Kiss in the Moonlight

 Story=31-----04
頭からそっとベールを掛けられて、女中が開けてくれたドアから外へ出る。
ベールガールのように藤姫が、後ろに付き添って歩いてゆく。
廊下にずらりと並んだ女中たちは、皆軽く頭を垂れて、目の前を歩いてゆくあかねに敬意を払う。
そんなことされるような人間じゃないのに…と思うが、彼らにとって"上級巫女"は尊い存在であるから、自然とそういう対応になるのだろう。

「あかね、用意が出来たわね」
館の入口に立って、あかねを待っていたのは、今日まで現上級巫女であった彼女。
これから始まる儀式が終われば、彼女とあかねは立場が逆転する。
上級巫女と呼ばれるのはあかねで、彼女は過去の者となる。
「良かった。あなたが身に着けるなら、こういう生地が合うと思っていたのよ。選んで正解だったわ」
そう言って微笑む彼女の隣で、紳士の彼は深くあかねに頭を下げた。
まるで燕尾服のような、黒のフォーマルスーツ。品の良さが、彼の身のこなしにしっくり合う。
「では、行きましょうか」
二人揃って、新旧の上級巫女たちは礼拝堂へ向かう。
そこまでの道すがらも、皆は腰を低くして二人を見守り続けた。


礼拝堂に着くと、あかねだけが別室に誘導された。
上級巫女の彼女と彼は、揃って先に聖堂へと案内されてゆく。
「あかね様、いよいよでございますわね」
付き添う藤姫が、部屋で待機しているあかねを気遣いながら覗き込む。
聖堂でどんなことが行われているか、まったく声も音も聞こえてこないため、何も分からない。
その分、緊張感も増してくるというもの。
「あの、こんなものでよろしければ…あかね様に差し上げますわ」
藤姫は小さなレースの小袋を、あかねに手渡した。
ほのかに爽やかな香りが漂うそれは、庭園のラベンダーを使って彼女が作ったサシェだという。
「こんなもので、あかね様のお心が鎮まれば…」
「ありがとう、藤姫ちゃん。ちょっとの間、借りるね」
握りしめると、優雅な香りは手のひらに広がってゆく。
何となくその香りのおかげで、心がやすまってくるような気が……したところで、ドアを叩くノックが響いた。
「あかね様、聖堂へお進みくださいませ」
一人の巫女が、あかねを呼びに来た。
ついにその時がやってくる。
あかねよりも先に藤姫が立ち上がり、彼女のベールの裾をそっと持ち上げた。
「足元にお気を付けて、どうぞ」
聖堂のドアの前に立って、扉が開かれるのを待つ。
ゆっくりと息を整えながら、深く呼吸をして……。
落ち着くように、自分に言い聞かせて。

ギイッ……響くドアの軋み。
窓を閉じられ、外界からの明かりをシャットアウトされた、薄暗い小さな聖堂。
その中に、まっすぐ祭壇に向かって小さなキャンドルが、道のように足元を照らしていた。

覚えたように、一歩ずつゆっくり進んでゆく。
顎を引いて、うつむかずに、姿勢正しく心がけて。
今日は後ろのベールを藤姫が持ってくれているから、背後を気にせずに済むのは楽ではある。
賛美歌やパイプオルガンなどの音は、何もない。無音の中に、自分の足音だけがやけに響くような気がする。
はっきりと参列者の姿は見えない。しかし、それほど人数は多くないようだ。

あかねは緊張していて、とても視野を広げることは出来なかったのだが、後日聞いたところによると、国王を始めとして王族全員が揃っていたらしい。
その他、旅を共にした頼久や詩紋たちも参列し、旅の途中で保護したシェンナの老人もいた。
あかねや友雅たちの正体を知った時、かなり驚愕していたようだが、それでも命の恩人であることは変わりないと言い、参列してくれたのだと言う。

真っ直ぐに前を見て、あかねは歩き続ける。見えるのは、正面にあるものだけ。
祭壇、キャンドルの明かり、龍の像、祭壇の前にいるのは上級巫女の彼女と、泰明を含めた数人の祭司。
……彼は、いない。
だが、彼も揃って純白のケープを誂えたのだから、どこかしらにいるはずなのだが、姿は見当たらない。

