Kiss in the Moonlight

 Story=34-----04
「おはようございます、あかね様、友雅様」
食堂にやって来ると、既に二人分の食事が用意されていた。
昨日は特別な献立だったし、継承儀式の緊張が一日中続いていて、晩餐会でもろくに食べられなかった。
さすがにそうなると、普通に空腹感が襲ってくる。
「いくらお腹が空いていても、いきなりたくさん食べるのは胃に悪いよ。ほどほどにね?」
「わ、分かってますよ〜」
気まずそうな顔で、あかねは目の前のスプーンを手に取る。

友雅が念を押したのには、理由があった。
抱き合っている最中、あろうことかきゅうっとお腹が鳴ってしまったのだ。
何というタイミングの悪さ。
それまでの甘い雰囲気も、一瞬でコメディに様変わり。
そろそろ食事をしないといけない、と彼に言われて、こうしてブランチにありついたというわけである。

スプーンですくう、クリームポタージュが喉越しに優しい。
まろやかなチーズのリゾットや、サラダも温野菜として調理されている。
おそらく友雅があかねの身体を労るため、食事の用意を頼む時に女中に一言添えたのだろう。
隣の彼のメニューはといえば、至って普通のメニューであるし。
こんなところからも、護られているんだ、と感じる。
力で護られているのではなくて、心で護ってくれているという優しさが伝わる。
それは自分が上級巫女であるだけではなくて、もうひとつの意味があるのだと今は分かる。

食堂は自分たち二人だけだが、女中たちは忙しく部屋と厨房を何度も行き来する。
二人きりだったら、思い切り大好きだとしがみつきたいのに、残念ながら無理だ。


「あら、今からブランチなの?」
すらっとしたしなやかなシルエットが、食堂の入口から顔を覗かせた。
和やかな印象の、生成色したワンピースドレスの彼女は、ダイニングテーブルの前に座る二人を見付け、こちらにやって来る。
昨日までは、彼女が上級巫女であったが、もう今日からは違う。
あかねが上級巫女であり、彼女は未来の皇太子妃だ。
「今日は滅多にない、自由な休日ですからね。今朝はゆっくりだったんですよ」
「そうねえ。昨日は大変だったものねえ」
友雅の答えに頷きながら、彼女は二人の向かい側に腰を下ろした。

厨房ではすぐに紅茶が用意され、フレーバーティーが運ばれてきた。
ガラスポットの中には、清々しい緑の香草が数種類ブレンドされている。
彼女がカップに注ぎ入れると、ハーブの香りのする湯気が上った。
「今日はあかねが好きなように、過ごしなさい。どこに出掛けても構わないから」
王宮の外には出られないけれども、敷地内なら行き来は自由。
外界の町に劣らないほどの、町並みと施設が揃った王宮内部なら、退屈することはないはずだ。
「明日からは、また気を引き締めてもらわないといけないし。今日一日を、大切になさい」
「はい、分かりました」
上級巫女ではなくなったとはいえ、自分よりも長い時間その座に就いていた女性。
まだまだ彼女から、教えてもらうことはたくさんある。
そうして、いつか自分が次世代の候補に対して、きちんと正しいことを教えてあげられるように、もっと成長して行かねばならない。
歩き出したばかりであるが、あかねの中にはそんな強い意志があった。

「元気そうで良かったわ」
空になったカップを、コトンとテーブルの上に置く。
彼女はあかねと友雅の顔を、ひとつの視野に入れながらにっこりと微笑む。
「私…ですか?私は別にいつも通り、元気ですよ?」
言われた事に不思議がって、あかねが返事をすると小さな笑い声が上がった。
「そうね、いつものあかねに戻ったみたいね。誰かさんのおかげで」
意味深な言葉と、その視線が向けられた先。
"誰かさん"が果たして誰のことなのか、言わなくてもすぐに気付く。
「ふふっ…みんなホッとするわね。これからはきっと安泰だわ」
皇太子妃となる彼女のみならず、皇太子、更に国王までも巻き込んで。
どうしたらお互いが、その気持ちを確かめ合えるのか、見ている方も随分やきもきしていたものだ。
しかし、その心配も彼女が正式に継承したと同時に、上手くまとまったらしい。

