Kiss in the Moonlight

 Story=28-----01
夜も更けて、昼間の喧噪はすっかり途絶えた。
闇を照らす明かりも減り、静寂の中でかすかに聞こえるのは、フクロウの声。
そんな真夜中だというのに、この部屋は皓々と明かりが灯されている。
ソファに座る友雅の向かい側には、眉を吊り上げた藤姫がこちらを睨む。
そして彼女の隣には…バスローブをきっちりと着込んだあかねが、うつむいたままそこにいる。

「だから、そういうつもりじゃなかったと、何度も言っているだろうに」
「でしたら何故、外からお声を掛けなかったのですかっ!」
「何回も呼んだよ。だけど返事がなかったから、中で倒れているんじゃないかと思って、ドアを開けて…」
「入浴中は、あかね様は何も着ておりませんのよ!!友雅殿は、そこに入られるおつもりでしたのっ!?」
…いや、結局浴室には入らなかったけれど、最終的には…目を射られた。

「誰かをお呼びになれば、よろしかったのです!」
「でもね、もし倒れた時にどこかを打っていたら、それこそ一大事になるだろう。だからすぐにでもと…」
何とかして、藤姫を説き伏せられないだろうか。この身の潔白を、証明してみせなくては…。
だが、頑固なほど怒りを露わにしている藤姫が緩むのは、まだまだ時間が掛かりそうな気配。

バスルームに立ち入ったのは、純粋な機転からである。
どんな場合だろうと、あかねの身を護ることが自分に任せられた役目であるし、最低限の怪我や病もはね除けてやらねばならない。
大概の応急処置法は学んでいるし、湯あたり等の手当も把握している。
詳しい事は専門家に任せるとして、自分が出来る最良の行動を起こすことが第一。
そう思って、ドアを開けたのだ。
ささやかながらに、"申し訳ない"と胸の中で詫びながら。

問題のあかねの様子は…ぎゅっと身体を抱きしめるようにして、ちょこんと小さく座っている。
藤姫殿は良いとしても、せめて彼女には…理解してもらいたいんだけれどね…。
と、顔を上げたあかねと、一直線に目があった。
しかしすぐに彼女は目を逸らし、顔を赤くして再びうつむいてしまう。


----------------ギシッ。
ソファの背もたれが軋む音がして、あかねたちの前がうっすらと陰る。
人の姿がスッと通り過ぎ、やがてまた視界が明るくなると、ソファにいたはずの友雅の姿がない。
「友雅殿!どちらに参りますのっ!?まだお話は終わっていませんわ!」
藤姫が立ち上がると、友雅は去ろうとした足を止め、ひとつ大きな溜息をついた。
「…良いよ。君たちの好きな通りに、受け取ってもらって構わないよ」
「えっ…」
はっとして、あかねが顔を上げた時、既に友雅は背を向けていた。
彼は無言のまま、自分のために用意されていた部屋へ戻ってゆく。
「やっぱり友雅殿ったらっ…!!」
ぷんぷんと頭から湯気を出している藤姫とは裏腹に、あかねは何故だか妙な戸惑いを覚えた。
友雅の姿が消えたとたん、沸き上がったこの感覚は…何だろう?。


彼が部屋に姿を消した間、藤姫はといえばずっと友雅への愚痴をこぼしている。
そんな声も上の空で、あかねは依然続いている重苦しさが、胸の奥から消えてくれない。
しばらくするとドアの開く音が聞こえ、二人はそちらに視線を向けた。
姿を現した友雅は、さっきと同じ格好だがその手には薄手の毛布とマント。
それらを抱えて、彼は部屋の入口へと向かう。
「と、友雅さん…?どこに行くんですか…」
とっぷりと夜も深まった時刻。
深夜まで酒を扱う店もあるが、この時間ではどこもかしこも閉まっていて、出掛ける場所なんてないはずだ。

