Kiss in the Moonlight

 Story=03-----02
「いや、これは美味いな」
部屋を貸してくれた御礼に、持っているワインを一本ご馳走することにした。
王宮内にある造酒蔵で出来た、まだ比較的新しめの赤ワインであるが、甘みと深みのある良い味だ。
「旅の途中なため、この程度しか御礼するものがなく、申し訳ありません。」
「いいや。そこの坊ちゃんに手伝ってもらったおかげで、有り合わせの材料でこんな立派なもんが食えて、こっちこそ有り難いよ。」
肉を香草のソースで絡めたり、採れたての野菜のサラダに、特製ドレッシングを手作りして。
ついでに新鮮なミルクも使って、ポタージュやデザートまで一通り。
まだずいぶんと若いのに、てきぱきと調理をこなす詩紋の姿には、主人の妻も感心しきりだった。

「へえ。玻璃の港町に行くのかい。」
すっかり肉をたいらげた主人は、鷹通の話に耳を傾けながら、ワインをちびちびと味わっていた。
玻璃という町は、この山を超えて西に下ったところにある、名の知れた港町だ。
しかし、あかねたちが本当に向かっているのは、南の方角。
更にいくつか山道を上り下りしながら、南の最果てにある神の山『龍晄山』を目指している。
『龍晄山』は、上級巫女と国王から許しがなければ、入山出来ない聖なる場所。
…なので、そこに行くということは、トップシークレット。
「玻璃の港は、最近大漁が続いているしな。外の国の貿易港だから賑やかだし、良い代物が手に入るだろうよ。」
楽しめる旅であるならば、そんな話も期待しつつ耳を傾けられるのだが。


食後に、主人の妻が入れてくれた紅茶を飲んでいると、カップボードの上に小さな彫像があることに気付いた。
「ご主人、あの彫像は…随分と美しいものですね?」
友雅が見つめたそれは、大きさはあの像と同じくらい。
透き通るようなガラスの羽根に、ランプの明かりが溶け込んでいる。
「あれは、ここの村を護って下さる妖精様なのですよ」
そう教えてくれたのは、妻の方だった。
ここも山間の村のひとつ。やはり泰明が言っていた通り、妖精信仰はここにも伝わっているようだ。

妻は立ち上がると、棚からその彫像を下ろしてテーブルの真ん中に置く。
「この辺りの村々には、妖精様が一人ずついらっしゃって、その村をお護り下さっているのです。これは、私共の村の妖精様ですのよ」
「へえ。凄い綺麗だなあ」
イノリがそれを、しげしげと眺めながらつぶやく。
王宮お抱えの武器職人ともなると、それらの装飾にも注文が多くなるもので、こういった美術工芸にも興味が出て来る。

「ご主人方、ちょっと見て頂きたいものがあるのだけれど…良いかな?」
「ん?何か珍しいものでも持っているのかい?」
友雅は頼久に声を掛け、彼が持ち帰った例の彫像を、ここに運ぶようにと頼んだ。
地図によれば、あの村は川を越えた向こう側にあるらしい。
まず、不安に満ちた村に足を踏み入れる前に、近隣に住む彼らに噂話でも聞き出してから、行動に移した方が安全だろうと思ったからだ。

頼久はすぐに、布にくるまれた像を持って戻って来た。
そして、さっき主人がやったようにテーブルに置き、はらりと布を取り去る。
「それは……っ!」
こちらが尋ねるよりも先に、彫像を見たとたん主人と妻の顔色が変わった。
「ご存知のようですね。実は彼が、旅の道すがら拾って来たものなんですが、もしかしたらこの辺りの…ものかな、と。」
「ええ。それは隣村の妖精様です。だが、あの村は今、妖精様が獣に捕われてしまっていて…」
どうやら噂は、本当だったようだ。
妻はその像を労るように撫でて、隣村の現状を哀れんでいるように見つめていた。

「実は我々、明日その村に行こうと思っているんですよ」
「あの村へ!?そりゃあんた、悪い事は言わないから止めておいた方が良い!」
友雅の発言を聞くと、主人は即行で答えた。
その様子から、村の現状が予想以上であるのだと、鷹通と永泉は顔を見合わせて納得した。
「まあ…それとなく、噂は耳にしていますよ。だからこそ行ってみなくては…と彼が言うのでね。」
そう言って友雅は、向かいに座る頼久を軽く指差す。
主人と妻は、そちらに向かって視線を動かした。
村の厳しい状態を知りつつ、だからこそ行かなくては、と思うなんて…。
一体この若者は何故、そんな危険なことを?
しげしげと頼久の姿を眺めながら、二人は首を傾げる。

