Kiss in the Moonlight

 Story=04-----04
しばらく進んでは、一旦立ち止まって耳を澄ませる。
音ではなく、それは心の中に響く、自分にしか分からない特別な波動を求めて。
「気が薄いな…。」
だが、かすかではあるが感じるものがある。
この世のあらゆるものとは異質な、その気を求めて友雅は暗闇の中を進んだ。

もう少し強く感じられたら、一気に馬を走らせられるのに…これでは時間ばかりが掛かる。
おそらく妖精を封印した魔力が余波を与え、あかねの気を塞いでしまっているのだろう、と泰明は言っていた。
ここは慎重に、正確に道を進め。
胸に揺れるペンダントを通じて、泰明の声が聞こえる。

だからって、こうも慎重すぎるくらいのスピードで進んでいたら、辿り着くまでにどれほど掛かるか。
その間に彼女に何かが起こったら、一体どうすれば良いんだ。
気持ちは急くばかりで、苛立ちが募る。

最初から、他人のことなど関わらなければ良かったのだ。
どうせ相手は、ただの通りすがりに出会っただけの、自分たちとは全く関係のない赤の他人。
困りごとを安請け合いなどしなければ…こんなことにはならなかった。
例え頼久たちが後ろ髪を引かれようと、大切な彼女を龍晄山へ送り届けることを第一に、先を進んでいれば。

……でも、きっと君は、私がそんなことを言ったら、"手を貸してあげた方が良い"と言うんだろうね。
そして、知らない振りしてしまおうと言う私を、非情だと窘めるかもしれない。
だけど…最悪誰かを犠牲にしたとしても、君が安全でいられたら良い。
咎められようと、傲慢だと罵られても、彼女を失うことだけは阻止しなくては…。


「あかね殿?」
空耳じゃない。
今、彼女の声が感じられた。
名前を呼んでいる。
夜の静寂の中から、私の名を…彼女の声が。

『友雅、どこに向かっている?』
急に移動を始めた友雅の動きに、泰明が気付いて問い掛けてきた。
だが、友雅には泰明の声は聞こえていなかった。
響いてくるのは、あかねが自分の名を呼ぶ声だけ。
その声の居場所に向かって、ただ真っ直ぐに森を駆け抜けることしか出来ない。
一秒でも早く彼女を、この手で護るために。





-----ごめんなさい。私がもう少し気を付けていたら、あなたを巻き込むことはなかったはず…。
『私も油断してたんですよ。こんな厳しい状況なんだから、もっとしっかりしなきゃいけなかったんです。』
申し訳なさそうに言う妖精の声に、あかねは穏やかに返事をした。

人を襲ったという獣と向かい合うのだから、どんなときでも緊張を解いてはいけなかったのだ。
例え友雅が側にいてくれる時も、頼りきっているだけじゃダメだった。
自分が地に足を着けていなければ、友雅の負担だって増えるだけなのだから。

ダメだな、私…。全然世間知らずだ。
三年の間に色々なことを学んだけれど、何だか一番大切なところが成長していないような。
上級巫女になる知識も重要。
だけど、人に迷惑を掛けないための、周囲への気配りとか…まだまだ未熟なんじゃないかな…。
こんなんじゃ、上級巫女になってからもずっと、友雅さんにお世話してもらわなきゃ、やっていけなくなっちゃうよ…。
はあ…と天を仰いで溜息を付く。

-----気にしなくても、あの方は迷惑だなんて思ってはいませんよ。
妖精の声が、あかねの耳に入ってきた。
-----あなたに関わることを、心から楽しんでいますよ、あの方は。
『それは、私が子どもみたいなことばっかりしてるから、きっと面白がっているだけですよ』
年齢からして、友雅さんよりずっと子どもだし。
人生経験だって全然違うから、甘ったれたことしか考えてないし。
『だから、これからはもっと大人にならなくちゃ…』
彼に頼ることばかり考えないで、自分で冷静に物事を考えるようにならなくては。
この旅が無事に終われば、一人前の上級巫女として政に関わり、国と世界の安泰を願う人生を歩むのだから。

妖精に言われたように、今は起きたことを悔やむより、これからの展開を静かに待とう。
友雅が助けに来てくれるまで、焦らず慌てず、戸惑わずにじっと大人しく……


「きゃああああーーーーーーっ!!!!」

いきなり岩がぐらぐらと動き出し、湖に波が立ち始めた。
真っ暗な水の奥底から無数の泡が沸き出し、まるで地響きのような衝撃が岩を動かし始める。
「いやーっ!お、落ちちゃうーっ!!」
動きはさほど激しくはないが、四方八方にごろりと半回転する岩。
必死にしがみつくあかねを、振るい落とそうとしているかのように動き続ける。
「ちょ、ちょっと…何なのっ!一体これっ…」
-----落ち着いて。もしかしたら威嚇かもしれません。とにかく今は、落ちないように岩にしがみついて…

そんなこと言っても、もう何度も膝まで水に浸かって。
左半身も傾いて水に濡れているし、手のひらが岩の表面に滑るようになってきた。
これ以上、大きく揺さぶられたら…湖に落ちてしまう。
深い深い底に沈んで…潜んでいる獣の餌食になるのがオチ。
何人もの人々が、そういう運命を辿って…ここに眠っている。

「いやっ!絶対にっ…絶対に生きて帰るーっ!!!」
あかねはもう一度気を取り直し、身を乗り出して岩にかじりついた。
まだ旅は始まったばかり。こんなところで、倒れてたまるもんか!
国王さまや上級巫女さまや、たくさんの人が私に期待を託して見送ってくれた。
その期待に応えるのは、龍晄山で新しく上級巫女の冠を貰って、王宮に戻ることしかない。

絶対にまた、笑顔で迎えてもらうんだからーーーーーーっ!!!
そして、みんなに恩返しをするんだから!
私は、絶対に上級巫女になる!こんなところじゃ、絶対に負けないっ…!

ぐらり。
後ろ向きに岩が傾き、あかねの身体が腰まで水に沈んだ。
水辺なのに足は底に着かない。もしかして、思った以上に深いのだろうか。
ゆるゆると動き出した水中の影が、あかねの足元に向かって近付いて来た。
……ま、まさか私を食べに来たんじゃ…
強く意気込んだのも束の間で、接近する獣の影にあかねは身体が動かなくなった。
姿は見えないが、白い目玉がぎろりと水の中でこちらを睨む。
ぞくぞくと鳥肌が立って、もうどうして良いのか分からない。

どうすればいいのっ!まだ死にたくないよーっ!!




-----------カツン!

それは軽やかな音だったが、湖の波音がざわめく中でもしっかりと聞こえた。
まるで風が舞うように、栗色の馬のシルエットが月明かりに浮かぶ。
影は鬱蒼とした闇を飛び越えて、岩の上に乗り移ると、あかねの手元で一旦立ち止まった。
そして、馬上から延びてきた手が、ぐいっと彼女の身体を引き上げた。

……友雅さ…ん!?

姿を認識すると同時に、身体がふわりとスローモーションで持ち上がり、そのまま背中を抱きかかえられて、彼の胸の中へ。
「良かった。間一髪で間に合った。」
記憶に馴染んだその香りと声。
あかねはしっかりと瞼を開き、微笑む友雅をじっと見つめた。



***********

Megumi,Ka

suga