Kiss in the Moonlight

 Story=30-----02
さあ、もう一度復習してみよう。
一歩ずつ焦らず、ゆっくり踏み出して前に進むこと。
顎は出来るだけ引いて、うつむきすぎないこと。
背筋は伸ばして、きちんと呼吸を整えて……一歩、また一歩。
支えてくれていた手は、もうここにはない。この道を歩くのは、自分ひとりだけ。
祭壇に待つ……龍の像に辿り着くために。
そこに到着したら、私は--------正式に上級巫女となる。

「顔を伏せないでね。視線は落としても、顔は下を向かないように」
急に近くで声がした。
道のすぐそばに、いつのまにか彼女がやって来ていた。
「これから世界を平穏に導く、神々しい存在のあなたが、顔をうなだれていてはいけないから」
「はい…そうですね」
言われたとおりに、あかねは背を伸ばす。
するとそれまで狭かった視野が広がり、礼拝堂の全体が見渡せるようになった。

彼女はあかねが一歩進むたび、一緒に着いて歩いてくれている。
まるで、人と影が同時に動くように、付き添いながら進む。
「目を伏せて、うつむいて歩くのはね、ブーケを持っている時よ」
花束に視線を落としながら、静かに歩いていくものなのよ、と彼女は優しい口ぶりで話す。
ベールで顔を控えめに覆って、清らかな想いで祭壇に向かって歩く。
「そうして、そこに待っている彼の手でべールを開いてもらって、誓いの口づけを交わすのよ」
そこまで言われて、彼女が何の話をしているのか、やっと分かった。
友雅と歩いている時にも、彼女に付き添ってもらっている今も、話題として上るのは結婚式のことばかりだ。
「だって、あかねの装いは本当に花嫁みたいですもの」
軽やかな笑い声と、暖かい瞳がこちらを覗く。

「巫女様も…近いうちに結婚式、なさるんですよね…?」
「ええ。でも、こじんまりとは無理でしょうね。彼は皇太子ですもの」
出来れば少人数で、親しい者だけを集めた挙式が良いと思っていたが、相手の立場がそれを許さない。
おそらく当日は国を上げて、お祭り騒ぎの一日になるだろう。
皇太子のご成婚。皇太子妃の誕生。
王宮内も外も、カーニバルの如くの賑やかな光景が目に浮かぶ。

「披露宴は大人しく出来ないけれど、式は少人数で何とか進めるつもりでいるわ。その時はあかねも、参列してちょうだいね」
「はい、喜んで祝福させていただきます!」
何せ彼女は、皇太子妃になるのである。
ウェディングドレスと言っても、そこんじょそこらのものとはケタが違うだろう。
どんなに豪奢で美しいドレスなんだろうか…。
まだ少し先のこととはいえ、今から思い浮かべるだけでもわくわくしてきた。
「その時は将来のために、いろいろ参考にしてね」
「将来…ですか…。あはは…」

友雅さんも言っていたけれど、将来誰かと…私もそうなるのか…。
きっといつか、そういう出逢いがあるのだろう。
だけど…何だか実感というか。昔抱いていたような、夢見る気持ちがないのは、どうしてなのか。
本当の恋愛さえ、まだ一度も経験がないのに。
もう心の奥に、本命が決まっているような落ち着きがあるのは、何故なんだろう。

「そういえばひとつ、秘密のことを教えてあげましょうか」
ぼうっと物思いに耽っていたあかねに、彼女が声を掛けてきた。
「実はね、私も既に父は他界しているの。だから、式の時に父の代わりをして下さるのは…国王様なの」
「え、えええっ!?」
順調に歩いていたあかねだったが、その発言には驚きを隠せなかった。
その場で立ち止まってしまい、唖然として立ち尽くす。
「国王様がね、義理の父になるのだから、一足先に父の役目をしようって、自らおっしゃって下さったの」
「そ、そーなんですかあっ!?」
一国の王にエスコートしてもらいながら、ヴァージンロードを歩くだなんて…想像を絶する。

しかし、王の性格を考えてみれば、考えられないことでもない。
あかねもこの3年の間の王宮生活で、王を始めとする王族と親しくしてもらったが、尊い存在である反面で誰もが親しみやすい。
変な気位の高さはまるでなく、むしろあちらから近付いてくれる柔らかな物腰が、皆に好かれているところだろう。
そんな王であるから、皇太子の妻となる者への心遣いも暖かなのだ。
「王妃になるのは大変だけれど、そんな方々の一員になれるのを…むしろ誇りに思うわ」
「そうですね、きっとお幸せになれますね」


「巫女様方?何かあったのかい?」
祭壇の近くから、友雅の声が聞こえてきた。
道の真ん中で急に立ち止まって、ぶつぶつと二人で何やら立ち話をしているものだから、彼も妙だと思ったに違いない。
「友雅を待たせちゃ悪いわね。さ、行きましょうか」
再び二人は、前に向かって歩き出した。
気付かぬうちにあかねも足取りが慣れてきていて、ドレスの裾につま先も絡まなくなっていた。

「そういえば友雅さんも、私の結婚式で父役をしてあげる、とか言ってました…」
「あら、そうなの。でも、お父さんにはちょっと若すぎでしょうにねえ」
あかねたちは、揃って笑った。
彼とは年もやや離れているけれど、親子とまでは言い過ぎである。せいぜい年の離れた兄妹くらいが良いところだ。

「でも、友雅が新郎になった場合は…誰にお父さんを頼もうかしらね」
…………え?
「いくらなんでも、花嫁の父と花婿を一緒にはこなせないものね。誰かいないかしらねー…」
今、彼女は…新郎が友雅、と言ったか?
つまりそれは彼が花婿ということで、花嫁は……え、自分?
「可能性は、なくはないわよ」
「い、いえ…でも、それはっ…」
過去に巫女と護る者が男女であった場合、夫婦となって結ばれたケースはいくつかあると言う。
だから、それは100%あり得ないわけではないのだろうけれど。
けれども……彼が?
祭壇の前で自分を待ち、永遠の愛を誓う口づけをくれる…その人になる……?

「巫女様、あかね殿に妙なことを吹き込まないでくださいませんか」
「と、友雅さ…ん…!」
びくっとしたのは、祭壇の前にいると思っていた彼が、二人のところへ近付いてきていたのである。
「妙なことって、あなた…心外だわね。可能性のひとつとして、話しただけよ」
「そうは言いましてもね。失礼と存じますが、そういうお話は謹んで頂きたいものですが」
友雅は彼女と向き合い、苦笑いのまま話を続ける。
あかねはと言えば、何だかどきどき鼓動が震えて…頬が熱い。

考えたこともなかった、彼と結ばれることなんて。
今…巫女の彼女に話を振られて、初めて意識をした……のだけれど。
やだ、心臓が…飛び出そうなくらい暴れてる。
純白のベールが赤く染まってしまうほど、顔に熱がこもっているみたい。

「あかね殿、巫女様の話はスルーしてくれて良いからね」
「え?あ……」
彼の手が、あかねの頭をベールの上から撫でる。
そして顔だけは彼女の方を向くと、はっきりとした声で、こう答えた。


「私には、運命が許してくれるのなら、結ばれたい女性がいますからね」



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Megumi,Ka

suga