Kiss in the Moonlight

 Story=07-----03
もう、朝になったのだろうか?
やけに頭も目もすっきりと覚めて、ベッドに横たわる身体が軽い。
部屋は雨戸までしっかり閉じられているため、外の天気も日差しも入らないから、朝なのかどうかも確認できない。
起き上がって、枕元のグラスに視線を向けると、中では藤姫が水中花のように丸くなって眠っている。
……まだ朝になっていないのかなぁ…。
少し喉も渇いたし、水でも飲もうかとあかねはベッドから降りた。

ピッチャーからコップに水を注ぐついでに、サイドボードの上にある時計を見る。
…あ、もう朝なんだ。AM6:00少し前。
宿の客はまだ起きて来ないだろうけど、おそらく外では既に仕事を始めている人も多いはず。
すでに、一日は始まっている、そんな時刻。


そういえば…。
「あ、そうか。天真くん夕べからいないんだった。」
体力づくりにと、毎朝彼のジョギングに付き合うと言っていたけれど…いないんじゃ仕方ない。
まさか朝から、一人で散歩なんてとんでもないことだし。
「しょうがないな。みんなが起きてくるまで、もう少し寝ていようかな…」
藤姫もまだ起きそうにないし、朝食は早くても8時くらいからだろう。
コップ一杯の水を飲み干してから、あかねは再びベッドに戻ろうとした。
その時である。

ガチャガチャ…。
金属音がドアから聞こえて、びくっとしてあかねは足を止める。
誰かが、鍵を開けようとしている…?こんな朝早く?
まさかホテルの誰かが、マスターキーでも使って部屋に入ろうとしているんじゃ…って、何でそんなことをホテルのスタッフがやるんだ。
もしかして、結構裕福な一行に見られて、あらぬ考えに傾いた者がいたとか?
ど、どうしよ…。ベッドにもぐって、寝たふりしてた方が安全!?
起きたばかりだというのに、頭の中で起こったパニックに陥る。
そうこうしてるうちに、ガチャン、と鍵が開く音が響いた。

ゆっくりと静かに、ドアが開く。
廊下の明かりが、薄暗い部屋の中に人影と共に忍び込んできた。
「……おや、随分早いお目覚めだね」
「友雅さっ…!」
びっくりして声を上げようとした彼女の口を、友雅は指先で軽く押し止める。
そして部屋の中に入ると、片手で背に当るドアを軽く閉めた。
「友雅さんこそっ、こんな早くどうしたんですかっ?」
「ちょっと天真の様子を見に、出掛けようと思ったんだよ。」
夕べは老人の家に滞在しているはずだが、夜の間に妙な動きはなかったかどうか。
護衛官たちが到着すれば、彼らに老人の護衛を頼むこともできる。
それまでは、自分たちで何とか間を持たせなくてはならない。

「で、せっかくだからついでに散歩でも…と思ってね。それなら、やっぱりあかね殿と一緒が良いな、と。」
「何でそこで、私が出てくるんですか」
友雅は、尋ねるあかねの背中に両手を回し、緩く抱きかかえるようにして、頬に唇を近付ける。
「そりゃあ勿論、可愛い姫君のエスコートをしながらの方が、楽しいからに決まってるだろう?」
耳の奥まで彼の声が流れ込んで来て、思わずぴくん、と肩が震える。
囁くような声はやたら甘く色めいて、ほんのちょっと刺激が強すぎる時がある。

「さあ、姫君。朝のお散歩に同行して頂けますか?」
あかねの手を取り、指先にキスを落として友雅は微笑む。
まさに、貴婦人のエスコートを任された男性のような、優雅な仕草で。
「じゃ…じゃあ…着替えるんで、終わったら友雅さんのお部屋に行きますっ」
「承知致しました、姫君。では、お待ちしているよ。出来るだけ、早めにね。」
抱え込む腕を解いた友雅は、そう言い残して部屋に戻っていった。


