Kiss in the Moonlight

 Story=34-----01
-----------まるで、夢を見ているみたいだ。

柔らかい月明かりが、濃紺のブランケットカバーに注がれる。
手の込んだ刺繍を施された表面は、星屑がきらめているようにも見える。
彼のコロンがささやかに染み込んだ、広いベッドの中で過ごすまどろみの時間。
あかねを抱きしめながら、彼は幾度もそんな言葉を繰り返した。
頬を撫で、髪をすくい上げ、その肌に触れてみても、未だにどこか落ち着かない。
目の前に訪れた現実は、彼にとってまさに"夢"なのではないか、と思わざるを得なかった。

何回、この想いを諦めただろう。
諦めるたびに、これほど愛してしまったことを自覚させられ…そして切なさを味わって。
理解したつもりでも、忘れられないからこそ、募って行くものを消せずにいた。
「本当のことを言うと、やっぱり今でも信じられない」
腕の中に身を寄せるあかねが、少し照れくさそうな顔でこちらを見る。
小さな細い肩を抱きしめて、ぴたりとぬくもり同士を重ねたまま、ひとつのブランケットにくるまった。
「触れても良い?」
「え、あの…っ」
戸惑うあかねの頬に、友雅は指先を伸ばした。
ふっくら柔らかな頬は、夜目でもほのかに上気して紅を添える。
顎を引き上げれば、その唇は艶やかに輝いて、彼の心を更に惹き付けた。

口づけのあと、さっきのようにごろりと体勢を変えて、友雅の重心をすべて受け止めながらベッドに横たわる。
二人分の重みで沈むマットとピロー。
皺の寄ったシーツなんて気にせず、身体は解れようとしない。
見守るように照らす月明かりが、視界に優しい。
「本当にここにいるのは、あかね殿かい?」
「んもー…それ、何度目ですか〜?私が二人も、いるはずないでしょうっ」
あかねはそう言って、友雅の肩を手で軽く叩く。
そんな彼女を見下ろしながら、静かに友雅は艶やかな笑みを浮かべた。
「ふふっ、そりゃそうだ。何人もいたら、私一人では目が届かなくて大変だ」
「あっ、酷い!何かそれ、私が落ち着きのない子どもみたいじゃないですかー!」
口を尖らせるあかねに、友雅は微笑んでいるだけ。
まるで肯定されているようにも見えて、今度は彼女の頬が膨れてきた。

「まあ、否定はしないけれど」
「あー!やっぱりっ…」
こんな関係になっても、まだ子ども扱いするなんて!と不服げなあかね。
しかし彼はそんな彼女の背に手を回し、もう一度強くその身体を抱きしめた。
「だってね、もしも君が何人もいたとしたら、それこそ私は嫉妬でおかしくなるに決まってる」
たった一人の彼女に、晩餐会で言い寄ってきた男は幾人も。
その度に相手への嫌悪感を抱き、時には彼女が相手に心惹かれるのではないか、と不安になり。
「一人の君に対してこんな状態なのに、他にも君がいたら…心が追い付かないよ」
と、言って彼は、また唇を重ねた。
砕けそうに華奢な身体を、大切に抱きすくめながら…恋人としてのキスを。


何故、これまで想いを打ち明けてくれなかったのか。
あかねの問いに対して、友雅は丁寧に正確に事情を話してくれた。
「君が自然に、自分から求めてこその恋愛成立だからね。意図的に意識させることは、禁じられていたんだよ」
不必要なまでに、上級巫女候補の感情を困惑させてはならない。
恋愛関係は禁じないが、それはあくまでも彼女が自ら、本人の意思で恋に落ちるのが前提。
「私の心の中も……見るの、禁じられていたんですよね」
自分の胸に手を当てて友雅の顔を見上げると、静かに彼はうなづいた。
「君が私をどう捕らえているか。この気持ちが一方通行なのか確かめたかったよ。でも、それが出来ないんだから…そりゃあもう、切ない毎日だったよ」
ふざけるように笑い声を絡ませて彼は言うが、冗談というわけでもないんだと付け加えた。

