Kiss in the Moonlight

 Story=35-----03
「ですが、あかね殿…。あなたもおっしゃったように、何もかも把握することは無茶でしょう。そこまで思い詰めなくとも…」
永泉が、口を挟んだ。
あかねが真面目な性格なのは、永泉もよく知っているところである。
旅を共にして経験してきたことは、彼女にとっても未知のことで心に響いたに違いない。
だからと言って、世界中のあらゆる問題を把握するなんて、泰明の法力を駆使しても完全フォローは無理だ。
十分に彼女は、彼女なりに出来ることをやって来た。
これ以上のことを強要されることも、ないと思うのだが。

そう考えていた永泉に、あかねのはっきりとした声が返ってくる。
「ダメなんです、今のままじゃ。私は、進歩しなくちゃいけないんです、上級巫女として」
何か決意をしたような、強い意志を持つ声。
不思議と、小さな彼女の身体が大きく見えてきた…そこにいる誰もが。
「これまで頑張って下さっていた巫女様を超えなきゃ。同じことを繰り返していては、ダメなんです。新しい何かを…始めないと」
「新しい何か?まさかあかね殿、そなたもイノリのように、何か計画していることがあるのか?」
王がこちらを覗き込むようにして、声を掛けてきた。
上級巫女ともなると、これまでのように頻繁に自由な時間はなくなる。
趣味とか嗜好を楽しむにしても、そんな余裕はないと思うのだが。
するとあかねは、やや控えめな口調に変わった。
「陛下…確かに新しい提案ではあるのですけれど…。ちょっと突拍子もないことなんですが、お話しても良いですか?」
「うむ、構わぬよ。最後まで聞かせて欲しいものだ」
あかねは深く息を吸い込み、呼吸を整えた。
そして、支えてくれるぬくもりを頼りに、戸惑いを振り切って言葉を紡いだ。

「私はもう少し、市井の人たちの生の声を聞きたいんです。自分の耳と目で」
………?しーんと静まりかえった、ダイニングルーム。
空気が一瞬、ひんやりとしたまま止まる。
「王宮の中で、伝えられてくる情報とか噂じゃなくて、実際に私が自分自身の身体で、町の人たちが穏やかに過ごしているか、確認したいんです」
「…あかね、つまりどういうことなの?」
皇太子妃が尋ね返すと、あかねはすぐに答えた。
「王宮の外に出て、もう少し旅をしたいんです。このままじゃ、本当に大切なことも見逃してしまいそうなので」
旅をしたい…って、そんな。
部屋の中が一気にざわめき始めた。厨房と食堂を行き来していた女中たちも、耳に入ってきたあかねの声にざわつき始めた。
これから旅に出るだなんて、そんなことはそれこそ不可能だ。
上級巫女は毎日、身を清めて祈祷を捧げ、天啓を通じ合わせる儀式を行わねば。
週に一度の日の曜日だけしか、休みはない。それ以外は常に巫女としての役目があるのだ。
そんな任務を背負っているのに、また旅に出たいなんてことは。

「あかね、あなた何を言っているか分かる?王宮の外に出られる機会なんて、もう殆どないって分かっているでしょう?」
「はい、分かっています。だから、何日も掛けて外出するような旅は望みません」
というコトは一体…?
皆が困惑する中で、友雅だけは平然として何も言わない。
じっと席に着いたまま、彼女の手を握っているだけである。
おそらく、彼はあかねの言いたい真実を理解しているのだ。
「月に一度でも良いです。ほんの一泊…くらい。外に出て、普通の人として町の中に溶け込んで、人々がどんな状況にあるのかを自分で確かめたいんです」
王宮から一泊なんて、すぐ外に広がる町か、馬を急がせてせいぜいあかねの故郷の町くらいが範囲内。
「土曜日の夕方か夜に出掛けて、日曜の夜には戻ってきます。そういう旅は、許してもらえませんか」
「許すって言っても、あかね…」
まさかそんなことを言い出すなんて、皇太子妃の彼女も想像していなかったことだった。
自分は先代に、上級巫女となったら外出は不可能と考えろ、と教えられたし、そうやって生きてきたつもりだ。
それをあかねは、自らの意志で覆そうとしている。

