Kiss in the Moonlight

 Story=06-----01
幌馬車はゆっくりと山越えの道を昇り、折り返し地点まであと半分ほどの距離を進んでいた。
街道沿いに近い山道とは違い、行き交う人の姿はめっきり減った。
時折耳にするのは、空を飛ぶ鳶の鳴き声くらい。
それでも、時折立ち止まって頂が近い場所から望む景色は、青々とした田園と湖や川に映した空の色が、何とも言えない美しい光景を描き出している。

「それにしてもさ、こんなに土産貰っちゃったし。しばらく買い出ししなくても平気そうじゃん。」
イノリは後ろに積まれている荷物を見て、少しはしゃぎ気味に言う。
波乱の夜を終え、早々に村を出発した。
一通りの話を牧場主の夫妻に告げると、彼らはあかね達に心からの感謝の言葉と共に、山ほどの土産を渡してくれた。
チーズやパン、干し肉、果樹園の果物や野菜など。
"これからの道中の腹の足しにしてくれ"と言って、旅立つあかね達の馬車が消えるまで、ずっと見送ってくれた。

さっそく馬車の後ろでは、詩紋が簡単な昼食を用意し始めている。
材料を挟んだだけのサンドイッチだが、馬を引きながらでもかじることが出来る手軽さが良い。
それに、手軽とは言っても材料は豊富。大食漢な数人の腹も満足出来そうだ。

「え、藤姫ちゃんは食べないの?」
荷箱の上に腰掛けている藤姫に、パンの端っこを少しちぎってあげようとしたが、彼女はふるふると首を横に振った。
「あの、申し訳ありません…私は、ミルクと蜂蜜しか食べられないんです」
「ええ!?そうなの?それだけしか駄目なの?」
妖精によって、人間と同じものを食べる種族もいるが、生憎彼女たちは食料を限られているらしい。
また、特に彼女は幼いので、摂取量も一日にミルク小皿一杯、蜂蜜スプーン一杯で充分なのだと言う。
「へえ、そうなんだ…。じゃあ、ちょっと待ってね。用意してあげるから。」
詩紋はすぐに小皿をスプーンを取り出し、藤姫のためにミルクと蜂蜜をよそった。

「何だか、微笑ましいですねえ…」
藤姫に少しずつ蜂蜜を食べさせているあかねと詩紋を、眺めながら永泉は静かにつぶやいた。
上級巫女への最終儀式を兼ねた旅は、決して穏やかなものではない。いつも緊張を解く事が出来ない、プレッシャーに縛られた旅だ。
しかしそんな中で、こうした穏やかな空気は、皆の気分を和ませてくれる。
「今夜は詩紋殿には、いろいろとお世話を掛けてしまいますが、よろしくお願いします。」
「あ、大丈夫です!早めに用意すれば何とかなりますから!」
ワインの代わりに、葡萄のジュースを口にしていた鷹通の声に、詩紋は元気良く返事を返した。

今日の夕方までに山を越えるのは、どう急いでも無理。
旅が始まって間もないのに、今夜は初めての野宿となる。
野宿となれば、もちろん食事は自炊。
しかし、詩紋は王宮の若き調理人。材料の味を活かすセンスに優れ、将来は王室のお抱えシェフ確実とまでの噂を持つ。
人数分の支度は決して楽ではないが、まあそこらは各自で手伝ってやれば、何とかなるだろう。
その他に、野宿で大切なことと言えば-----
「どこで荷を下ろすか、だね。」
あかねの隣にいた友雅が、一言そう言った。

「出来れば、水源の近くが良いんだがね。ここらで湖…は無理にしても、水が綺麗で緩い流れの川の近くとか。」
「そうですね。何につけ、水は大切な資源ですから」
友雅の話に、鷹通はうなずく。
魚が泳いでいれば、釣って食料にも出来るし。洗い物や身体を拭くのにも、水辺なら便利だ。
更に飲み水にも出来るほど、澄んだ綺麗な流れなら言う事ないが。

