Kiss in the Moonlight

 Story=33-----04
聞き逃してしまいそうな、あの一言を確かめたかった。
彼にとっては些細な独り言かもしれないが、それはあかねにとって意味のあるものかもしれない。
怖じ気づいて踏み出せずにいた足元に、ぼんやり灯った小さな明かり。
それらが道標となる先にあるのは、幸か不幸かは分からないけれども……抑えきれなかった。
だから、ここにいる。

「どういう人だったんですか?その人って…」
「そうだね、綺麗というより愛らしい人だったよ。見た目も心も純粋で、つい目で追い掛けてしまうくらいに」
そんな風にして三年が過ぎて、気付けば違う意味で彼女を追っていた。
ただ護るだけではなくて、愛したいという気持ちが芽生えて。
「でも、彼女はその気は全然ないようでね。私は対象外なんだそうだ。さすがに少し、がっくりしたかな…」
友雅はゆっくり話しながらも、それほど遠い記憶を思い出している様子はない。
逆についさっき起こったことを、蘇られせるように簡単に、はっきりと話す。
「王宮にいる…人ですか?」
「さあ?それは黙秘したいな」
あかねの問いに、彼は口をつぐんだ。
「名前とか、せめて下の…」
「悪いけれど、さすがにそれは勘弁して欲しい。これでも傷心しているので、意識したくないしね」
友雅はさっと交わし、ストレートの紅茶に手を伸ばした。

対象外。彼は恋愛の相手にはならない。
私だったら、そんなこと---------

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一瞬あかねの頭の中に、自らの記憶が浮かび上がった。
あれは晩餐会の会場でのこと。皇太子夫妻と話していた時だ。
恋愛の話になったとき、彼女がわざと友雅のことを嗾けるように問い掛けて来た。
そうだ、つい…あの瞬間に言ってしまったのだ。
彼はそんな相手にはならない、と。
本心と真逆のことなのに、彼に気持ちを悟られないようにと…。

だとしたら、やはり彼の失恋した相手というのは。
いや、彼がそこまで想い、愛していた女性の正体は、まさか----------。
単なる自分の思い込み。願っているからそう感じるだけかもしれない。
もしも、でも、もしも…と繰り返して、それが勘違いでも真実を知りたい。
目の前にいるその人は、自分が愛する人であるから。

「友雅さんさっき館内に戻る時に…ぽそっと言っていましたよね…?」
「ん?何か言ったかな…」
「その人…、自分の一番近くにいる人だって、そう言いませんでしたか?」
あなたの一番近くにいる女性。それならば、私だって自信がある。
ずっとそばであなたが護ってくれたから、私はこうしてここにいるのだ。


深いためいきを、ひとつ。
手に持っていたティーカップを、テーブルの上に戻した友雅は、ゆったりと背もたれに身体を投げ出した。
「……そう。私が一番近くにいた。或いは、私の一番近くにいてくれた人だよ」
長いまつ毛の瞳を閉じて、静かに彼は語り始めた。
もう、ごまかせはしないだろう。
期待なんて出来ないが、口にすることだけなら可能。
閉じ込めていたものを少し、吐き出そうか。彼女の前で。

「数年前から、ある事情で彼女の近くで生きて来た。どんなことをしても、護ってやらなくてはと思うくらいの忠誠があった。けど、やっぱり私は男だからね。いつしか輝き始めた彼女に対して、それ以上の気持ちを抱いてしまっていたんだ」
彼女と過ごした日々は、何もかも鮮明に記憶に残っているけれど、この気持ちに気付いたのは最近だ。
こんなにも誰かを真摯に想うなんて、経験がなかったから分からなかった。
恋とは、そういう切なくて甘くて…幸せを感じるもの。
一緒にいるだけでそう感じられるのを、彼女が教えてくれたのだ。
「でも、いろいろと事情があって言い出せなくてね。その人しか愛せないようになっているのに、心を伝えられず、相手の動きを眺めているだけだったんだ」
彼女が…君が、自ら私を選んでくれたら良いのに。
そうすれば迷わず、抱きしめられるのに。
機会をじっと待つだけで、動くことも出来ない歯がゆさに日々が過ぎてゆき、それでも想いは募るばかりだった。

「だけど、きっぱり言われたよ。"そういう対象じゃない"って。だから------私の恋は、そこで終わりを迎えたんだ」
ひととおり話し終えて、友雅は口を閉じた。
黙ったまま、天を仰ぐようにして、まるで眠ったかのように静かに彼は身動きを止める。


「やっぱり、その人の名前…教えてください」
あかねの声に反応して、友雅の目が開いた。
「言えないって言ったよね。勘弁して欲しいな」
「でもっ…どうしても教えて欲しいんです…っ!」
テーブルに手を付き、彼女は身を乗り出した。
教えて欲しい。あなたが愛した女性の名を。
慰められるのは私しかいない、と王は言った。その意味が……本当なら、名前を聞かせて欲しい。
「教えてくださいっ!」
「…どうしてそこまで、私の好きな人を知りたいんだい、あかね殿は」

それは………。

「友雅さんの恋が、もしかしたら……実るかもしれないから……っ」

そして、同時に

「私の恋も…実るかも……」

ひとつだけじゃなく、ふたつの恋が花開く。
いいや、もともとひとつだったのだ、この恋は。
始めから、ふたつではなかった。
たったひとつの大きな恋の花になるべき、つぼみが二人の中に生まれていたことに、今気付く。


「名前を言わなくても、あかね殿なら分かるよ」
長いシルエットが、ソファから立ち上がる。
あかねの近くに移動して、友雅の手が彼女を引き上げた。
「言わなくても、分かってくれるだろう、君なら---------」
そう言ったあとで、暖かな胸に閉じ込められた。
強く、両腕で抱きしめられながら、耳元に友雅の囁きが落ちる。
「だから、君の好きな人の名前も教えて欲しいんだ」
いつも口づける、その小さく可憐な唇で、名前を告げて欲しい。

----------私の名を、呼んでくれないか。


お互いに好きな相手の名を呼ぶよりも前に、唇がその人を求めていた。
おやすみのキスではなくて、もっとゆっくり長く味わう甘いもの。
言葉に出さなくても、そのキスが伝えていた。



あなたのことを、愛している………と。




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Megumi,Ka

suga