Kiss in the Moonlight

 Story=31-----01
彼女が上級巫女候補として、王宮に召されたのは20年前のことだった。
たった5歳の子どもが親元を引き離され、数年を掛けて知識を学んでゆくのだ。
過酷じゃないはずがない。
しかし、彼女を巫女候補として見付け、護る役目を持って選ばれた彼のおかげで、必要以上の寂しさを感じることはなかった。
彼は既に父親であったが、子どもたちは皆独立していて、王宮内の町で妻と気ままなふたり暮らし。
妻と共に彼女を世話してくれ、まるで我が子のように扱ってくれた。
いわば彼らは、育ての親と言ってもいいほどの存在である。
「何となく、あかねの環境と似ているわね」
部屋の照明は低くして、そのかわりカーテンを開け放ち、窓からの月明かりを取り込む。
ゆっくり肩肘張らないおしゃべりをするなら、これくらいの薄暗さが良いものだ。

----話を続ける。
穏やかな環境の中で彼女は育ち、やがて国王即位の儀に立ち会う機会が訪れた。
まだ若いながらも、皇太子…つまり現在の国王は、父親譲りの親しげな性格をしており、巫女候補の彼女にも気を掛けてくれていた。
それもそのはず。彼には七つになる一人息子がいて、同い年ほどの彼女は彼にとって、やはり我が子のように思えたのだ。
実の親とは会えなくなったが、父親のように慕ってくれる人が二人もいる。
幼い彼女には、何よりも心強い存在であった。
一人息子とも年が近く、王宮内で一緒に勉学に励んだりしながら、親しくなっていった。

だが、彼らは男と女。
兄妹ではなく、血のつながりもない、赤の他人同士。
子どもの頃は親愛の情だったものが、いつしかそれ以上のものに変わる…こともありえる。
「私が上級巫女を正式に継承した時の晩餐会だったわ。彼に呼び出されて…打ち明けられたの」

---------あなたはこれから、世界を背負う聖なる巫女となる。
これまでよりも重い荷を課せられて、日々心労に悩まされる時もあるだろう。
だからこそ、あなたを励ましたい。誰よりも近くで…-----------------

「彼のように護ることは出来ないけれど、"男としてなら護ることは出来るから"って。そんなことをね…言ってくれたのよ」
思い出話を語る彼女は、まるで少女のような愛らしい表情を浮かべる。
そんな風にして、二人は距離を狭めてゆき、互いを異性として見つめるようになったのだ。

「皇太子様は、ずっと巫女様をお好きだったんですね」
「どうかしら。私の方が先に、彼を好きになっていたのかもしれないわよ」
彼女は、そう答える。
でも、今の話を聞いている感じでは、皇太子の方から告白されて恋人になった、という風に思えるが。
「だって、私もその言葉をもらった時、本当に嬉しかったのよ。天にも昇る気持ちだったの。そういう気持ちになったのは、元から私も彼のことが好きだったから…じゃないかしら」
「そうなんですか…?」
ふふっ、と意味深に、彼女は笑ってみせる。
その表情があかねには、真実であるように思えた。

そして彼女は姿勢を正し、もう一度ソファに深く座り直した。
「本当は、どっちが先かなんて分からないわ。でもね、いつも彼のそばにいると落ち着いて、そして楽しかった。小さい頃からずっと、そんな気持ちだったのよ」
だから、少しでも長く一緒にいたいと思った。
そうすれば、自分は幸せな気分でいられるからだと、自覚があったからだ。
「彼に打ち明けられて嬉しくなって…その意味が、やっと分かったの。彼が好きだから、いつも一緒にいたいって思ったんだわ、って」
「…そっか…」
目の前にいるのは、神々しい上級巫女。
世界を穏やかに保つために、聖なる役目を担った唯一の女性。
けれども、今ここにいるのは…あかねと同じ普通の女性である。
愛した男性と恋をして、近く結ばれるという最高の至福を手にしようとしている、どこにでもいる想いを抱いた女性だ。
「何か素敵ですねー…。皇太子様はずっと、巫女様を見守ってくださっていたんですね」
「それだから、私もこうやって頑張って来られたのかもね」
そこにいるだけで、力をくれる人。彼はそんな人だった。

「---------そういう人と恋を出来たのは、幸せだったと思うわ」
いつもそばにいてくれて、いつも見守ってくれる。
一緒にいれば落ち着いて、心が穏やかになって……その反面で、恋のときめきをも与えてくれる。
「そう思わない?あかねは…どう思う?」
急に問い掛けられて、えっ、とあかねは声を飲み込んだ。
どう思うかと問われても、そんな恋は経験もないし、どう答えれば良いのか分からない。
確かに彼女の言うような人と愛し合えたら、幸せだろうと思いはするけれど。
……するけれど………?

「あかねは、これまで出会った男性の中で、そんな人に覚えはないの?」
「えっ……と……」
覚えがない、か?
いや、あるような気がしないでもないのだ、不思議なことに。
「守ってくれる人は、いるでしょう。無条件にあなたを…命を懸けて」
窓から差し込む月明かりは、彼女の背中を柔らかな黄金色に染め上げる。
眩しいけれど優しい光。吸い込まれそうな瞳は、あかねの心の中を見透かしそうなほど透明で。
「黙っていても導いてくれる。ちゃんと正しい方向へ、あなたが動けるように教えてくれる人がいるわよね」
「あの……」
彼女はその人の、名前を言わない。
だがおそらく彼女は、その人を特定しているはず。
あかねは、いつ彼女が名前を口にするのか…どきどきしていた。
頭の中にひとりだけ、うっすらと思い当たる名前があったからである。

いや、待って。でもそれはっ…違うでしょ?
そういう理由があって、そこにいる人なのだし…。
それに、彼は言っていたじゃないか。
愛している人がいるのだ-------------------------と。

「あかねにとって、友雅は…単なる、護ってくれるだけの人?」

飲み干そうとしたジュースが、口を付けたところで止まった。
グラスを持つ手が、何故だか汗ばむ。
胸の奥で速まる鼓動が、全身を波打つかのように駆けめぐってゆく。
「友雅はあかねにとっては、異性じゃない?」
「な、何を言ってるんですかっ…。と、友雅さんは男性ですよ!れっきとした…」
「性別のことを言っているんじゃなくって、女性として恋愛対象になる"男性"であるのか、っていう意味で聞いたのよ」
彼女は少し、身を乗り出した。
そしてあかねを覗き込むように、顔を近付ける。

「一緒にいて、落ち着いたりはしない?心が優しくなったりしない?」
ひとつひとつ、彼女は問い掛ける。
「じゃあ、逆に…彼がそばにいなくて、とても不安になったりはしない?」
ふっと…あかねの中に甦った、あの夜の記憶。
思い掛けないハプニングに遭い、一晩彼が姿を消した夜のこと。
どこに行ったのか気掛かりで、その夜のキスもなくて落ち着かなくて。
頭の中が友雅のことでいっぱいになって、ろくに眠れなかった一夜。
「彼が腕を負傷している間、心配で仕方なかったでしょう…。ずっとそばに、着いていたものね」
毎日彼のために薬を調合してもらい、わざわざ自分で差し入れを作って、病棟を足繁く通った。
少しでも早く、彼が良くなって欲しかったから。

「もうひとつ理由があるでしょう」
畳み掛けるように、彼女が口を挟んだ。
「友雅の顔が見えないのが…心細かったから、でしょう?」



***********

Megumi,Ka

suga