Kiss in the Moonlight

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ひっそりと、それでいて荘厳な雰囲気の中で行われた継承儀式は、何の問題もなく予定通りの2時間弱で無事終了した。
いや、無事というのは正確ではないかもしれない。
何しろ新たに誕生した上級巫女は、礼拝堂を出たとたんに廊下で気を失ったのだ。
混乱を避けるため、礼拝堂内の参列者や祭司に気付かれないよう、友雅はあかねを抱いて待機室へ入った。
巫女たちが慌てる中、ソファに寝かせ、しばらく様子を見ることにした。

「あの、あかね様は…?」
「多分緊張の糸が切れて、ふっと意識まで途絶えたんじゃないかな」
額に手を当ててみたが、熱はないようだし。
呼吸も特に荒いわけでもないし、まるで眠り姫のように安らかな状態だ。

「朝も食が進まなかったし。あの雰囲気の中で、耐えきれなかったんだと思うよ」
それでも彼女が必要不可欠だった場面は、気を張りながら最後までこなしたのだ。
よく頑張ったものだ…と、素直に彼女を讃えてやりたい気持ちが込み上げる。
「これから如何なさいますか。こんなところで横たわっていては、お風邪を召してしまいますわ」
心配そうに巫女たちが、そろってあかねの様子を覗き込む。
ドレスは決して厚手ではないし、寧ろ薄手と言っていいほどの生地。
今は肌寒いという気温ではないけれど、このままでは体調を崩しかねない。
「部屋に連れて帰るよ。あとから、飲み物か何か運んでくれると有り難いな」
「え、ええ。すぐにご用意致します!」
起こさないように、そっと彼女を抱き上げると、友雅は足早に部屋を出て行った。



「ええっ!?あ、あかね様がお倒れにっ!?」
すべての儀式が終わり、待機室に戻ってきた藤姫は事の顛末を聞かされ、驚きのあまり大声を上げた。
別の礼拝堂に移動し、これまでの神気を浄化していた上級巫女の彼女…というか、元上級巫女の彼女たちも、藤姫の声に気付いてこちらにやって来た。
「あかねが倒れたのですって?大丈夫なの?」
「おそらく、儀式が終わってホッとされて、気が抜けたのでは…と友雅様が」
なるほど。それは有り得るな、と彼女も昔の自分を思い出した。
当時の彼女も、継承儀式が済んだ夜はどっぷりと睡魔に襲われて、次の日の正午まで一度も起きなかったほどだ。
それだけ、プレッシャーが掛かるものなのである。

「あかね様は、友雅様がお部屋にお運びになられました」
カチャカチャと、一人の巫女が薄めのクランベリージュースを用意している。
あかねの部屋に、飲み物を運ぶためだ。
「わ、私が運びます!」
すぐに藤姫が、役目を買って出た。
とにかく彼女としては、あかねの容体が気になって、不安で仕方がない。
部屋を訪ねて、様子をこの目で見なくては落ち着かない。
「じゃあ、私も同行して良いかしら」
元上級巫女の彼女も、そう言って着いていくことを申し出た。
しかし、彼女の気になるところは…。
もちろんあかねの容体も気にはなるが、おそらく眠っている彼女の傍らにいる友雅のコトも重大だった。


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穏やかな昼下がり。
慌ただしい朝の面影などどこにもなく、外では小鳥の元気なさえずりが聞こえる。
窓に掛かるレースのカーテンで、わずかに太陽の光を遮った薄暗い部屋の中、彼女は静かな寝息を立てている。

今朝方までは未完成だったものが、今はもう完成されている。
子どもが成人するように、ここで眠る彼女は既に上級巫女となったのだ。
そして友雅自身も、これからは正式にあかねも護る者として認められた。
一緒に、これからも君のそばで生きていくんだ。
そこには、恋という想いは存在しないかもしれないけれど。
……存在したとしても、私が胸に秘めておくだけのことかもしれないがね。

手持ち無沙汰で、何度もそっとあかねの髪を撫でた。
眠る彼女の意識を邪魔しないように、出来るだけ直接肌に触れないように気を使いながら。
そうして、あかねが自ら瞼を開き始めたのは…午後1時過ぎた頃だった。
きらりと澄んだ瞳が瞼から現れて、目の前にいる友雅の姿を捕らえる。
「よく眠っていたね。すっきりしたかい?」
「……私、何してるんですか…ここで」
友雅の後ろに見えるのは、自分の部屋の天井の模様。
ということは自室に戻って、ベッドに寝かされているということである。
何があったんだろう。
確か継承儀式は、まだ続いていたはずではないのか…。
意識がぼやけているあかねは、自分のこれまでの行動が全然思い出せない。
「礼拝堂から出てきて、すぐに倒れたんだよ」
「私…倒れた…?」
そうだ、ぷっつりと意識がなくなっている。
これは…そういうことだったのか。
彼の話を聞いているうちに、あかねはぼやけていたものが甦ってきた。

「無事に儀式は終わったから、夕方までゆっくりしておいで」
あかねの額に、友雅の手のひらが触れた。
じわりと広がっていく彼の体温が、顔中の熱を上げていくような気がする。
気持ちの良い体温…ぬくもり。暖めてくれる優しい熱が伝わる。
すっとこのまま、触れていて欲しいな…。
本音が思わずこぼれそうになるほど、彼のぬくもりは自分の体温にシンクロする。

「何か持って来させようか。朝、固形のものを食べなかったし、そろそろ空腹が気になり出すんじゃないかな」
栄養と満腹感は、必ずとも比例するものではない。
バランスの悪いものでも満腹を味わえるものもあれば、栄養素があるものでも腹が減ってしまうものもある。
「少しで良いから食べると良い。ビスケットとミルクくらいなら、大丈夫かい?」
「…あ、はぁ…」
小さくあかねがうなずくと、友雅は額から手を離した。そして静かに立ち上がると、背を向けて入口へと歩いて行く。
「用意してくるから、大人しくしているんだよ」
振り返ってそう告げたあと、ノブを握って右へと回す。
それと同時に、ドンドン!というような、けたたましいノックが響いた。

「おや、藤姫殿…と」
ドアの向こうに立っていたのは藤姫と、今朝まで上級巫女であった彼女である。
さて、これから何と彼女を呼べば良いだろうか…と、しばし友雅は頭をひねった。
近いうちに皇太子妃になる彼女だが、まだ正式には婚儀を執り行っていないし。
あかねを"次期上級巫女"と呼んだように、"次期皇太子妃"とでも呼ぶか?
「ふふっ、出来れば"皇太子妃"と呼んでちょうだい。今のうちから、慣れておきたいの」
実は皇太子本人や、国王とも話は済んでいるのだと言う。
元から王族ではない彼女にとって、なかなか馴染めない呼び方だし、少しでも婚儀のあとで狼狽えない様、という配慮なのだそうだ。

「では改めて…皇太子妃殿下、藤姫殿。何かご用があってこちらに?」
と言っては見たが、藤姫の手元を見ればひとめで分かる。
木製の小さなトレイに、クランベリーのジュースと焼きたてのマフィン。近くにいるだけでも、バニラの甘い香りが漂う。
「あかね様、きっとお腹が空いてらっしゃるんじゃないかとっ!」
「丁度良かった。私も何か食べるものを、取りに行こうと思っていたんだ。さ、どうぞお入り下さい」
友雅はドアを開け、二人を部屋の中へと招き入れた。



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Megumi,Ka

suga