Kiss in the Moonlight

 Story=06-----02
山の中は驚くほど静かで、少しの物音がやたらと大きく聞こえる。
辺りはまだ明るいとは言えず、それだけで明け方早い時間だろうと推測出来た。

一晩中彼女が眠る幌の前にいたが、周囲が少し明るくなって来たころになって、やっとうつらうつらし始めた。
もうそろそろ、誰かしらが目を覚ますだろう。
今ならほんの少し仮眠を取っても平気か…と、目を閉じた友雅だったが、ガサガサ…と慌ただしい音がして、彼はすぐに瞼を開いた。

「ゆっくり走ってね?私、初心者だし!」
「だからー、ウォーキングじゃねえって言っただろーがー」
話し声を耳にした友雅は、睡魔に少し脅かされかけた頭を軽く振る。
そして、声のする方向を見た。
良い感じに着古した膝丈のパンツに、肩が出ているランニングシャツ。
その隣にいる彼女はと言えば、夕べ着ていたワンピースの裾を、膝の上まで結んでいるだけ。とても、これからランニングをする格好ではない。

「珍しい組み合わせだね?」
「友雅!」
ごつごつした岩場を上がろうとした時、木の陰から友雅が顔を出した。
「天真は良いとして、あかね殿がこんな早く起きるなんて、何かあったのかい?」
「えっと…それはー……」
まだ朝方だというのに、すっきりとしたいつもの笑顔を浮かべて、友雅はこちらを見ている。
確かに彼が言う通り、早起きは得意とは言い切れない。
叔父の仕事を手伝っていた頃なら、もう少し早起き出来たのだけれど…と昔を思い出してみると、やはりこの三年の間で、生活習慣が弛んでしまったみたいだ。
やはり、ここはしっかりと心身共に鍛えないといけないな、と改めて実感した。

「た、体力を付けようと思ったんです!」
「体力を?それはまあ結構だけど、随分といきなりだね?何かあったのかい?」
「えーと、その…運動不足だなと思って。これから旅も続くし、今のうちに鍛えておかなきゃなあって」
ふうん…とあかねの表情を、友雅は黙って伺っている。

……嘘を付いているわけじゃないみたいだね。
確かに身体を鍛えて体力を付けるのは、大切な事ではあるし。
天真たちには及ばずとも、軽く身体を動かすくらいなら、むしろ歓迎だけど。

「分かったよ、行っておいで。でも、あまり道の荒いところは避けるようにね。天真もよろしく頼むよ。」
「ああ、じゃあちょっと行ってくるわ」
本当は友雅に、あかねを引き止めて欲しかったのだが、あちらにはその気配はないらしく。
観念して天真は、彼女が着いて来られるように、いつもよりゆっくりと山道を上がって行った。




二人が出掛けてしばらくしてから、続いて起きて来たのは詩紋だった。
彼が早起きする理由はもちろん、野宿の為に朝の食事を用意が必要だからだ。
一人ずつ目を覚ます者が増え、スープが煮えてきた頃に天真たちは戻って来た。

「運動したあとの朝ご飯って、美味しいですよねー!」
パンを二切れに、野菜とチーズの入ったスープを二杯もおかわりしたあかねは、満足そうにそう言った。
起きたばかりのいつもとは違い、体を動かして頭もすっきりしたせいか、今朝の食事は随分と進んでいる。
食欲もあるし、見た限りでも元気そうだし。
急に体力を付けたいなんて言い出して、どうしたのだろうと気になっていたが。
まあちょっとした気まぐれなのかな…と、友雅は深くは考えないことにした。


食事を済ませた者から、すぐに後片付けをして荷物の整理に移り始めた。
次の町を通過するにしても、そこで一泊するにしても、出発は早い方が良い。
山の天候は常に不安定で、泰明の推測が一変してしまうことさえ有り得る。
自然の摂理というものは、人間がどうあがいたところで、敵わない一線があるということだ。

