Kiss in the Moonlight

 Story=31-----03
友雅の腕が早めに完治したおかげで、当初の予定では延期となりそうだった継承儀式も、無事に最初のスケジュール通りに開催されることになった。
王宮に仕えている巫女たちが、毎日新鮮なハーブを摘んではリースを作る。
それらを礼拝堂の入口、窓…外からの空気が通り抜ける場所にすべて飾り付ける。
浄化作用のあるハーブを使い、穢れた外気を礼拝堂に取り入れないため…いわば結界を作るようなものである。

女中たちは儀式前日から、料理の仕込みに余念がない。
聖なる上級巫女の誕生であるため、儀式に関わる者たちはすべて特別食を摂ることが規則。
肉や魚介などは一切排除。野菜やフルーツ・穀物のみしか使うことを許されない。
たった一日、三度の食事だけであるが、メニューを考えるのも一苦労である。

「いよいよ今日ね」
その日はまさに、誂えたような真っ青な空が広がる晴天だった。
朝日が少し眩しくて、食堂の窓はすべてカーテンを下ろすほどの天気。
特別メニューの朝食を摂りながら、今日の主役であるあかねに彼女が声を掛けた。
ライ麦パンを小さくちぎり、ジャムを載せて少しずつ口に運ぶ。
女中と藤姫が手作りする木イチゴのジャムは、丁度良い酸味と甘さであかねのお気に入りなのだが、今朝はそれもなかなか減らない。
用意されたサラダやミネストローネも、まったく量が進んでいなかった。
「緊張しているんだろうけれど、ちゃんと食事を摂らないと身体が持たないよ?」
あかねの隣に座る友雅は、既に食後のハーブティーを飲んでいる。

継承儀式と言うと大事に思えるが、式自体はそれほど長時間に渡るものではない。
選ばれた者だけが同席する、ごく内輪だけで行われるため、せいぜい長くて2時間程度で終わるだろう。
「でも、重要な式だからね。心身共に力を保たなきゃいけないよ」
だから食事は、ちゃんと摂るように。
子どもを窘めるような優しい口ぶりで、サラダのプレートを軽く叩いた。
「友雅の言う通りよ。栄養が足りなくちゃ、精神的にも参っちゃうから」
「はい、そうですね…」
二人が言うことは理解出来るのだが、困ったことにどうもすんなり喉が通らない。

突然友雅が、食堂に待機している女中を呼び寄せた。
テーブル上には、紙ナプキンがホルダーにセットされてある。それを一枚手に取ると、メモのように何かを素早くペンで記す。
耳うちするように小声で、友雅は彼女に何か説明をしたようだ。すぐに女中はうなづいて、厨房へと戻ってゆく。
何をしたんだろう?
そこにいる誰もが首をかしげる中、彼自身はしらっとしてハーブティーを味わっている。

さほど時間が経たないうちに、再び女中が食堂に戻ってきた。
彼女は銀のトレイを手にしており、上に乗せた淡いグリーンの液体が入ったグラスを、あかねの手元に置いた。
「あかね様、特製ジュースでございます」
「えっ?ジュース?」
持ち上げて鼻を利かせると、ほのかに甘酸っぱい林檎のような香りがする。
「無理して食事を詰め込んでも、胃に悪いかもしれないしね。それなら取り敢えず、このジュースで栄養素を吸収すると良い」
ジュースの材料は、青林檎、レモン、オレンジ、カシス、アボカド、ほうれん草。
更にバナナにクランベリーに、東国で食されているという、大豆から抽出した液体を牛乳代わりにミックスさせた。
詩紋と泰明が旅の途中で、教えてくれた栄養ドリンクのレシピ。多くのエネルギー要素が、この一杯に凝縮されている。
「儀式が終わったら、どっと緊張が抜けてお腹がすくと思うけどね。今は、これで凌ぎなさい」
「あ、ありがとうございます。これなら…ん、飲めそう」
口に運ぶと、ややこってりした舌触りを感じたが、爽やかな柑橘系の味がそれらを取払い、すんなり喉を通ってゆく。
フルーツジュースのような、でもミルクみたいな。
今まで飲んだことのない、新鮮な味わいのジュースだった。

こんな風にして、友雅は即座にあかねの様子を察知しては、彼女に最良の結果となるであろう選択を下す。
ずっと今まで、こうして彼は彼女に付き添っていた。
あかねが心地良く、辛い想いをしなくてすむようにと。
それを第一に考え--------時に、自分を押し殺して。
「飲みやすいだろう?」
「はい!これ、毎日朝食代わりに飲みたいくらい美味しい!」
「それはダメ。普段ちゃんと食べられる時は、きちんと摂らないと身体に良くないからね」
会話する二人の雰囲気は、特に違和感もなく親しげな感じ。
信頼しきった者同士の、気が知れた仲の良さを思わせる穏やかなムード。
その中には、恋愛感情が生み出す甘い空気は……ない。

お互いに好きなくせに、どうしてこうなのかしら…。
小さなため息をつく彼女の様子に、友雅たちは気付いていなかった。




朝食を終えて、部屋で休んでいたあかねの元に、ぞろぞろと人々が集ってくる。
王宮の女中たちや針子、巫女が数人と、その中にはもちろん藤姫の姿もあった。
「あかね様、お支度を始めましょう」
女中の一人がベルベットの衣装箱を抱え、彼女の前で蓋を開けた。
ぴったりと誂えて仕立てた、純白のドレスが取り出される。
いよいよこれを、本当の意味で身につける時がやって来たのだ。
「お召し物をお預かりいたしますわ」
「ありがと、藤姫ちゃん」
たくさんの女中に囲まれながら着替えるなんて、正式に国王の御前に上がる時くらいのものだ。
普段は例え王族であっても、その場の姿で会話することは可能であるが、あらかじめ予定されている食事会などでは、さすがに正装を整えなくてはならない。
それもせいぜい一年に二、三度くらいのこと。
非日常的な、特別な一日が既に始まっているのだ、と否応にも気付かされる。

…今日、私は上級巫女になるんだ。
三年もの間、この日のためにずっと頑張って来たことが、やっと形になる。
でも、これからが一番大切で辛いはず。
安寧秩序の世界を保つため、自らに科せられた命は何よりも重要なものばかり。
本当に大丈夫なんだろうか…と、不安は消しきれない。

だけど、友雅さんがいてくれるから……。
彼がいてくれるから、きっと…上手く行くと信じてる。
初めて出会った、あの日。口にしてくれた言葉を忘れない。

『私が君を護って行くから、安心して良いんだよ』

その言葉を信じ、ずっと今日まで頑張って来られたのは、彼が裏切ったりしなかったから。
だから彼のことを、誰よりも信じられる。
誰よりも、神に誓って、誰よりも彼のことが-------。

「あかね様、お支度が済みましたよ」
女中の声にはっとして、過去を巡っていた意識が現実に戻された。
細やかな銀細工の姿見に映る、純白のドレスに身を包んだ自分。
「よくお似合いですわ」
「本当に何て清らかで、お美しいのでしょう」
お世辞も入っているのだろうが、確かに仕立て合わせの時よりも身体にフィットして、動きやすさもありつつラインが優雅に見える。
肩に掛かるくらいの髪を後ろでまとめ、白い花飾りを銀のバレッタで留める。
足はパールホワイトのパンプス。真珠のイヤリング。
何もかもが白に覆われた自分の姿を見て、あかねは身の引き締まる思いがした。



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Megumi,Ka

suga