Kiss in the Moonlight

 Story=28-----02
「あ、あの…」
やや小振りな手が、肩を揺すっている。
大人しい口調の声が聞こえるけれど、女性…ではなさそうだ。
「友雅殿?どうなされたのですか…?」
この声は、聞き覚えが有る。
そう意識した瞬間に、友雅は睡魔から解放された。

「…永泉様でしたか。どうされたのです?」
「私の方がお尋ねしたいことです。先程、天真殿が慌てて聖堂に来られて…」
簡単に説明すると、今朝早く天真がいつものように、ランニングを兼ねて王宮内の見廻りをしていた。
すると、テラスのベンチで毛布にくるまり、寝ている友雅を見つけたので、驚いて永泉のところにやって来たのだと言う。
「びっくりされていましたよ。友雅殿が、野宿されていると言って…」
「はは、野宿ね…。まあそう思われても仕方ないかな」
ようやく目が朝日に慣れて来て、毛布とマントを払い除けた。
見上げれば…満天の星空はいつの間にか消えて、広がるのは清々しい青空だ。

さすがにベンチでは身体を伸ばせず、あちこちがギシギシ言っている。
関節を伸ばしながら深呼吸していると、永泉が怪訝な表情でこちらを見た。
「あかね殿と、何か問題でも…?」
外泊の間は、あかねの部屋に寝泊まりすることは、もう皆に周知の事である。
なのに、一人外で眠っているとなれば、まあ誰でも不思議に思うだろう。
「頭を冷やさなければ、いけなかったのでね」
「え?」
疑問符を浮かべた眼差しで、永泉が覗き込む。
「…いや。昨夜は月と星空が綺麗だったものだから、それらを眺めながら眠るのも良いかと思いましてね」
友雅はそう言って、軽く笑った。

「それで、問題の天真はどこに?」
「天真殿は、王宮の見廻りを終えられ…多分お部屋で朝食を待っておられるかと」
護衛団は他の者たちよりも、やや早めに食事が振る舞われる。
誰もがゆっくり穏やかに食事を摂れるよう、皆が食事の間は周辺の安全を保つためである。
「じゃあ、申し訳有りませんが…永泉様、彼に伝言をお願い出来ますか?」
「伝言ですか?ええ、構いませんけれど…」
日曜の朝。
少し遅めに動き出す時間が、今日はひそやかに早めに動き始める。



「それでは、行って参ります」
「はい、よろしくお願いしますよー」
大きなバスケットを小さな身体で抱えて、藤姫はメイドたちの部屋を出て行く。
「毎日頑張っているわねえ〜」
「あかね様のことが、大層お気に入りなのねえ」
メイドたちが顔を見合わせては、幼い後ろ姿を微笑ましく見つめる。
バスケットの中は、あかねが身を清める為に使う聖水と、柔らかなコットンのタオルを数枚。
聖水は毎朝一番の水を使うため、汲み置きしておくことが出来ない。
なので、藤姫があかねを起こしに行くついでに、それを毎日届けに行くのである。

今朝も機嫌良く、あかねの部屋を目指して歩いて行く。
だが、部屋の目の前にやって来た瞬間、目に止まった人物の姿を見て、それまでにこやかだった藤姫の表情が変わった。
「おはよう、藤姫殿。随分と待たせられたよ」
「…な、何かご用がおありですのっ!?て、天真殿までご一緒で…っ」
そう、友雅の後ろには天真の姿があった。
朝早くから二人揃って、あかねの部屋の前で待機しているなんて、一体何事か。

「実はね、私は今日から自分の部屋に戻るから、昨日運んだ荷物をもう一度引き上げたいんだよ」
「え?」
「友雅の腕、完治したんだってさ。だから外泊したまま退院して良いって、医者に言われたんだと」
というわけなので、わざわざ昨日運んだ荷物を、改めて友雅の自室に移動したいと…つまり、そういうことらしい。
「勝手にあかね殿の部屋に入ると、またお咎めを受けそうなのでね。藤姫殿を待っていたのだよ」
天真は「?」という顔をしているが、藤姫はあまり機嫌良さそうではない。
しかし友雅は相変わらず、普通の調子で穏やかに笑みを作って話す。
「わ、分かりましたわ。お待ち下さいませっ」
エプロンのポケットから鍵を取り出し、ドアをゆっくり回すと解錠の音が響いた。

扉を開けて、中に入ろうとする藤姫と天真。
そんな彼らを、友雅が呼び止めた。
「ああ、そうっと静かにね。まだあかね殿は眠っているだろうから…」
「お、おう、分かった」
夕べはいろいろとあって、眠ったのも遅かったに違いない。
日曜だから朝食は少し遅くても良いし、だったら少しでも長く寝かせてやろう。
「起こさないように、忍び足でね?」
「分かってるって…」
カーテンが朝日を遮って、部屋の中はまだ薄暗い。
部屋の奥にある彼女の寝室のドアは、閉じられたままだ。


それから一時間ほど過ぎた頃。
「そろそろ…お目覚めにならないといけませんわ」
あかねを起こさないように、と友雅に言われていたので、藤姫は寝室の前で彼らの荷運びをじっと眺めていた。
元々あまり多くの荷物を運ばなかったため、片付けはスムーズに早急に終わり、客室の中はすっかりからっぽだ。
「私、あかね様を起こしてさしあげなくては」
「ああ、もうそんな時間だね。じゃ、私は部屋に下がるから…あとは任せるよ」
最後に残っていた上着だけを手に取って、友雅はあかねの部屋を出て行く。
こんなことになるのなら、昨日の作業なんて必要なかったのでは、と思いながら藤姫は寝室のドアを開けた。

「あかね様、そろそろお目覚めの時間ですわ」
「…ん?あ…おはよう…藤姫ちゃん…」
可愛らしい顔が覗き込んできて、眠気を優しく取り払ってくれる。
その後で、聖水に浸したタオルを、まだベッドの中にいるあかねに手渡した。
「お手伝いいたしますわ」
寝間着を脱ぎ、全身を清めるように肌をタオルで軽く擦ったあと、頭の上から聖水のスプレーを浴びる。
王宮に戻ってから毎朝行う、上級巫女だけに与えられた浄化の儀式。
妖精の頃には満足に手伝いも出来なかった分、藤姫は甲斐甲斐しくあかねにいつも付き添っている。
まだ背丈は幼い子どもくらいだが、手のひらに乗るほどの身体だった頃よりはずっとマシだろう。

「今朝のお食事は、遅めにお願いしておりますわ。これからお運び致しますわね」
「うん…ありがと」
「夕べは、お休みになるのが遅めでしたもの。ごゆっくりと、召し上がって下さいませね」
そう言って藤姫は、使用済みのタオルをボウルの中で軽く濯いだ。


「あの、藤姫ちゃん…友雅さんは?戻って来た?」
あかねは着替えをしながら、後ろにいる彼女に尋ねた。
彼がどこに行ったのか気になって、結局明け方まで寝付けなかった。
それに……おやすみのキスが出来なかったことが、妙に落ち着かなくて…。
「友雅殿は朝早く戻られましたけれど、そのままご自分の部屋に戻られましたわ」
「ほ、ホント?じゃあ、部屋に…いるの?」
「いいえ。ご自分のお部屋に移られましたわ」

………え?

着替えの途中で寝室を飛び出し、来客用の部屋のドアを開けた。
そこであかねの目に映ったものは、ベッドはおろか…まったく何もない、完璧にからっぽの空室だった。



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Megumi,Ka

suga