「不思議ねえ、私の時と一緒ね。ということは、いずれあなたたちも私たちみたいに、結ばれる時が来るのかしら」
そういえば…以前彼女が言っていたっけ。
自分が継承したその夜に、皇太子から思いを打ち明けられたと。
「でも、あかねにはしばらくの間は、上級巫女として頑張ってもらわないとね。友雅、くれぐれも頼むわよ?」
「私は今も昔も、勿論これからもあかね殿をお護りし、最善のサポートに努める所存ですが?」
そういう意味じゃなくて、と彼の言葉を彼女は塞ぐ。
で、にこやかにもう一度笑顔を整えて。
「継承したばかりのあかねを、早々に母親にはしないでね、っていうことよ」
「これはまた、刺激の強いことをおっしゃいますね」
くすくすと互いに笑い合う二人。
その横であかねはと言えば、真っ赤になってリゾットの皿をかき回している。

「あなたがいれば、大丈夫ね」
穏やかな声が、誰に向けて発せられたのか。それを確かめようと顔を上げると、視線が彼女とぶつかった。
「あかねも友雅も、お互いが一緒にいれば大丈夫、よね」
始まったばかりの長い道程。
ゴールらしいゴールがどこにあるのか、それはまだ確認できない。
けれど、例え足元しか見えない暗い道であっても、信じられる人が手を取ってくれれば、きっと歩いて行ける。

「これから、よろしくね。あかね--------」
姿勢を正した彼女が、今度はしっかりとあかねと向き合う。
「人を愛する気持ちは、尊いものだから。それが例え個人的な、たった1人への恋愛感情であっても、愛する気持ちに変わりはないのよ」
誰かを想う気持ち。その人を愛しいと想うから、幸せを願う。
時には残酷なほど、独善的な結果を生み出してしまう、危険と背中合わせの感情。
「でも、労り合う気持ちがあればね、そんな結果はないはずよ。あなたたちは、その気持ちを知っていると思うわ」
いつかその、1人への思いが大きな思いに広がって。
すべての人が笑顔を絶やさず、愛する人と愛せる、そんな安寧の世界を願うようになる。
「これからのあかねに、一番大切なのは…その気持ち。忘れないでね」
というより、
「友雅がそばにいれば、嫌でも忘れないでしょうけれどね?」
付け加えた台詞のあとで、彼女はちょっと悪戯めいた表情で笑った。



彼女が退席し、ブランチも終わった。
藤姫が食後の紅茶を、二人分入れてやって来た。
「随分とゆっくりお休みになっていたので、少し心配しておりましたの」
「あはは…ごめんね。すごく疲れちゃって起きられなくて」
やはり想像した通り、あかねたちの部屋の前に来たのは彼女だったらしい。
まさか友雅の部屋から顔を出すわけにもいかないし、そこは何とか上手く二人でスルーすることにして。

「今日は、どのようにお過ごしになりますの?私、何かお手伝いすることがありましたら、時間を作って頂きますわ」
友雅と逆の席に座り、黒く艶やかな瞳で覗き込む。
時間はまだ午前中。出掛けるにしても、時間はたっぷり余裕がある。
久しぶりに藤姫とお菓子作りをするのも楽しそうだし、やっぱり…彼と一緒にいたい気持ちもある。
大切な休日。自分にとって、意味のある過ごし方をしたいけれど。


「……そうだ」
あかねは、あることを思い出した。
「友雅さん、午後からちょっと…聞いて欲しいことがあるんです。時間、大丈夫ですか?」
「私は構わないけれど…。何か、重要な話かい?」
「はい。これからの私の役目のことで、ひとつ…どうしても相談したくて」
明日からの自分にとって、大切なことがある。
ずっと心の隅で考えていた小さな提案。これが果たして、正論であるのかどうか。
今まで誰にも言わなかったから、それを彼に見極めて欲しい。

「分かったよ。少し外を散歩でもして、リラックスしたら…部屋に戻ろう」
真っ直ぐに輝く彼女の瞳に、友雅はすんなりと受け答えた。



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Megumi,Ka

suga