Kiss in the Moonlight

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あかねを胸に抱き、友雅は片手で手綱をぱっと振り上げた。
助走を付ける距離もなく、わずかな月明かりしかないというのに、馬はその場からひらりと飛び上がる。

"湖に落ちちゃう!!"
目を瞑ったあかねは、無我夢中で友雅にしがみついたが、次に目を開けた時、馬は荒ぶれることもなく湖の縁に着地していた。


「怪我は?」
何が起こったのか分からず、あかねは放心状態に陥っている。
友雅に声を掛けられても、ぼうっとして口が動かない。

改めて視線を湖の方へ向けてみると、半分まで水に浸かった大きな岩があった。さっきまで、あかねはあの岩の上にいた。
ここからは随分距離があるのに、よくこの馬は飛び越えられたものだ。
まるでペガサスのように、宙を飛ぶ翼でも生えているんじゃないか…と思ったが、至って普通の馬である。
「あかね殿?大丈夫かい?」
「……あ…ええ…と…」
手のひらが頬に触れる。
深緑色の友雅の瞳が、こちらをずっと見つめている。

支えてくれる手に、そっと触れてみた。
友雅さん…だ。
そうか。あの妖精が言ってたように、助けに来てくれたんだ…。
岩から振り落とされそうになってた私を。

と、あかねはもう一度湖に目を移して岩を見た。
…そもそも友雅さんは、どこから岩に飛び乗って来たんだろ?
辺りには橋や、足場になる岩なんて何も無いし。
思いっきり助走を付けても、こんな距離まで飛び移ることなんて出来るのかな?
やっぱり…この馬、翼が変幻自在だったりするんじゃない?

ぺちぺち、と軽い刺激が頬に伝わる。
「あかね殿?私のことが分かる?」
「友雅さ…ん…」
「良かった。獣に記憶を奪われたかと思ったよ。」
ホッとしたような友雅の笑顔。
そんな彼を見上げていたあかねの視界が、突然真っ暗になった。
暖かい胸と艶のある香りに、全身がすっぽりと包まれる。
強い力ではないけれど、しっかりとその腕はあかねを抱きしめてくれている。

「もう大丈夫だから。援軍が着くまで、しばらくここでじっとしておいで。」
「援軍…?」
やっと声に耳を傾ける余裕が出て、友雅の言葉に反応した。
「頼久たちが、ここに向かってくれているよ。」
「え、みんなが?」
前触れも無く連れて来られたというのに、この場所が彼らは分かるのだろうか。
それを言ったら…友雅だって、何故ここまで辿り着けたのか不思議だけど。
「私は特別だからね。君の存在は、どこにいたって感じることが出来るよ。」
どんなにわずかな波動でも、あかねのものなら確信がある。まるでレーダーのように、身体に響いて来るから。
「だから、いつも安心していなさい。どこに行っても、見つけてあげるからね。」

耳元で聞こえた友雅の声と、包み込んでくれるぬくもりと。
もう、彼に甘えてばかりじゃいけないって、誓ったばかりだったのに。
この安心感に触れてしまったら、そのぬるま湯に浸かっていたいと思ってしまう。
こんなんじゃダメ。もっと大人にならないといけないのに…分かっているのに出来ないのは、やっぱり自分が子どもだからなのか。


『友雅、おまえたちの斜め右に、頼久が待機している』
突然どこかから、泰明の声が聞こえてきた。
え、泰明さんどこにいるの!?
きょろきょろと周りを見渡すあかねに、友雅は胸に掛けられたペンダントを取り出して見せた。
「泰明殿が呪いを掛けてくれたんだ。これを通じて、彼と連絡が取れる」
「うそ。本当ですか…?」
『あかね、無事なようで何よりだ』
友雅に寄り添っているからか、同時にあかねにも泰明の声は聞こえるらしい。

『頼久と逆の位置に天真が、私は永泉と共に、岩の裏側にいる。』
言われた通りに目を懲らしてみたが、木々に囲まれていて視界は鮮明にならない。
だが、友雅の目は映っているのか、泰明が言った方向を見ては、何度か指先で合図を送っている。
『準備態勢は整った。詳しいことは友雅に聞け。合図次第で、いつでも動ける。』
ここにやって来るまでの間、既に友雅たちは状況回避法を見つけたらしい。
「私は君を助けられば、それだけで十分なんだけれど…あの岩に封印された妖精を、そのままにはしておけないだろう?」
あかねを護るのが最優先だから、同時に別の責任を果たさねばならない。
一度承ってしまった、この村が再び穏やかさを取り戻すための方法。
それは、妖精を解放させること。

「これからちょっと荒療治にもなるけど、君に危険が及ぶことは一切ないから、安心していておくれ。」
再び手綱を引いた友雅は、もう一度湖に視線を飛ばす。
「私たちの声に従っていれば、必ず無事に事は済む。信じてくれるかい?」
「はい!ちゃんと言う通りにします!」
きっぱりあかねが返事をすると、彼はあやすように何度もあかねの頭を撫でた。
例え身を盾にしようとも、君だけは護るよ。
私はそのために、ここにいるのだから。
自分にそう言い聞かせて、友雅は息を整えた。

「じゃ、泰明殿行くよ。あとの指示は頼む」
『承知。』
二人が言葉を交わしたとたん、勢い良く馬が湖めがけて走り出した。

「ひゃ、ひゃああ〜っ!!!」
さっきは必死で岩にかじりついたが、今度は友雅の胸にがしっとしがみつく。
彼が背中を抱えてくれるだけでも、さっきよりはだいぶ安心ではあるが、鬣までも揺らぐスピードには怖じ気づいてしまう。
更に行き先は、湖の中。
もう一度あの岩に飛び移るつもりか!?

思いっきりバネを使って、浮き上がった身体。
はためく翼もなにも無いのに、友雅とあかねを乗せた馬は軽々と宙を泳いで……すとん、と岩の上に降り立つ。
「状況は?」
『永泉の術が浸透し始めている。そろそろ開始しろ。』
何が何だか分からないが、友雅に言われた通りに、彼らを信じて動くしかない。
うん、絶対にみんなは護ってくれるよね。絶対裏切ったりしないもん。
怖がらないで、信じていればきっと上手く行く!
そう、気合いを入れたとたん…馬が上下に激しく身体を揺らし始めた。

「きゃ…ちょ、ちょっと!?な、何なんですかああああ!?」
「ほらほら、ちゃんとしがみついて。しばらく揺れるよ」
「ゆ、揺れるってどうしてっ…きゃあっ!」
友雅の指示に従って、馬はその場で何度も繰り返し飛び跳ねた。



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Megumi,Ka

suga