「あかね、あなたの気持ちは分かるわ。でも、近場ばかりの町では、結局偏った情報しか得られないんじゃない?だったら、わざわざ外泊して出掛ける必要もないんじゃないかと思うのだけど」
「失礼、口を挟ませて頂きますが…、それに関しては、私もいろいろと心当たりを当たってみたところです」
突然友雅が、横から割り込んできた。
そして彼はポケットの中から、数枚のカードを取り出してテーブルの上に置く。
カードにはそれぞれ人名が記され、店の名前とも思えるものも明記されていた。
「これは、所謂情報屋の名刺です。東西南北の各国に通じている、かなりの口利きばかりです。そして、この店は情報屋たちのたまり場。月に一度、情報交換に集まってくるとのことを聞き出しました」
「友雅さんっ?い、いつの間にそんな…!」
あかねが驚きを隠せずにいると、友雅は余裕で笑みを浮かべて目配せをする。
つい数時間前に、この提案を打ち明けたばかりだというのに、もう手配が済んでいるだなんて。
着替えに戻った1時間と少しの間に、これらの情報を集めたというのだろうか…。だとしたら、何という手の早さか。

「彼らは庶民の噂、国の内情など情報は豊富です。遠方まで行かずとも、彼らが集まる場所に行けば良いだけのことです」
それなら、王宮に連絡を送ってくれれば良いと思うのだが、友雅はNOと答えた。
「上級巫女の正体を、明かすわけには行かないでしょう。王宮に連絡を、なんて言われたら警戒される。だから、一般の市井の者として彼らの噂話に耳を傾けるのです。真正面から尋ねるより、ぽろっと本音をこぼすチャンスもあるかもしれませんしね」
広げたカードを再びかき集め、友雅はポケットの中に仕舞い込んだ。
そして、改めて今度は友雅が立ち上がる。
「あかね殿から、話は全て聞かせて頂きました。最初は無茶なことではと思いましたが、次の日に帰ってこられる距離で、と提案したのは私です」
「友雅…そなたが?」
驚く王に、こくりと友雅はうなづいた。

「さすがに私も、長旅なんて賛成できませんよ。大切な上級巫女殿ですからね、何としてでも危険は避けたい」
だから、せめて近場でやり過ごしておこう。
情報屋と呼ばれる輩も多いし、それらが集まるところを探しておくから、とあかねに言い聞かせた。
最初は微妙な顔をしていた彼女だが、見知らぬ場所に行って危険が及んだら、君だけではなく私にも危険が及ぶのだ-----と言ったら、あかねはすんなり提案を受け入れた。
その時、小さな声でつぶやいた声。
……友雅さんをこれ以上、危険な目に遭わせたくないですから。
一人の人間としてはもちろん、大切な人だからこそ。
龍と対決して傷を負った彼を見守りながら、もうこんな気持ちは味わいたくないと思ったのだ…と、彼女は友雅の腕の中で答えた。
「ですが、あかね殿の意志は尊重して差し上げたい。となれば、安全な町を選んで、細かい情報を集められる場所を点々としながら、町中の日常に触れるのが良いかと助言致しました」
「…それに、あなたは着いて行くのよね?」
「当然ですよ。私は、あかね殿を御護りする人間ですので」
ぽん、と友雅の手があかねの背中を押す。バトンタッチ、という意味を込めて。

もう一度息を整えて、友雅が言ってくれたことを整理して。
改めて、言葉を吐き出す。
「私は困っている人を助けたいし、辛い思いをしている人を、やっぱり助けたい。でも、私は戦う力なんてないし、例えば賊に襲われている人を助ける力なんてないです」
でもきっと私には、私だからこそ出来る、別の何かがあると思う。上級巫女だからこそ出来る、最低限のことが。
力で助けるのではなくて、もっと違う方向で。
「はっきりとは、まだ答えが出ていません。でも、だからこそ出来るだけ世界をこの目で見て、本当の安寧に何が必要なのかを、確かめるのが必要だと思うんです」
無知ということが、何よりも苦痛だ。
知っていれば助けられたことを、知らなかったから間に合わなかった…と悔やむことはしたくない。
「今までの上級巫女なら、あり得ないことだろうと思います。でも、それでも新しい何かを試して、もっと良い新しい世界を作っていきたい」
私じゃなきゃだめだ。自分の目で見なくちゃ、きっと真実は掴めない。
自分のためにも、世界のためにも。

「何かあったら…どうするつもりなの。あなた、世間を良く知らないんだから、それこそ色々と不安があるわ」
皇太子妃に言われて、あかねは苦笑いをする。
あまりにも、直球ストレートな正解の意見なので。
隣にいる友雅も、小さな声で笑っているし。
一人だったら確かに不安だろう。
でも。

「大丈夫です。一番信頼できる人が、私と一緒にいてくれるので」
視線は合わせないけれど、隣に感じるその人の存在。
彼がいつもここにいて、危険なエリアに踏み込む前に止めてくれるはず。
だが、元から危険というものが存在しなければ、どこに行っても安心していられるのだ。
危険とは、迷い、戸惑い、悲しみなどが生み出すもの。
それらを少しでも消し去るために、私は上級巫女となったのだから------------。



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Megumi,Ka

suga