「分かってるって、頼久。」
倉庫の反対側で、天真と頼久は取引を見守る。

『お願いですから、みんな無理しないで。それと…友雅さんのこと、護ってあげてください。』

あかねが別れ際に、頼み込むように言った声が今でも耳に残っている。



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Megumi,Ka

suga