Kiss in the Moonlight

 Story=05-----02
ああもう、さっきから振り回されてばっかり!
こんな目に遭うなんて思わなかったから、ろくに身体を鍛えていなくて、握力だって自慢出来ない。
…この旅が終わったら、筋トレか身体を鍛えることもやらなくちゃダメだぁ!
上級巫女になったあとも、どんどん大変な仕事が増えて行くんだから、倒れるような身体じゃいけないもの!
「ひゃあっ!ひゃああっ!あ〜〜っ!!!」
安定感の悪い岩の表面が、ぐらぐらと上下する。

すると、ゆっくり水面が底から隆起し始めた。
さっき見たのと同じような、黒く大きな影が、月明かりの差し込む水底を覆う。
「来たね。ちゃんと捕まって。」
かすかな地響きが徐々に大きくなり、湖の表面が三角波を立てて行く。
-----来る。正体不明の何かが、確実に目の前に現れる。
ザザザザァっと水を掻き分け、飛沫をまき散らしながら闇を背にして浮かぶ影。

「えっ…!?りゅ、龍…!?」
長い舌を不敵に伸ばし、鋭い爪をぎらりと輝かせる、ヘビのような長い身体。
まさか、この村の守り神だった妖精を封印し、村人まで襲った獣が龍だなんて。
「あかね殿。あれは龍じゃないよ。本当の龍なら、威嚇だろうが君を襲うことは絶対にない。」
上級巫女候補は、元来天帝の龍が選ぶもの。
そして最後に、巫女候補を一人前の上級巫女として天啓を下すのも、龍。
天帝の龍は、この世の龍族のすべてを司る最高位。
絶対的な存在の彼に、逆らう龍はいない。

揺れるペンダントから、泰明の声が聞こえて来た。
『あれは巨大な水蛇だ。おそらく、この湖の主だ。』
「主!?主が村の人たちを襲ったりするんですか!」
妖精という守護神がいるが、土地の主もまた村を護る神のようなものだ。
そんな生き物が村を壊そうとするなんて、とても考えられないし、もしも主ならば…その主を倒すことなんて出来ない!

「倒しはしないよ、呪縛から解放して、元の姿に戻してやるんだ。」
『旅の呪い師が、ここで妙な実験をしたと聞いただろう。おそらくその時に、主はよからぬ呪いの影響を受けて、元の自分を失っている。それを解けば良い。』
そうすれば、この獣は元の水蛇に戻るのか。
あんな凶暴な牙を見せ、威嚇する表情などせずに、静かに湖の底で村を護る者に戻って行く…のか。

獣は耳を劈くような奇声を上げて、睨みつけていたあかねたちの方へ、その首を近付けて来た。
大きな爪を振り上げ、二人を岩ごと掴もうとする。
引き裂かれる!
そのギリギリのところで、友雅の手は手綱を即座に操った。
馬は岩から離れ、もう一度陸地へ戻るために飛び出してゆく。


「天真!後は君に頼む!」
「おう!まかしとけぇっ!!」
陸地に降りると同時に、天真が陸地から走り出す。
------風を切る友雅の髪が、あかねの頬をくすぐる。
天真は助走を付けて高くジャンプし、降り立った馬の尻で片足を弾くと、そのまま更に勢いを付けて岩に飛び乗った。
「頼久!そっちは頼むぜ!」
反対側から疾走して来た頼久が、鞘から剣を抜いた。

漆黒の天空に向けて延びる、鋭い剣先。
月明かりが反射し、閃光を放つ剣を手にした頼久が、獣に向かって刃を向けた。
「居合いだぞ!本気でぶった切んじゃねえぞっ!!」
「言われなくても分かっている!」
何とか獣の背に乗った頼久は、振り落とされぬようしがみつきながら、獣の頭上めがけてよじ上った。
『急所は額だ。そこを突けば良い。』
剣に宿した泰明の呪から、彼の声が指示を出す。

「-------ここだ!」
くるりと頼久は剣を翻し、グリップの先で思い切り獣の額を突いた。



グアアアァ!

その声は、森を引き裂くような音だった。
辺りの木々は震え、水面は振動で荒々しく波を立たせた。
獣は狂うように身体をくねらせ、阿鼻叫喚の表情を浮かべながら天を向き、湖の中で暴れ回る。
「よっしゃあ!そんじゃ俺が最後に一発かますぜーっ!!」
ぐっと握った天真の拳が、勢い良く岩を叩き付ける。
衝撃は一気に岩にひびを入れ、爆発したように周囲に破片が飛び散った。

「うぉっ!…とぉ…あぶねえ!!」
急いで天真は体勢を整え、自慢の跳躍力で陸地へと降りる…つもりだったが、さすがに距離がありすぎて、もう一歩の所で湖に落ちてしまった。
「天真くん!!」
あかねが叫ぶと、天真は水の中から飛び出して、思い切り息を吸い込んだ。
「あー、平気平気!俺、泳ぎ得意だし!」
心配そうに陸地から見守るあかねに、天真は笑いながら手を振ると、すいすい泳いでこちらに向かってきた。

『あかね、天真から破片を受け取れ。』
泰明の声があかねに語りかける。
びしょ濡れのまま、天真はポケットに入れて置いた岩のカケラを、あかねの前に差し出した。
「これ、妖精が封印されてた岩の一部。これをおまえが一晩、抱いて眠ってやれば良いんだってさ」
岩を抱いて眠る?
まるで卵を暖める親鳥のようだ。
『おまえは上級巫女の資質がある。その力が、妖精のパワーを修復させることが出来るだろう。』
ただし、すぐにとは行かない。
少々時間が掛かるだろうが、直にそれらに触れていてやれば元に戻るはず。
取り敢えず、一晩様子を見よう、と泰明は言った。

「あ!あの…湖の主さまは、どうなったんですか!?」
いつのまにか、辺りは信じられないほど静かになっている。
湖もゆるやかに風が波を作るのみで、ついさっきまで繰り広げられていたバトルなど、もう面影さえも見えない。
居合いで、と天真は頼久に言っていたけれど…まさか勢い余って?
「あかね殿、とどめは刺しておりません。あの額は、生命を左右する急所ではありませんので。」
額は、ショックを与えるだけの場所。
衝撃で我を忘れたところを、永泉と泰明が呪縛を解くまじないを送ってくれていたはず。
「ですから、おそらくあの獣は元の姿に戻り、既に湖の底に戻ったのでしょう」
「そうだったんですか…よかった…」
頼久の言葉を聞いて、あかねはホッと胸をなで下ろす。

トク、トク、トク。
あかねの手の中で、岩がほのかに暖かみを帯びてきた。
小さな音が、中から聞こえてくる。岩の上に居たときに感じた、鼓動みたいな、あのリズムだ。
「この中に、あの妖精が眠っているという証だよ。」
友雅はあかねの手に、そっと自分の手を重ねた。

あかねは両手で、それを包むように抱きしめた。
赤子を抱くように、丁寧に、そっと、優しく。
「一応、これで片が付いた。あとは…妖精が目覚めるのを、待つしかないね。」
「本当に目覚めてくれますかね…?」
再び、あの彫像に妖精の心が宿り、穏やかな村に戻ることが出来るだろうか。

「きっと大丈夫だよ。」
肩を叩き、そう言った友雅の言葉が、あかねの胸に染みこんできた。



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Megumi,Ka

suga