Kiss in the Moonlight

 Story=06-----03
山を無事に下り終えたのは、夕暮れが始まりかけた頃だった。
上りの道と比べて、何故か下りは曲がりくねった道が多く、迂回を続けているうちに時間がどんどん過ぎて、気付いたら太陽の色が変わっていた。
しかし、考えようによっては、朝早く出発して正解だったとも言える。
のんびりしていたら、また山の中で一夜を過ごし兼ねなかったのだ。
「何はともあれ、町に着いて良かったです。次の町は船着き場に近いので、少しはゆっくり過ごせますよ。」
鷹通が旅の地図を広げて、これから向かう町のことを説明してくれた。

今夜留まる予定の町は、藍石の町と言う。
名前に"藍石"という言葉が入っているのは、近くに流れる大河の水が、藍晶石のような青々とした色をしているからで、別に石の採掘が有名というわけではない。
さっき鷹通が言ったとおり、川を進むための船着き場が近くにあり、そのため商業や流通で賑わう大きな町である。
「馬車が積める大きな船は…明後日の朝に出発の予定です。」
「じゃあ、まるまる1日は町にいられるってことだよな?」
これまでは、殆ど休みなく進んでいた旅。
ほんの1日であっても、ゆっくりひとつの町で過ごせるというのは、いい気分転換にもなる。

「知ってる?この町って掘り出し物のバザールがあってさ、古い宝刀とかが売り出されることもあるらしくて、一度行ってみたかったんだよな」
生き生きと話すのは、イノリ。
武器職人の彼は、以前から師匠や先輩職人からこの町の話を聞いていた。
異国の貴族や王族のお抱え職人が、傷有りなどで献上出来ないものを持ち寄っては売っている。
例え買える値段ではなくとも、見るだけでも勉強になるものだと言っていたので、ずっと気に掛けていたらしい。
「せっかくですから、少しですが町を楽しんでも良いですよ。」
取り敢えず、妙な輩には近付かないこと。
むやみやたらに、路地裏には入らないこと。
あまり遅い時間まで、外をうろつかないこと。
……まるで、子どもに言い聞かせる規則のようだが、慣れ親しんでいる町ではない。あくまで、自分たちは旅でやって来た部外者。
それを忘れずに、町へ足を踏み入れるのが一番安全というものだ。



人の目があまり集まらないように、町の中で二番目に大きなホテルを選んだ。
部屋数も多いそこは、飛び込みでもツインが余裕で確保出来、鷹通と友雅の部屋は要望通りに、あかねの部屋のすぐ隣に配置してもらえた。
階層が高いため、窓からは川が眺められロケーションも良い。
内装もしっかりと落ち着いた雰囲気の、上品な宿という印象だった。

「俺さあ、ちょっと町の様子を見に行っても良い?」
鷹通の部屋のドアが開き、やって来たのはイノリ…と、後ろには詩紋の姿もある。
「バザールが気になるのですね?」
「んー、まあそれもあるけど。でも、町がどんな雰囲気かってのも、一応知っておかなきゃダメだろ?」
あからさまにお見通しだが、バザールの情報集めが本命で、町のことは"ついで"というところだろう。
「で、一人でもナンだからー、詩紋も一緒に連れてくし。」
友雅と鷹通は、顔を合わせてくすくすと笑った。
この詩紋の様子では、おそらくイノリに引っ張られて連れ出されたに違いない。
「気をつけて出掛けて下さいね。夕食は8時に部屋を予約してありますから、それまでには戻って下さい。」
了解!と敬礼をひとつして、詩紋の腕をずるずると引っ張りながら、イノリは意気揚々と出掛けて行った。


「さて…。私も、ちょっと姫君のご機嫌を伺いに行こうかな。」
窓際のソファから立ち上がり、友雅は部屋の鍵をポケットに入れた。
「どうだろう?彼女も少し外へ連れて行っても、構わないかな?」
「あかね殿を…ですか?」
旅に出た日のことを思い出してごらん、と友雅は言った。
訪れる町の目新しさに、わくわくしていた彼女の表情。
しかし、これまではそんな余裕さえない道中で、先を急ぐばかりの旅だった。
「やっと少しゆっくり出来るのだし。ちょっとだけでも、楽しませてやりたいと思わないかい?」
今後の旅で、どんな事件が待ち受けているかも分からないのだから。
せめてほんのひとときだけでも、普通の女の子らしく楽しむ時間を、与えてあげても良いんじゃないか。

