Kiss in the Moonlight

 Story=26-----04
その日用意されたディナーは、なかなかに豪華な献立だった。
王宮内の農場で作られたベビーリーフのサラダに、南国レモンのデザートソルベ。
上質の若鶏を使ったフリカッセに、西国で有名な銘柄の赤ワインは、友雅が好きなものを選んで、詩紋に用意してもらった。
「病棟にいる時は、こんな立派なものは食べられないからね。久し振りの晩餐という感じだったよ」
「そうですかー。良かった、満足してもらえて」
ダイニングルームから部屋に帰る道を、雑談しながら二人は歩き続ける。
すっかり外は闇に包まれて。
ランプに灯った小さな明かりが、点々と回廊を照らしている。

「明かりがひとつずつ灯って…何だか、山の中の洞窟を思い出すね」
「あ、そうですね…。こんな風だったっけ」
ずうっと長く頂上へ続く距離を、淡々と歩き続けただけの数日間。

でも、全然つまらないとか退屈な感じはなかったな。
友雅さんとふたりきりだったけど、安心感があったから…。
………安心、してるんだよね、うん。
友雅さんのそばにいると、一緒にいると安心する。
彼と一緒にいれば、間違いは起こらないっていう絶対的な信頼がある。
それは間違いないのだけれど…。
だから、キスをしても特に違和感を感じない…?

「どうしたの?急に黙って」
「え?何でもないです。ちょっと久々の御馳走メニューで、食べ過ぎちゃったかなーって」
「そうか。でも、たまには良いだろう。好きなものを食べるのも、精神的にはプラスになるよ」
そう話しているうちに、あかねの部屋に到着する。
ドアをゆっくりと開けて中に入ると、既に夜の支度が整えられていた。
シャンデリアは消されて、代わりにキャンドルグラスに火が灯されている。
カーテンは引かれ、ベッドはターンダウン済み。
サイドテーブルには水入りのピッチャーと、グラスも用意されていた。

「えっと…どうします?シャワーとかバスルームとか、使います?」
「そうだねえ…」
部屋の中には、もちろんバスルームが備え付けられている。
リビングと同じ大理石造りで、広々とした円形のハーブオイル入りの湯が張られている。
「あかね殿が先に使って良いよ。私はちょっと出掛けて来るから、ゆっくり入っておいで」
「えっ?今から出掛けるんですか?」
時計の針は、午後11時近い。
こんな時間に一人で外出する用事なんて…あるんだろうか。
「君のバスタイムが終わる頃には、帰ってくるよ。せっかくの湯上がり姿を見損ないたくないし」
「な、何言ってるんですかっ!」
動揺するあかねを見て、くすくす笑いながらクローゼットのマントを取り出す。
「心配しないで、すぐ帰るからね。湯に浸かって、疲れを癒すんだよ?」
あかねの頭を軽く撫でて、彼はまたドアを開けて出てゆく。
パタン…と扉が閉まり、またあかねは一人で部屋に残された。


+++++


王宮敷地内はひとつの町のようなもので、農園はもちろん学校や病院、そしてあらゆる一般的な店も揃っている。
それらはすべて王立として経営され、王宮内に暮らす者たちに憩いの場として提供されていた。
その中の一軒。
深夜遅くまで営業している店がある。

カラン…。
ドアを開けるとベルが響き、店内に流れる緩いジャズが夜の空気に溶ける。
「いらっしゃいませ…。おや、お久し振りです、友雅殿」
週末の夜だというのに、店内の客はまばら。
皆それぞれ王宮の外に遊びに行っているか、または酒以外の楽しみを見付けたか。
友雅はカウンターに進み、マスターの彼と向かい合って座った。
「旅のあと、病棟に入られていたと聞きましたが、もう平気なのですか?」
「うん、まあね。まだ完治には時間が掛かるけど…取り敢えずね」
話を聞きながら、背後の棚にある友雅のボトルを手に取ろうとする。
だが、友雅はそれを遮る。
「いつものじゃなくて、葡萄のフルーティーなワインにしてくれるかい」
「珍しいですね。普段は強めのものを頂くのに」
「私は構わないんだけどもね。彼女がそばにいるから…匂いの残る酒は止めておくよ。キスをしても差し支えのないものを、選んでくれるかい」
友雅の言葉に、彼は手を止めた。

「もしや、あかね様と想いを通じ合うことが出来たのですか?」
そう尋ねるイクティダールに、友雅は苦笑いをした。
「私は相変わらず、彼女を護る者であって、それ以上でもそれ以下でもないよ」
甘酸っぱいワインのボトルが、カウンターにグラスと共に用意される。
イクティダールはコルク栓を外し、トクトクとそれらを注ぎ入れた。
「第三者の目から見ると、恋人に見えなくもないのですがね」
「そう見えるかい?君の目には」
「ええ、隻眼の目でもしっかりと、そう見えますが…現実は難しいご様子ですね」
まったく、何度苦笑すれば良いか。
でも、それくらいしか反応が出来ないのだ、今の自分には。

「一番近くにいるけれど、心はなかなか遠いよ…」
諦めて悟りを開いたつもりでいたのに、それらは彼女に近付くたび、揺り動かされてバランスを崩し始める。
自分は本当に、決心の弱い男だ。
覚悟を決めたはずが…また彼女を抱き締めたくなるのだから。
「恋とはそういうものですよ。いけないと分かっていても、惹かれてしまった気持ちは消せないものです」
「…重いね、君が言うと」
バーを経営しているイクティダールは、イノリの姉と秘密裏に恋仲なのだと言う。
イノリの姉へのプロポーズのタイミングを誤り、彼女はお家事情の末に婚約者を決められてしまったらしい。
だが、それでも想いは諦めきれず、今も二人は逢瀬を続けていると聞いた。

「でもね、私よりはずっと良いよ。君は…彼女と相思相愛だからね。私なんて、ただの一方通行だ」
周りがどう見ていようと、心は対等ではない。
自分ばかりが想いを募らせて、彼女への感情を強めていくばかり。
そしてその度に、困難な恋であることを自覚させられては、ためいきをつく。
「不幸に思わない方が良いよ。私の存在を思えば、君らには可能性は広がっているんだからね」
グラスのワインを口に含むと、シャンパンのような甘い味が舌を流れていく。
まるで彼女のキスみたいに…甘いワインだ。


カラン…
日付が変わる頃だというのに、新しい客が来たようだ。
「いらっしゃいま…っ…」
イクティダールが、入口を見て声を失った。
店にいる誰もが、一瞬のうちに息を飲む。
一体なんだろうと友雅が振り向くと、そこには現上級巫女と彼女を護る彼が立っていた。



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Megumi,Ka

suga