こんなところで、気を乱しちゃダメでしょう、私。
友雅さんがどこにいるか分からないからって…、姿が見えないからって、落ち着かないなんて、この本番の大切な時に。
間違いなく、どこかにはいるのよ。絶対にすぐ近くにいるはず。見えないだけ。
落ち着いてよ、私……。
気持ちがやや波打って、足取りが少し早めになる。

「次期上級巫女、元宮あかね。祭壇の前へ」
飾られている白百合の香りが、ごく近くに感じられる距離まで来たとき、祭司の声があかねの名を聖堂に響かせる。
そうして、先に跪いている彼女の隣へと招かれ、あかねも同じようにその場に腰を下ろした。
「これより、現上級巫女より次期上級巫女への継承儀式を執り行う。参列者は速やかに腰を上げ、祈祷が終わるまで祈りを捧げるよう」
声ひとつ立てず、人々が立ち上がる気配がする。
しかし静寂はそのままで、儀式は先に続けられてゆく。

『龍より伝えられし天啓を護るもの。
その手、その心に聖なる光を包み、そして地上を楽園に導く力を放ち給え。
すべては大地、海、そして空。世界の母なるもの。
そなたこそが母となり、我らに永遠の聖灯を灯し続け給え。』
長い祈祷が続く中、隣の彼女が懐から絹の小袋を取り出した。
大事そうに包まれたその中身を取り出し、開いてみせると、漆黒の石。
上級巫女が代々受け継いだ、預言に使うためのオブシディアンのポイントである。
「それを受け渡された瞬間から、上級巫女は新代へと移行する。さあ、手を翳しなさい」
祭司に言われる通りに、あかねは両手を差し出した。
彼女はポイントを再びシルクの布の上に置き、そのまま献上するかのように、あかねの手にそうっと置く。

一瞬、手のひらから熱い何かが流れ込むような、不思議な衝撃が走った。
気分は悪くないけれど、おびただしいパワーが全身をゆっくり駆けめぐるような、妙な感覚。
「これより、新上級巫女元宮あかねに、龍の加護と世界の守護の任を捧げる。そなたこそが、この世を護る者。そして--------そなたを護るべき者、こちらへ」
祭司がそう告げた瞬間、とっさにあかねは顔を上げた。
最前列の一番奥から、一人の男性が祭壇に向かって歩いてくる。
「新たな上級巫女を護る、選ばれし者---橘友雅。そなたに未来永劫の力を授け、彼女を護る命を与える」
「御意。元より私が、これまで命を捧げお仕えした方。今後とも私の命を盾に、護り続けることを神に誓います」
指先で神に誓う仕草をし、友雅はあかねの隣に跪いた。

「では、上級巫女元宮あかね。彼女を護る者、橘友雅。祭壇を下がり、聖堂を後にしなさい」
簡単なように見えて、実は2時間ほどが経過していた。
儀式が終了したと同時に、パイプオルガンの清らかな音が響き始める。

……終わった。
これで今から私は、本当に上級巫女になったんだ…。
手の中に握らされたポイントが、心臓のようにどくどく言っている。

すっと手が差し伸べられた。
顔を上げると、友雅の穏やかな瞳が自分を見つめている。
彼に手を取って貰いながら、聖堂を去るようにということらしい。
友雅に手を添えられ、来た道をまた入口へと戻ってゆく。
来たときは薄暗くて息苦しく感じたのに、今はそんなこともなく、寧ろ軽やかで晴れ晴れとした気分。
彼は何も言わずに、ゆっくり歩いて付き添ってくれている。

暖かい…手。指先。
これからも友雅さんは、ずっと一緒にいてくれる……のは間違いないんだよね。
そう思うだけで、胸が暖かくなって…心音が震える。

ドアが開かれると、外には巫女たちが待機していて二人を待っていた。
「あかね様、おめでとうございます」
皆が口を揃えて言う中で、改めて友雅があかねを見た。
「よく頑張ったね。これからはホンモノの上級巫女だよ。これからも、君のそばで君を護れるのを、嬉しく思うよ」
彼はそう言って、あかねの額に軽くキスをした。
巫女たちの黄色い声が少し響いている…ところまでは分かったのだが、あかねはその後の記憶が一切なかった。

ただ、慌てる女性たちの声と、自分を抱きかかえる腕の感触だけが、薄れ行く意識の中でわずかに残った。



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Megumi,Ka

suga