Kiss in the Moonlight

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殆どの者がメインディッシュを済ませ、デザートに舌鼓を打つ。
あっさりと舌に優しい、洋なしのソルベを銀のスプーンですくいながら、口を開いたのは皇太子妃の彼女だった。
「そういえばあかね、王宮の薬師たちが良い薬を発見したみたいよ」
宮中には専属の薬師が、百人ほど常に待機している。
王族の健康管理はもちろんだが、宮廷内の者たちに処方する調薬、更に新しい薬品の研究なども行う精鋭揃いだ。
その中の、研究班に属している者たちが、ある病気回復への手かがりになる物質を発見したらしい。
「正確にそれらが好反応を示すかは、まだ分からぬ。ただし、人体に害が生じる物質ではない。試す価値は十分にある」
泰明がいつもの冷静な口調で、分かり易くはっきりと説明をした。

他に余計な説明は一切なかったが、皆それが何のことであるのかは察していた。
複雑な表情を浮かべているのは、藤姫一人。
彼女が従じていた守護妖精が護る土地を、めちゃくちゃにした人物が願っていた…大切な人の回復。
いくら解決したとはいえ、藤姫の過去はまだ完全に癒されてはいないだろう。
「藤姫、あなたには辛い話題かもしれないけれど…」
少し伏し目がちな彼女を労るように、皇太子妃が声を掛ける。
「いいえ、もう大丈夫ですわ…。お嬢様にも言われておりますので」
人間として王宮に置いてもらい、あかねの手助けをするよう彼女の主は言った。
あかねたちのおかげで、今はもう村に心配事はないのだから、辛かったことは過去として封印してしまいなさい。
その言葉通りに、懸命に吹っ切ろうとして頑張ってきたが、やはりわずかながら記憶は身体に染みついてしまっている。

「これから一緒に、楽しいことをして過ごしていこうね」
はっとして顔を上げた藤姫が見たのは、目の前に座っているあかねの笑顔だった。
「昔のことを思い出す暇がないくらいに、いろいろ…面白いことしていこうね、藤姫ちゃん」
あかねが発した言葉は、これまでの傷に触れることのない、現在と未来だけを見た言葉。
一瞬でも過去の傷に触れてしまったら、藤姫は記憶を蘇らせてしまうだろう。
だから、敢えてこれからのことを。
これから始まる、楽しいことを思い巡らせながら笑いかけた。
艶やかな瞳を潤ませながら、嬉しそうにただうなずく藤姫の顔。
そんな小さい彼女の背を、黙って撫でる隣の永泉。
友雅は-----あかねの横顔に視線を向ける。

以前、敵とも言える相手だったシリンに対し、土下座さえも辞せず氷漬けの女性たちを解放しろ、と嘆願したあかね。
絶対に彼女の大切な人を、病から救う方法を見付けてみせるから、と。
迷わずはっきりと言い切った、潔さを含めた清らかさが今も鮮明に思い出される。
あの時初めて、あかねは上級巫女に相応しい、と直感が走った。
真っ直ぐすぎる嫌いはあるが、だからこそ汚れない純粋無垢なものを受け止め、見つめられる。
自分が意識を凝らして、人の本音を見抜くのとは違う。
彼女はきっと…天性の力で、自覚することもなく人の辛さに気付き、そして癒す術を知っているのだ。

……君は、上級巫女となるために生まれてきた。
今は本当に、そう思うよ。
昼間彼女が話してくれた内容を思い出しながら、友雅はデザートのスプーンをプレートの上に置いた。



食事を終え、デザートも終え、食後のコーヒーと紅茶がそれぞれ二杯目のおかわりをしていると言うのに、話題はまったく尽きることがない。
このままでは朝まででも、話が続いてしまいそうな賑わい。
しかし、もちろんそういうわけにも行かない。
王を始めとする王族一同、天真や頼久も自分たちの仕事がある。
そしてあかねは…明日からいよいよ、上級巫女としての生活が本格的に始まる。
「始めは戸惑うことも、多々あると思うが…、そなたは立派な巫女として生きてくれるだろう。期待しているよ」
「は、はい…ありがとうございます、陛下」
「私もしばらくは、出来るだけ時間を作ってあなたのところに行くわ。手が足りないとか困ったことがあったら、すぐに呼んでね」
これまでの三年間は、上級巫女に"なるため"の期間。
明日からは、上級巫女として"生きる"ための日々である。つまり、基礎と実践…という感じだ。

