Kiss in the Moonlight

 Story=32-----02
藤姫は部屋に入ると、真っ先にあかねの元へ駆けて行った。
足早なくせに、トレイの上は全く綺麗なままで、スコーンのくずひとつさえ落ちない。妖精の身軽さが、活きているのだろうか。

「あかねの具合は、大丈夫なんでしょう?」
「ええ、疲れと緊張のせいです。夕方まで、少し休ませれば平気ですよ」
「そう。なら良かった…。まだこれから、一仕事があるものね」
継承儀式自体は終わったが、今夜は王宮内で特別な晩餐会が行われる。
来賓は全て、各国の王側近と祭司。しかも、彼らがやって来ることは王宮外には内密で、皆裏口の通用門から中に入るという厳重さ。
新しい上級巫女のお披露目会のようなもので、挨拶がてらに各国は信頼の置けるものをよこすのである。
よって、大賑わいの晩餐会ではないが、あかねにとってはこれも一大事。
国王や皇太子ではなく、あくまでも今夜の主賓は彼女なのだ。
すべての視線が、あかね1人に注がれる。緊張感はまだまだ続く。

「あかねのそばで、サポートしてあげてちょうだい。色々と心配だから」
さっきは礼拝堂の外で倒れたから良いものの、要人に囲まれた晩餐会最中にそんなことがあったら…大騒ぎになる。
「承知していますよ。用意の時間ギリギリまで、ここで休ませます」
「そうしてくれると有り難いわ。出来るだけ、緊張をほぐしてあげてね」
ベッドの中にいるあかねは、藤姫が持って来てくれたマフィンを、少しずつ口に運んでいる。
時折談笑しながら、甘いものをほうばって。
一見は、いつもの彼女であるが、内心はまだ気が張っているだろう。

つんつん、と肘を突く指先の感触。
「あの子の緊張を解けるなら、何をしても良いわよ」
「……はい?どういうことです?」
いきなり妙なことを言うものだな、と彼が首をかしげる。
「寝ている時に手を握ってあげたりとかね。抱きしめてあげたり…とか?」
前者は、まあ良い。しかし、後者はちょっとやり過ぎじゃないのか。
とか友雅が思っていると、更に彼女は続ける。
「望むなら……キスだって構わないのよ」
何かを見透かしているように、友雅の瞳をじっと見つめて来る。そして、かすかに笑みを浮かべる。
「それは、私を嗾けているんですか?皇太子妃殿下?」
「いいえ。あかねの緊張を和らげるのが最優先なの。緊迫してカチカチになるより、恋みたいなどきどきに包まれていた方が、ずっと良いわ」
あかねの本心に、彼はまだ気付いていないだろうけれど。
"恋みたいな"ではなく、"恋"そのものであることを。
「まあ…よろしくお願いするわね」
友雅の肩を、そっと叩く。
あと一歩踏み出して、あかねの手をその手で握りしめろ、と願いを込めて。



少しの時間四人で雑談をしてから、藤姫たちは部屋を出て行った。
あかねはといえば、マフィン2つ全て食したようだし、これで少しは体力が付くだろう。
晩餐会が始まるのは、午後8時。着替えなどの支度を始めるのは、せいぜい6時半くらいなら十分間に合う。
「もう少し、眠ったらどうだい」
「でも、晩餐会の用意とかあるし…。寝過ごしたら大変だから…」
「それは平気。私がここにいるから、ちゃんと時間になったら起こしてあげるよ」
一緒に藤姫たちを見送りに来たあかねに、友雅はそう言って背中を押した。
「ちょっとでもゆっくりして。安心しておやすみ」
開けっ放しの寝室のドアをくぐらせ、再び彼女を中に入れる。
午後の陽射しはまだ強いので、もう一度レースのカーテンを閉じた。

「そんなところで立ったままだと、風邪をひくよ」
ベッドにも入らず、腰を下ろすわけでもなく、あかねはその場に立ったまま。
厚い生地のドレスではないのだから、昼間とはいえこれじゃ肩を冷やす。
「ほらほら、大切な上級巫女殿が体調を崩しては困るよ」
「…は、はあ。そう…ですね」
うなづきながらも、どこかはっきりしない雰囲気。
肯定しつつ、眠くないと言っているようにちぐはぐな印象がある。
普段はきわめて素直な彼女なのだが……やはり、極度の緊張が彼女を蝕んでいるんだろうか。

緊張を解くためなら…か。
横切ってゆく、さっきの言葉。
自然に友雅の両腕が広がり、翼のように後ろからあかねを抱きしめる。
「ひゃ…」
驚きのあまり、更に細い身体は硬直したみたいだが、それを和らげるように優しい力を込めて包み込む。
「ベッドに入らないなら、私が暖めてあげようか」
「え、え……っ?」
振り向こうとしたあかねを抱き上げようとする…かと思ったら、何故かそのままベッドに落ちて行く。
彼女を押し倒したまま、毛布を広げて身体に掛けた。
「ほら、もう逃げられないよ。諦めて、大人しく眠りなさい」
体格も重量も、力も敵うはずがない歴然の差。
彼に押さえつけられたら、はね除けて逆らうなんて完全に無理。
「暖まるまで、こうしているからね。おやすみ」
そう言って友雅は、あかねの肩に深く顔を沈めた。

抱きしめられて、重なる身体から伝わるぬくもりは、さっきの額への感触とは比べものにならない。
頭のてっぺんからつま先まで、余す所なく彼の温度が伝わって来そうなほど。
今まで何度も、こんな機会はあった。
寄り添って眠ったり、抱きしめられたりなんて…日常茶飯事と言えるくらいに、たくさん。
思い掛けなく肌を重ねた時だって……ある。
その度にどきどきして、心臓が破裂しそうなほど躍って、軽いパニックに陥りそうになった。
今も、そんな同じ状況。
だけど…気持ちが今までと違うのは、自分の気持ちに変化があったからだろうか。
抱きしめてくれる、この腕も、指も、肩も。
安堵感を与えてくれる胸も……すべて、自分に恋心が存在しているから、こんなにも離れがたくなる。

「友雅……さん…」
身体の下で、あかねの声がした。彼の名を呼ぶ、かすかな声が。
「ん?何だい?」
少しだけ身体を起こし、友雅は顔をあげようとした。
すると、背中に回された手にぎゅっと力が入り、あかねが胸にしがみついてくる。
「どうかしたのかい」
問い掛けてみても、彼女は答えなかった。
一度だけ友雅の名を口にしてから…ただしがみついて、何も言わない。
だが、身を寄せてくるその存在が、彼にはどうしようもなく甘美で、愛おしくてたまらなくて------------。

「あ……」
再び力を強めたのは、あかねではなく友雅の方だった。
華奢な身体が撓るほどに強く、まるで何かを奪おうとするような、どことなく熱い感覚が溢れてくる。
強く、強く、しっかりと留められたように。
離れようとしない身体が抱きしめ合う。
「……っ…」
口づけをするでもなく、でも激しさを伴う抱擁。
お互いに、同じように力を精一杯込めて相手を捕らえて、逃がさないつもりで。

暖かいなんて、とっくに通り越して…燃え尽きるくらい熱い。
友雅の胸の奥に、あかねの胸の奥に。
同じものが確かに存在し、相手を求めているというのに。
だからこそ、こんなにも抱きしめているのに……想いの抑制に精一杯で、相手が誰を愛しているかまでは、まだ頭が回らなかった。



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Megumi,Ka

suga