外に出していた皆の毛布をまとめて、幌に積もうと担ぎ上げたとき、友雅を後ろから呼び止める声がした。
「あのさ、友雅。」
振り返ると、天真が立っていた。
大きな鉄鍋を肩に掛け、食器の入った麻袋を片手に持っている。おそらく詩紋にでも、荷物積みを頼まれたのだろう。
「あのさ…おまえさ、あかねにそれとなく、朝トレ辞退するように言ってくんねぇ?」
「何かあったのかい?」
「いや、やっぱその…気を遣うわけよ、俺も。」
ぽりぽりと頭を掻きながら、天真は気まずそうな態度で友雅を見る。

体力を付けたいという心構えは、むしろ歓迎することではある。
けれども、やはり彼女は女性であるし。
しかも、天真のように毎日のトレーニングに慣れた身体ではない。
彼のリズムで一緒に走るとなると、体力作りよりダメージの方が大きいのではないか、と。
「それにさ、足元も危なっかしいしさ。一緒に居て、俺も気が気じゃないのよ。」
あかねに何かあっては困るし。
常に後ろを気にして走っていると、こちらも自分のペースを保てないのだ。
「そうだね。じゃあ私が何とか、彼女を説得してみるよ。」
よろしく頼む、と手を合わせて天真は言うと、荷物を抱えて友雅と共に馬車の方へと歩き出した。

「しかし、どうしてあかね殿は急に体力作りだなんて、言い出したんだろうね。」
ぽつりと何気なく友雅は口にしたが、それに対して天真から返って来た返事は、彼にとっては意外な内容だった。
「おまえに迷惑かけたくないからだってさ。」
友雅の足が止まったのに気付き、天真も足を止め、後ろを振り返る。
「あいつさ、おまえに頼り過ぎてるって思ってるらしい。だから、一人で出来ることは一人でこなせるように、まずは体力をしっかりつけないと…って。そう言ってたぜ。」
私に頼り過ぎている…って、そんなことを彼女は考えていたのか。
これまで何度も言っていたはずだ。
あの夜だって、迷惑なことは一切何も無いと言っていたのに。

「そんなことを、気にするようなことではないのにね」
「まあ、俺らは事情は分かってるけど、あいつはまだ分かんないところ多いし。意外にアレでも、責任感みたいなもんは強いからな」
ただし時々それは、お節介なところもあるけど。と天真は笑う。
親切心とお節介が入り乱れて、とことんまで素直で穢れなくて。
むしろ、彼女がそうであるようにと、自分はフォローをすることが役目だと思っているのだが。
「ま、そこんとこ察してやってくれな。あとは、おまえに任せて良い?」
「ああ。何とか…あとで上手いこと言ってみるよ」
二人の視線の向こうには、元気に歩き回るあかねの姿が見える。
普通の女の子にしか見えないけれど、その存在は世界を安泰に導くための架け橋になる。

「あいつの心とかは、読み取ったりしないの?おまえって」
「出来ないことはないけれどね。でも、奥底は覗かない。それが誓いのひとつでもあるからね。」
大概の相手の深層心理は、殆ど読み取るは可能。
けれども、立ち入ることを許されない相手が、何人かいる。
国王は絶対。王族もそれに属するが、万が一の場合は国王の指示に従って目を凝らすことは許される。
現・上級巫女もまたその一人。天帝からの啓告を、龍を通じて受け取る神聖な者には深入りは許されない。
そしてもう一人は…これから先、新しく上級巫女となる彼女だ。

「知りたいと思っていることはあるんだけど……それを探るのは野暮だしね」
そんなもんかね、と他人事のように天真は言った。
既に決められてしまったた運命だが、それは100%実を結ぶという確信はない。
最終的に答えを出すのは、あかね自身。
友雅は、ただそれに従うしか方法が無い。
「自分より一回りも下の娘に、運命を左右されるなんてなあ。おまえも大変なコトを任されちまったな。」
人から見れば、"人生の選択を奪われた男"と、哀れむ者もいるかもしれない。

---------だが。

「私は良いんだよ。今のままで、充分楽しい人生だ。」
決められたレールとは言え、その上に立って進路を選んだのは自分。
だから彼女が答えを出す時まで、このままで良い。



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Megumi,Ka

suga