一番近くにいるのに、伝えられない空しさは本当。
もしも彼女が上級巫女候補ではなくて、普通の女性だったら、戸惑うことなく打ち明けられたのだから。
「そばにいるというのも、時には残酷な仕打ちだよねえ…ってね。そんなことも考えたな、結構」
けれど、それも今は笑い話として回想できる。
腕の中に、彼女がいてくれるから。

「一生、他の人は好きになれないって…本気だったんですか?」
あかねは、友雅に問い掛けてみた。
普段の彼から見たら、とても想像出来ないほどの情熱的な言葉に驚いたけれど、その真相はどうなのか。
「そう成らざるを得なかったんだよ、私は」
独り身で上級巫女を護る任を命じられた者は、男女問わず生涯を彼女に捧げる。
既婚の場合は問題ないが、それ以外の者は恋愛は自由であっても、結婚し家庭を持つことは許されない。巫女本人よりも、決まりは厳しい。

ただし、護る者が男性だった場合-----ひとつだけ希望が残されていた。
「それはね、上級巫女が求めてくれたら…」
友雅は、あかねの手をそっと握る。
優先されるのは、上級巫女自身の感情。
その彼女が、護る者である男性を恋い慕い、心から求めたとしたら。
「でも、それ以外は認められないからね。だから、つまり…そういうこと」
そしてもし、彼女が別の男性と恋に落ちて結ばれたとしたら、そこで彼の恋は永遠に終わる。
死ぬまで彼女のそばにいながら、一人で生きるしか道がない。
「そういう意味でも、私はその人しか愛せなかったんだよ、一生に一人だけね」
例えその後で恋をしたとしても、近くに最愛だった人がいる限りは吹っ切れるわけがない。
何年も、何十年も、切なさだけを抱いて生きる運命だったのだ。

「可哀想だろう?私も、自分の運命に嘆きたかったよ」
こんなことだったら、さっさと身を固めてしまえば良かったかもしれない、なんて思ったこともある。
でも、最初からそんなことは、無理だったんだろう、と友雅は首を振った。
「今まで出会った女性に、こんなにまで深い想いを抱いたことなんてなかったから。おそらく、私が君を護る者として選ばれたのも、運命だったのかな」
しっかりと彼女の手を握り、頬に唇を落とす。

「君以外を護ることも、愛することも…出来なかったのかもしれない」
「…私以外には…?」
「そう。上級巫女候補として、だけじゃなくね。女性としても、ね」
そう考えたら、この運命もまんざら悪いわけでもない。
一時は悲劇的だと思ったものだが、こんなどんでん返しが待っているのなら。
「終わりよければ…だね」
この上ない優しさと、甘美さを兼ね備えた瞳。
彼女をその中に捕らえながら、友雅は強く身体を抱きしめた。


「私も信じられなかったんです…」
両手を背中に回して、彼に抱きかかえてもらいながらあかねがつぶやく。
恋心を自覚したのは、つい最近のこと。
けれども彼は自分と全然違う価値観の人で、とても対等に相手してもらえないだろうと思っていた。
上級巫女としてなら主従のように付き合えるけれど、一個人となったら…まず同じ目線で歩けないと嘆いていた。
「だから、友雅さんとこうしているなんて…、私の方こそ夢を見ているみたい」
あまりにもリアルな夢。
肌のぬくもりにまで触れられるほど、現実と大差のない夢というものがあるのかも、と思うくらい。

「友雅さんが、私を好きって言ってくれたの…、まだ夢みたい」
「ん?それは私が言う台詞だよ」
「だって…ホントにそうなんだもの」
口づけなら、いくらでも普通通りに出来る。
唇を重ね、その腕に抱きしめられることだって、それほど珍しくないことだ。

でも---------明らかに違う想いがそこにあることを、お互いに気付いているから手を伸ばす。



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Megumi,Ka

suga