「分かりました。友雅殿にお任せ致します。」
「大丈夫。例えどんなことがあっても、姫君だけは護り抜いて戻ってくるよ。」
ドア横のハンガーに掛かったジャケットを取り、友雅は部屋を出ていく。
その際に胸ポケットへ、小さな短剣を忍ばせることだけは忘れずに。




ドアを開けて、すぐ目の前にある別の部屋の扉を叩く。
「あかね殿、入っても良いかな?」
「はーい。どうぞ」
ぱたぱたと足音が中から聞こえて、内側から鍵が外される。
通された彼女の部屋は、友雅たちの部屋よりも一回り広く、カーテンやベッドカバーも一目で上質と分かった。
「今、着替えを仕舞ってたところなんです。」
とは言っても、開いたクローゼットの中にあるのは、ワンピースが二着のみ。
あとは少し肌寒い時のために、ショールとカーディガンが置いてあるだけ。

「ところで、あかね殿。荷物の整理が終わったら…少し町へ出てみないかい?」
「町に…ですか?」
クローゼットを閉じたあかねは、少し驚いたように友雅を振り返る。
「さっきイノリたちが、楽しそうに探険に出掛けたよ。彼のお目当てのバザール以外にも、いろいろな店が出ていて、遅くまで賑やからしいね。どうだい、行ってみるかい?」
まさかそんな誘いを持ちかけられるとは、まったく思っていなかったのだろう。
少し戸惑ったように彼女は考え込んでいるが、心の中は遊びに出掛けたいはず。
誰かが同伴してくれるなら、喜んで着いてくるだろうと思っていたのだが…。

「…えっと…私はいいです。」
散々悩んでいた挙げ句、彼女は首を横に振った。
「その、夜はいろいろと物騒でしょう?だから、明日の昼間…明るくなってから考えます。」
くるりと背を向けて、サイドボードの方へあかねは歩いて行く。
銀製のティーセットをテーブルの上に置き、真っ赤な紅茶の缶の蓋を開ける。
香り高い茶葉を、スプーンで山盛り3杯すくい、ポットに入れて上から熱いお湯を注ぐだけ。


「迷惑を掛けちゃいけないとか、旅の役目を第一に考えなきゃいけないとか。それは確かにそうかもしれないけれど、そればかりに捕われてしまうのは、あまり感心しないよ」
顔の前に、ふわっと白い湯気が立ちのぼる。
あかねが魔法瓶に手を伸ばすよりも先に、友雅はそれを取り上げて、彼女が用意したポットの中へ湯を注ぎ入れた。
蓋をして、ティーコゼーをすっぽりとかぶせて準備を終え、友雅はあかねの隣に腰を下ろす。
「緊張しすぎは、逆に身体に毒だ。リラックス出来るときは、思い切りそのひとときを楽しんだ方が良いんだよ。」
「でも…」

友雅の長い指先が伸びて、あかねの顎を少し持ち上げる。
「私を気にしているのなら、かえってはしゃいでくれた方が嬉しいんだがね」
しばらく置いたポットからは、深い香りが漂う。
金と銀のティーカップに紅茶を注ぎ、コロン…と角砂糖を二つ落として、友雅はそれをあかねに差し出す。

「じゃ、私が君と一緒に出掛けたいって言ったら、着いて来てくれるかい?」
私と一緒に出掛けたい……?
「そう。可愛い姫君と二人で、夜の町をデートしてみたいんだけれど。私のお願いを聞いてくれるかい?」
「デ、デートって…そんな…」
恥じらいの浮かぶあかねの顔を眺め、友雅は彼女の顎をつんつん、と指先で弄ぶ。
「もしも私に対して、少しうしろめたい気持ちがあるなら、付き合ってくれても良いよね?こないだ、膝枕してくれたみたいに。」
あ、そういえば…そんなことあったっけ。
一晩彼の部屋に泊めてもらって、ベッドを借りてしまったから…友雅さんはソファで寝ることになっちゃって…。

「わ…分かりました。じゃ、ちょっとだけ出掛けます」
「良かった。では、出掛ける用意が済んだら、私の部屋まで来ておくれ。」
友雅は紅茶を飲み干し、そう告げたあと席を立った。



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Megumi,Ka

suga