Kiss in the Moonlight

 Story=25-----02
「知らなかったわ。あかねって、こういう特技があったのね」
手土産のショートブレッドを人数分に切り分け、それを一口かじった現上級巫女の彼女が、感心するようにつぶやいた。
「私、料理なんて全然出来ないのよ。本当にすごいわ」
彼女は元々、何人もの使用人を雇う商家の娘である。
自ら料理を作ったり、雑用をする習慣など不必要だったのだろう。
あかねはといえば、まるっきりその逆。
「ずっと叔父と叔母の家で、家事手伝いしてましたから」
「あ…ごめんなさい。変な話題振ってしまったわね」
失言だった、と彼女は申し訳なさそうに口を閉じたが、あかねはそんなことなど気にはしない。
「構いませんよー。叔父たちの家でも楽しく暮らしてましたし。一人暮らしも、割と面白かったですよ」
アパートメントの狭い一部屋も、まるで自分の城のように思えて。
決して裕福な日常ではなかったけれど、辛いことなんて殆どなかった。

「そうだね。あかね殿らしい、可愛らしい部屋だったよ」
友雅は小さなグラスの薬草酒を、少しずつ飲みながら言った。
「あら、あなた…あかねの部屋に行ったことがあるの?」
「ええ。彼女を探しに行った時に、一晩泊めて頂きましてね」
彼女は少し驚いた目をして、友雅から続けてあかねの顔を見る。
けろっとした顔。にこにことして、普通と変わらないあかねの表情。
「こういう特殊なことですから、一言二言で伝えられないでしょう。ですので、一晩かけて何とか説明して差し上げたんですよ」
まあ、確かに簡単には説明できない。
上級巫女の存在さえ、トップシークレットになっている事例。
その上級巫女を、次は自分が継承するのだ…なんて、時間を掛けなくては理解し辛いだろう。

「でも、丁寧に友雅さんが話してくれたんで、一晩で何とか分かりました」
自分が選ばれたことには半信半疑だったけれど、次の日の朝には頼久も伴って叔父たちに説明をしてくれたし。
まる一日掛けて細かく説明を繰り返すうち、あらかたのことは飲み込めるようになっていた。
「最初はちょっと信じられなかったですけど、最後には"頑張ろう"って思うようになって」
「それは良かった。一晩じっくりと、ベッドで教えた甲斐があったかな?」

----------げふっ!
突然彼女が咳き込んで、慌てたように背後の彼が背中をさすった。
「友雅さんっ!そういう誤解を招くような言い方、しないでくださいっ!!巫女様が咳き込んじゃったじゃないですかっ!」
「誤解?正しいことを言ったはずだけどねえ」
あかねもすぐに彼女のそばに駆け寄り、コップの水を差し出した。
「あ、あなた…、あかねにどんなことしたの…っ?」
「上級巫女について、きちんと説明をしただけですよ」
「それがどうして、一緒のベッドに入る必要があるのっ!」
彼の手の早さと女性関係の豊富さは、王宮にいる者なら知らないくらいだ。
なので、否応にもよからぬ想像を描いてしまうものだが。

「ち、違いますよ!あの、寝るところがなかったから、やむなくそうなっちゃっただけですから!」
即座にあかねが、横から割り込んで来た。
「私の部屋ってワンルームで、ベッドもリビングもキッチンも一緒なんです。狭いから、あまり家具も置けなくて…」
テーブルとソファも、ダイニングセットと兼用。
他に小振りのチェストと、シングルベッドが置ける程度の部屋。
「だから、寝るって言ってもベッドひとつしかなくて…」
突然の、しかもろくに素性も知らない相手とはいえ、彼は来客であるし。
ベッドは彼に譲って、自分はソファで眠ろうと思ったのだけれど…
「ソファで縮こまりながら寝させるのは、可哀想だからね。じゃ、一緒に寝ようってことで」
「じゃあ、って…どうしてそうなるのよ…」
呆れたように、彼女は頭を抱える。

…それとも。
あかねに出会った瞬間から、彼は心をも捧げていたんだろうか。
自覚はしていなかったにしても、初めて出会った時から。
ずっと…そして今現在まで。
「少しは言葉選んで下さいよっー!」
気兼ねの無い会話。
戯れ合うように、肩を抱いて、頬に触れて。
二人の間に壁などなく、素直に繋がり合っているように見えるのに。
…まだ、彼の心は一方通行のまま。
あんなにも愛しげに、あかねを抱き寄せても…。

「巫女様、そろそろ夕刻の礼式のお時間が迫っておりますが」
彼が紳士的に、かつ義務的に彼女の耳元で告げた。
上級巫女は毎日、朝・昼・夕・夜と四回の儀式を執り行う。
現世の様子を龍に伝え、龍は天啓を巫女に伝えてくる。
それが、この世界の平穏を保ち続ける日々の重要儀式である。
「あかねはゆっくりしてらっしゃい。面会時間は、まだ終わらないでしょ」
病棟の門が閉じられるのは、午後8時。
だが、そんな時間まで外出はしていられないから、せいぜい7時程度がタイムリミット。
残すところ、あと1時間半くらいだ。

「それじゃ失礼するわね。友雅、くれぐれもあかねに変なことしちゃだめよ?」
「…ふふ、何をおっしゃると思えば。私は…護る者ですよ」
入口で振り返った彼女に、友雅はそう答えた。
冗談で釘を刺したつもりだったのだが、彼には少し手厳しかっただろうか。
最後の方の口調が、やや空虚感を漂わせていたのが気に掛かる。
"私は護る者"
それは…彼に課せられた永久の称号。
時として、辛い人生を強いられるものでもある。

「じゃあね」
「はい。おやすみなさいませ」
あかねは病室から出ると、階段を下りていく彼女たちが見えなくなるまで、丁寧にぺこりと頭を下げて見送った。
廊下には小さなランプが明かりを灯し、ガラス窓の向こうはオレンジ色の夕暮れ。
誰もが家路へと向かい、暖かな夕餉の団らんに包まれる時間。
だが、もう一度あかねは病室へと戻り、静かにそのドアをパタンと閉じた。
「カーテン閉めて、お部屋の明かりを付けますね」
「ああ、有り難う」
カチッと油に火が灯り、クリーム色のカーテンが窓を覆う。
とたんに、空気が凝縮されたように小さくなる。

「毎日いろいろ味を変えてくるね。今日のは…ローズマリーかな?」
「あたりです!甘みは控えてますけど、爽やかな味でしょう?」
薬師たちや詩紋に尋ねながら、ハーブの効果を色々と調べている。
それぞれに効果や作用が違うが、その中から分量など助言を貰いつつ料理に取り入れてみた。
「ローズマリーって、解毒作用があるって言われてるらしいんです。だから、もしかしたら…って」
あかねはベッドの横に椅子を置き、座ってショートブレッドの端切れをかじる。
瞳は、シャツに隠れた友雅の左腕を、じっと見ている。

しばらくして、ふわり…と、あかねの髪に暖かいぬくもりが触れた。
顔を上げてみると、友雅の手が頭を撫でてくれている。その手は…左手だ。
「ほらね、もうちゃんと肩も腕も上げられるんだよ」
「……痛くないんですか?」
「たまに痛みはあるけど、日々を追う毎にどんどん良くなってる。昨日よりずっと、腕も軽いんだ」
くしゃ、とかき混ぜるようにすくう指先。
そしてゆっくりと、自分の方へあかねを引き寄せる手の動き。
昔と、殆ど変わらない。



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Megumi,Ka

suga