+++++


肌寒い季節ではないのだが、四季を通じて深夜と明け方は空気がひんやりと感じるものである。
この町は特に、運河が近いせいもあるのだろう。吹いて来る川風が、一層朝の気温を低くしているような気もする。
出掛ける用意を済ませ、友雅たちの部屋を訪れたあかねだったが、上にもう一枚羽織った方が良いと鷹通にも言われ、そこにある友雅のマントを借りて外に出たのだが、正解だった。

「確かイノリの話だと…橋を渡った突き当たりのアパートらしいが…」
「あ、あそこじゃないですか?」
あかねが指差した方向には、白っぽい岩壁のアパートメントが建っている。
その建物は中央に中庭へ続く通り道が作られ、左右に道路から続くアイアン細工の階段が付いている…という、イノリの説明にぴったりハマった。
「ここの3階の、一番右の部屋…か。」
建物の前に立って、友雅は上を見上げる。
まだ朝早い時刻では、どこの部屋もぴったりと雨戸が閉まっていて、中の様子は伺えない。

…外の方は、妙な気配はないようだね。
意識を澄ませ、友雅は周囲の様子を探る。何かしら不穏なものがあれば、直感で察知出来るはずだが…特に異変はないようだ。
「中に入ってみようか。」
ステンドグラスの飾りが入ったドアを開け、二人は建物の中へ進む。
かなり年代物らしき色褪せた壁と、古いランプが廊下をぼんやりと照らしている。
あかねの手を引きながら、先に友雅は階段を上がる。
足を踏みしめるたびに、ギイッと床板の軋む音がした。
そうやって、辿り着いた3階。
同じようなドアがいくつか並び、一番右端までやって来て足を止めた。

3回、2回、そして1回のリズムでノック。
呼び鈴は付いているが、この方が安全性の高い合図だ。中に天真がいれば、気付くはずだから。
「……お、何だぁ、二人してどうしたんだよ」
「デートの途中…と言いたいところだけど、こちらの様子を見に散歩がてら寄ったんだよ。」
しんと静まる部屋から、ノックに気付いた天真がドアを開けて顔を出すと、中から初老の男がゆっくりとこちらにやって来た。
「あ、ジイさん。こいつらは俺の仲間だから心配いらねえぜ。」
初対面の老人に、あかねたちは軽く頭を下げた。
年の頃は70になるかならないか…くらい。泰明の師と同じくらいだろうか。
「朝早いと、まだ外は冷え込む。さあさあ、中にお入り下され。」
天真は二人を中に入れると、忘れずにもう一度鍵をしっかりと下ろした。




「わあ、すごいですねえ」
通された部屋は、ベッドルームが別にあるのと、リビングが少し広めという以外は、以前あかねが住んでいたアパートメントと似たようなものだった。
但し、そのリビングには壁いっぱいに棚が置かれている。
棚にはアンティークの時計や、小綺麗な騎士の像が並ぶ。
他にも鮮やかな景色の描かれた絵画や、細やかに織られた絹のタペストリーなど。
「素晴らしいコレクションですね。骨董を生業とされているということで、確かな目をお持ちのようで。」
ぐるりと見渡した友雅も、素直にそう答えるしかなかった。
それほどに、この老人の審美眼というものは正確かつ高尚である、と実感出来るものが所狭しと並べられている。

「さすが、シェンナ国王に認められただけのことはありますね。」
友雅が国の名前を口にすると、紅茶を入れていた老人の手がぴたりと止まった。
彼の年齢から察すれば、栄華に富んだ時期と崩壊の最後を、その目で見ているはず。否応でも、国の名前に反応してしまうだろう。
「さぞ、辛い記憶を残されているでしょうが、我々はあなたの記憶を途絶えさせるつもりはありませんよ。」
そう言って友雅は、彼のしわくちゃの細い指を見た。
中指に光る金色の指輪には、表面に文字が刻まれている。
解読はとても出来ないが、それは現在殆ど知られることのない、シェンナの古代語であることだけは分かった。



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Megumi,Ka

suga