すると、蜂蜜を貰っていた藤姫が、薄い羽根をぱたぱたとはためかせ、こちらに向かって飛んで来た。
「私、水脈を見つけられますわ。」
「本当ですか?」
「ええ。お嬢様のお側にいたとき、私は村の水源を浄化させる役目を頂いておりましたの。」
なので、水の気配はすぐに察知できるし、そこの水を清らかに変えることも可能だ、と彼女は言った。
「それは心強いな。山はすぐに日が暮れて暗くなるから、早いうちに待機準備をした方が良い。」
「おまかせ下さいませ。」
「藤姫ちゃん、お願いね。」
幼い妖精はにっこりと微笑むと、馬を引く頼久の方へと飛んで行った。


+++++


空には満天の星と、黄色い月が輝いている。
藤姫が見つけた場所は、上流から緩やかな傾斜を伝って流れる浅い川辺。
河原には流木の他に、手軽な岩も多く転がっていて、火を起こすために重宝するものが揃っていた。
さっそく詩紋は、豊富な材料の中からいくつかを取り出し、調理の準備に取り掛かっている。
そして彼の隣では、永泉と鷹通が野菜の皮剥きを手伝っていた。

「天幕の準備オッケー!」
木の上から声がして、イノリが勢い良く飛び降りてくる。
今夜の天気は問題なさそうだが、夜露を避けるために木の上に帆布を取り付ける。
すると林の向こうから、泰明が袋に草花を詰めて帰って来た。
こういう場所で、彼は薬草になるようなものを摘んで来る。
長旅の間に、怪我や病気などに掛からないとも限らない。そのため、薬用になる草花がある場所では、常に採取を怠らない。
「その辺りを見て来たが、ここらは安全だ。獣も小動物くらいしか見当たらん。」
山賊みたいな荒くれ者の気配もないし、凶暴な動物も居ない。
水も浄化が必要ないほど澄んでいて、野宿するには格好の場所と言える。


「なあ天真。今夜は俺が見張りやるから、今日くらいゆっくり休めよ?」
火の元に腰を下ろし、肉を焼いていた天真のところへ、イノリが近寄って来て肩を叩いた。
仕事柄、腕力と技では申し分の無い天真と頼久は、毎晩のように交替で見張りをしている。
数時間毎に起きては交替して…を繰り返し。
更に次の日馬を引くこともあるの。完全に身体を休めているとは言えない。
「天真だけじゃなく頼久もさ、休める時には休んでもらった方が良いじゃん?」
イノリが振り向いて皆に言うと、鷹通が片手を軽く挙げる。
「私も代わりに、少し見張りをしましょう。腕力には自信がありませんが、危険がなければ私でもどうにかなるでしょう。」
「元々睡眠時間は短くて良い。私も見張りくらいなら、やっても構わん。」
泰明も鷹通に続き、今夜の当番を買って出た。

ふと、誰もが視線をある人物に向ける。
馬車から下りて来た彼はそれに気付き、手に抱えていた毛布をその場に置いた。
「私は一晩、ここで朝まで見張りをしているよ。」
友雅はそう答えて、後ろに停まっている幌を指差す。
その中ではあかねが、荷物の整理をしている最中。
「周囲の様子を見張るのも重要だけど、何より守りを固めなきゃいけないのは、彼女の身辺だろう。だから、私はずっとここにいるよ。」
危険を最小限に抑えるため、彼女だけは馬車の中で眠ってもらう。
荷物や食料など、失ってもどうにかなるものだが、彼女だけはそうは行かない。
「だから、こちらの方は安心して良いよ。イノリたちは、周りの様子だけに集中していて良い。」
「分かりました。では、あかね殿のことはお任せ致しますので。」

「すいません、遅くなっちゃって」
幌の中から、あかねが着替えを済ませて下りて来た。
「さーて…じゃ、私も詩紋くんのお手伝いしますねー」
シンプルなワンピースの袖を捲って、彼女は詩紋のところへ歩いて行く。
野菜のたっぷり入った鍋からは、甘い香りが湯気になって昇っていた。



***********

Megumi,Ka

suga