もっともっと、上を目指して行かなきゃならない。
今まで自分たちが穏やかに暮らして来られたのは、今目の前にいる先代の上級巫女が優れた力を発揮していたからだろう。
でも、それでも…気付かなかった綻びや、悲劇はあちこちに潜んでいた。
それを、あかねは旅の中で思い知らされることになった。

だから---------------。

「あのっ……」
穏やかなムードのダイニングテーブルに、突然手を付いて立ち上がったあかね。
皆の視線が、一同に彼女に集中する。
そのプレッシャーに怖じ気づきそうになった時、隣から重ねられた手があった。
………友雅さん…。
大きな手が、あかねの手をすべて包み込む。優しいぬくもりが伝わって、その中に"落ち着いて"という彼の声が聞こえたような。
最初打ち明けた時はさすがに驚いていたけれど、こうしたらどうか、ここは止めてこうするべきかも、と、最後の最後までアドバイスをくれた。
そして最後に、味方だからね、と彼は言ってくれた。
うん、大丈夫…。ちゃんとみんなに説明する。
このまま現状維持ではダメだから。もっとたくさんの人が、幸せになってもらわなきゃいけないから。
それが……上級巫女の私が願う世界だから。

「もうそろそろお開きの時間なんですけど…最後にちょっとだけ、私の話を聞いて頂けませんか」
一体何事だろう?と首を傾げつつ、皆が耳を傾けた。
王も皇太子妃も、黙ってあかねの話を聞く体勢に入っている。
さあ、思っていたことを打ち明けてしまおう。
これからの…未来のために。

「これまでの旅のお話をした時に、いろいろな出来事に遭遇したのですけど…楽しいこともありました。けど、本当に危険なこともいくつかあって、ハラハラしたり怖かったりということもありました」
盗賊団から逃げ回ったり、夜逃げの手助けをしたり。
湖に棲むモンスターのようなものに、捕らわれて間一髪の危機に陥ったり。
その反面で異国の町で、珍しいものや文化、人々に触れて面白い経験をしたこともある。
「でも、そんな楽しいことがあった分…やっぱり辛いことが、尚更に克明に思い出されるんです。例えば…さっきのシェンナ崩壊の話とか、シリン…さんの悩んでいた原因とか」
「シェンナが消滅したのは、我らは以前から知っておったよ」
「はい、陛下は各国の情報に長けていらっしゃいますから、当然ご存じだったと思います。ですが問題なのは…それを私が全然知らなかった、という事実なんです」
王の問いにひるみもせず、あかねはしっかりと受け答えをした。

「私は上級巫女として、世界のすべてを理解していなければいけません。苦しんでいる人、悲しんでいる人、そういう人たちを知っていなくてはいけない、そう思いました」
かと言って、すべてを把握するなんてことは不可能だ。
この世界には数え切れないほどの国があり、その中に町や村がある。そして、一人一人が生きている。
歴史書や情報を駆使しても、聞こえてこないものは多い。
国家的な問題はともかくとして、町の中で起こっている庶民の問題なんてものは、スルーされてしまうのが殆どだ。
だから、ユニコーンの生贄になる女性の話も、あの時初めて知ったことだし。
そして藤姫の主が守護していた村が、あんなにも悲惨な状態になっていたことも知らなかった。

そうやって、その地に立って初めて知った出来事。
大切な娘が戻らずに、人生を投げやりに生きている男性。
モンスターを恐れて、外出も出来ない村の人々。
盗賊たちに捕まることを恐れ、逃げ回っていた老人。
思う人が病に倒れ、悪に手を染めてでも彼を助けよう、と決意した女性…。
「みんな、とても辛い想いをしていたんです。国を揺るがす大きな事件ではないけれど、その人にとってはそれと同じくらい、大切で辛い事件だったんです」
しかし、それをあかねは知らなかった。
もしも旅であの場所を通らなかったら、彼らと出会うことがなかったら、今も知らないままだっただろう。
皆、希望も見出せずに苦しい心を抱いたまま、灰色の生活を続けていたはずだ。
奇跡的な偶然のおかげで、彼らに手を貸すことが出来た。
わずかな人数ではあったが、その苦しみを払ってあげることが出来た。
その結果に文句はない。

「でも、それはほんの一部の人たちであって…。きっと私の知らないところで、まだまだ辛い毎日を過ごしている人は、必ずいるんです」
おそらくその数は、今回助けられた人たちとは比べものにならない。
あかねの知らないところで、涙を流して生きている人は…必ずいるはず。
「そんな状態じゃ…ダメなんです。みんなを救えないと、みんなが笑顔でいられるようにならないと…」
友雅に手を握ってもらいながら、あかねは思っていたことをどんどん吐き出していった。



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Megumi,Ka

suga