「昨日滞在した町で、その村の方と御会いし、助けを求められたのだそうです。」
永泉が頼久に代わって、主人たちに事の説明を始めた。
もちろん、全てをそのまま話してしまっては、ますます彼らを不安にしてしまいそうなので…少しだけ端折って。



「そうかい。そんなことがあったとは…」
「お気の毒に…。さぞかし故郷が心配でしょうにねえ…」
頼久たちから話を聞き終えた主人は、腕を組んでううんと唸った。
昔は隣村同士で交流もあったが、守護妖精が捕らえられた一件から、もう殆ど交流もなくなっている。
もしもまた、獣が森から降りてきていたとしたら…と、それが恐ろしくて、今は足を踏み入れることもない。
だが、それでも親しかった人々の多い隣村を、どこかでいつも気に掛けている自分たちがいる。
「私たちも、話を聞いて気に掛かってね。せめて村の様子だけでも、確かめたいと思ったのですよ。」
「…だが大丈夫なのかい?さっき話したように、獣にかち合ったら…命も危ういんだよ?」
まだ年も若い少年二人の他は、ほっそりした物腰の柔らかげな青年が三人。
残りの三人は、それぞれ上背はあるけれども…。

「私は全く自信はないけれど、天真はこれでも力はあるし。それに、頼久の剣の腕前は、国王からも認められているんだよ。」
「なっ…こ、国王様から!?」
頼久が差し出した剣には、確かに国王からの刻印が入っている。
初めて見るそれに、主人たちは驚きつつ目を見張る。

「それでね、図々しいとは思うんだけど…数日ほどここに滞在させてもらえないだろうか?」
例の村が安全だという保証はない。
もしものことを考えて、比較的問題のなさそうなここを拠点として、探りに出掛ける方が安心ではないかと。
「ああ、それは別に構わないけれど…。本当に無茶はしないほうが良いからね?危ないと思ったら、すぐに戻って来るんだよ?」
「もちろん。何せ私たちには、大切な護衛の役目があるしね。」
友雅はそう言って、隣にいるあかねの背中を軽く叩いた。


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食事を終えて、各自部屋に戻って行ったが、あかねだけは母屋に残り、主の妻に部屋へと案内してもらった。
その部屋には、少し型は古いが、綺麗に使い込まれた家具が揃う。
キルトのベッドカバーやクッションなど、最近まで住んでいた娘の優しい空気が、この部屋には漂っている。
「色々とありがとうございます。すいません、急にお邪魔してしまって…」
「いいえ、良いんですよ。私たちも娘が嫁いだばかりで、何だか寂しくてね。若いお嬢さんのお世話するのが、何だか嬉しいわ。」
もう一人彼らには息子がいて、隣国の学院に留学中なのだという。
娘が良縁に恵まれたのは有り難いことだが、夫婦二人きりになってしまってからは、やはり心細いこともあるのだと話した。

「何か足りないものがあるかしら?まだ娘のものがいろいろ残っているし、必要なものがあれば何でも言ってちょうだいね」
「はい。今のところは別に……」

コンコン

ドアをノックする音がして、二人が振り返ると、ゆっくり戸が開いた。
「失礼。お嬢様のご様子を伺いに来たのだけれど、宜しいですか?」
「あ、ええ…どうぞ。」
彼女はベッドから立ち上がって、友雅を中に招き入れた。

…お嬢様、かぁ。
その呼ばれ方、まだしっくり来ないなあ、とあかねは思った。
商家のお嬢様という設定だから、そう呼ばれるのは仕方が無いのだけれど…元々普通の家の娘だったのだし。
そんな風に呼ばれるのには、小さい頃は憧れたりしたけど、実際こうなってみると気恥ずかしいものだ。

「じゃ、私はこれで。ゆっくりお休みなさいね」
友雅があかねの隣に腰を下ろすと、妻はそっと部屋から出て行った。



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Megumi,Ka

suga