「頭を冷やすために、今夜はどこか別のところで眠るよ」
彼はそう言って、ドアのノブを回す。
分厚い扉の開く音が、広い廊下にまで響き渡る。
「じゃ、二人ともそろそろ眠った方が良いよ。おやすみ」
「そ、んな…あの…、ちょっと待っ…」
駆け寄って来るあかねから、友雅は静かに顔を逸らしてドアを閉めると、扉に挟まれて二人の場所が区切られる。
すぐにあかねは廊下に飛び出したが、そこには……もう友雅の姿はなかった。


「まったく、何てことでしょうっ!あかね様を護る立場でありながら…っ!」
文句を言いながら藤姫は、客間のランプを消して戸を閉める。
からっぽの部屋。
彼が眠るために用意してあったベッドは、使い道もなく静かにそこにある。
「あかね様、もうそろそろお休みになった方が。明日もまた、お勤めの予定がございますから」
「あ、うん…」
まだまだ背も低く幼いながらも、藤姫は1人でてきぱきとあかねのベッド周りを整え、今日最後の用事を済ませた。
「それでは、おやすみなさいませ」
「うん、おやすみ藤姫ちゃん」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げ、彼女はラベンダー色のエプロンの裾を揺らし、メイドたちの寝室へと戻って行く。
小さな足音が、コツン、コツン…と廊下に響き、姿が闇に見えなくなると、そっとあかねはドアを閉めた。

しいん……とした広い部屋。
いつも眠るときは1人になのに、どうしてなんだろうか…今夜は心細い気がする。
チェストやテーブルの上に、小さく灯るランプの明かり。
その朧げな揺らめきが、寂しさを一層膨張させる。
「…早く寝なきゃ、だよね…」
藤姫が言っていたように、明日も継承儀式のための準備がある。
週末だから簡単に済むが、睡眠不足で取り掛かるだなんて、もってのほか。
あかねは自分に言い聞かせて、ローブを脱いで寝間着に袖を通した。
湿ったバスローブはバスケットの中に入れ、そろそろ寝室へ行こうとランプをひとつ消す。
カーテンから透ける月明かりが、足元へと差し込んで来る。

あれ?
ふと、あかねは歩みを止めた。
何か私…忘れているような気がするけど、何だろう?
寝る前に日課としていること。
肌のお手入れもしたし、着がえも揃えているし、明日使用する資料と書籍も用意してある。
ひとつひとつ指差し確認してみるが、特に気付くようなものはない。
「いいや…。取り敢えずもう寝なきゃ…」
思い付かないものを考え込んでいても、時間ばかりが過ぎて行くだけ。
あかねは思い出すのを諦めて、寝室へと向かった。

枕元のトレイに、小さなアロマキャンドルひとつだけを灯して、綺麗に整えられたベッドに潜り込む。
薄いけれど暖かな毛布に、ふわふわ軽い羽毛布団。
王宮に来る前、一人暮らしをしていた頃の寝具と比べたら、当たり前だけれど全く違う。
あの頃は毛布を何枚も重ね、叔母が作ってくれたキルトケットを被って眠った。
ベッドだって、どこにでもある標準のシングルサイズひとつ。
それが今は、こんなに広いダブルベッドを与えてもらい、のびのびと身体を伸ばして眠れる。

…あの時もこんな広いベッドだったら、友雅さんと一緒でも楽々だったのにな…。

--------あ。
ぱっと一気に瞼が開き、むくりとベッドから上半身を起こす。
忘れていたこと、今思い出した……。
真っ暗な天井を見上げて、あかねはそうっと自分の指先を唇に当てる。
今夜は…おやすみのキス…してない。
毎晩必ず、どんな時でも交わしていた信頼の証のキス。
一度だって欠かしたことはなかったのに、彼が出ていってしまったから…。

キャンドルライトがぼんやりと、あかねの影を壁に映し出す。
「…友雅…さん」
名を口にするけれど、気配はどこにもない。
こんな真夜中に出て行った彼は、今どこで眠っているんだろう…。



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Megumi,Ka

suga