Kiss in the Moonlight

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「こんな時間に外を出歩くなんて、上級巫女様のなさることではないですよ」
「大丈夫よ。王宮内は安全だし。それに、何かあっても…彼が一緒だから」
父親ほどの年齢の彼を供に付け、彼女は夜道をゆっくりと歩く。
人の気配など、どこにもない静寂の闇。
時折夜風が木々の間をくぐり抜けて、葉擦れの音を涼しげに響かせる。
そして空には…満天の星。
国の中心地にあるにもかかわらず、王宮から見上げる空は澄み切って美しい。
空気も、自然も、人々も…何もかも豊かで満たされた土地。

だが、そんな風に穏やかな日常を過ごせるのも、少なからず目の前の彼女の存在があるから。
上級巫女が龍からの天啓を受け取り、聖なる力をこの地上へと染み渡らせてゆく。
目には見えない儀式だが、それらがあってこと世界は調律を保っている。
なだらかで優美な細い肩と、金茶の長く美しい髪。
彼女に課せられた任務の重さは、計り知れない。
「さ、いらっしゃい」
友雅の方を一旦振り返り、彼女は会議場の横を曲がる。
大きな西洋アカマツが、アーチを作るように二本並んで伸びている中を、彼らは真っ直ぐ進んでゆく。
しばらくして見えてきたのは、深い葡萄色のガラスをあしらった屋敷。
別名、ワイン色の館。
現・上級巫女の彼女が住む屋敷である。


屋敷の中に通された友雅だったが、椅子や茶を勧められるわけでもなく、ただ彼女たちの後を着いてゆくだけだった。
ランプの明かりだけが照らす中、奥のドアを開けると地下に続く階段が見える。
火を灯したキャンドルスタンドを手に、足元を気遣いながら下りてゆくと、そこには小さな祭壇があった。
「ここは…何のための部屋なのですか?」
「個人礼拝堂です。公的な儀式とは別に、プライベートで使用するためのものでございます」
上級巫女の携わる儀式は殆どが公的なものであるが、私的な儀式を執り行う場合もある。
常に天からの恵みを、龍を通じて神気として受けている彼女であるから、公式な政がないときも祈祷を捧げ、心身を浄化させなくてはならない。
その度に大聖堂を使うワケにも行かないため、こうして上級巫女の部屋には必ず地下に礼拝堂が作られるのだと言う。
「じゃあ、あかね殿の部屋にもあるのだね」
「そうよ。まだあかねは正式な継承を受けていないから、知らされていないけど」
彼女はそう言うと、祭壇のキャンドルに明かりを灯した。

ぼんやりと中が照らされると、祭壇に並ぶものたちが見えてくる。
キャンドルに暖められた香油の小皿から、立ち上る花の香り。
一輪ずつ白い薔薇が左右に捧げられ、祭壇の中央にある黒曜石の玉を抱いた銀色の龍の像が、暗闇で浮かび上がった。
「まるでご神体のようですね」
「そのようなものでございます。巫女様は、天の龍に加護を受けられている御方ですから」
巫女に仕える彼は、友雅にそう告げた。

しばらくして、彼女は祭壇の前に跪いて祈り始めた。
白い指先をしっかりと握り合わせ、瞼を閉じて天を仰ぐ。
何かしら唱えているようだが、詳細までは聞き取れなかった。

2〜3分ほど祈祷が続き、風が入るはずのない地下の礼拝堂の中、キャンドルの炎がゆらゆらと靡き始めた。
「友雅、私の隣にいらっしゃい」
急に名を呼ばれて驚いた友雅だったが、彼女に仕える彼の誘導によって、静かに祭壇の方へ歩いてゆく。
改めて気付いたが、彼女が跪いている中央の床下には、ワイン色のタイルでモザイク画が作られていた。
それらは大きな円を作り、謎めいた象形文字みたいな模様が描かれている。
敢えて言うなら、これはまるで魔法陣のようだ。

「この陣の中に入って、私のように跪いて」
「はあ…巫女様の仰せに従いますが」
一番近くにいるとは言っても、上級巫女である本人にどんな心身の変化が起きているか、それまでは分かりかねない。
友雅の場合、人の本心を見抜く力には優れているが、それらは神が彼女のために手を施すもの。
他人が踏み込んではいけない、聖域だ。
「友雅は両手を、地に付けなさい」
言われるがままに、友雅は手を魔法陣の中にぴたりと付けた。
タイルの冷たさと地下の空気が混ざり合い、ひやりとした感触が手のひらに伝う。

「…………?」
しかし、冷たさを感じたのは一瞬のこと。
引いた波が一気に押し寄せるかのように、突然魔法陣の中に熱が広がってゆく。
「これ…は……」
顔を上げて隣の彼女を見ると、頭の中に誰かの声が響いてきた。

『旅のあとも、順調に事が進んでいるようだな』

間違いない。この声は…あの山頂で聞いた神の使いの声。
響いてくる威厳のある声とともに、祭壇に祀られた龍の像が抱えた黒曜石が光る。
「天帝の声を聞く龍よ、友雅を連れて参りました。よろしくお願いします」
「…?」
彼女は手を合わせ、天に願いを捧げる。
どうして自分を連れて来たのだ。
すべてのことは終わったはずだし、今も龍は順調に進んでいると言ったから、特に問題のあることはないはず。
一体何があるというのだろうか。

『橘友雅、そなたの腕……解放してやろう』
「何だって?」
友雅は咄嗟に、痛みを患っている左腕を床から離した。
既に魔法陣の中には神気が広がっていて、手を離しても龍の声は聞こえている。
「あなたのその腕、彼が気によって一矢を報いた証よ」
そう言って、彼女は顔を上げた。
「あのね、あなたの力は龍を本気にさせるほど強いものだった。だから、彼も命がけで応じたの。気を注入する…という方法で」
表面に外傷を作らず、神の力を得ている彼だからこそ出来る攻撃。
触れずとも、骨や筋肉を傷付けることなど…容易いこと。

『致命傷くらいにはなると思ったが、そこまでは至らなかったか。強運というか、それとも実力があるというか』
「これでもかなり、酷い目にあったんだけれどねえ」
あらゆる薬剤と呪い、そして隣にいる彼女の力を借りなくては、まだ痛みにのたうち回る日々が続いていたはずだ。
それも今や随分と和らぎ、たまに貫く痛みが押し寄せるが、薬で何とかなる。
「でも、いつまでもそんな状態じゃ困るでしょう。大切な時に薬が切れたら、あかねにバレてしまうわ」
そう、問題はそこなのだ。
薬効の時間はある程度計られて処方されている。あかねに付き添う時間に合わせて、調節してもらえば問題はない。
しかし、いつでも予定通りとは限らない。
何かしらの問題が生じ、大幅に時間が遅れることもあるだろうし、その時に薬の効果が切れたら…。

「だから、直して貰いましょう。ね、お願い出来るわね?」
直してもらう?…ということは、龍に治療を頼むということか。
そんなことが可能なのか。対戦して傷を付けた相手を治療するなんてこと。
「大丈夫、友雅。あなたのこれまでの事は、彼も十分に満足しているはずだから」
「…申し訳ありませんが、状況が良く把握出来ないのですが」
困惑する友雅に対し、彼女は聖母のように穏やかな微笑みを作った。



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Megumi,Ka

suga