Kiss in the Moonlight

 Story=24-----04
彼はテーブルの上に用意したお茶を置いて、そっと別の部屋へと移動した。
その場の雰囲気を自然に保つよう、自らの気配を消す気転の良さは、彼の紳士的な性格を物語る。
熱い湯気と共に立ちのぼる、やや柑橘系のお茶の香り。
ミルク色の陶磁器に、砂糖菓子と蜂蜜が添えられている。

「あの時、もっと私が大声で…止めてくれって言ってたら、こんなことにならなかったのかもしれないのに…っ」
あかねの脳裏には、龍と対峙する友雅の姿が、今もくっきり残っているのだろう。
現上級巫女である彼女自身も、対面したことのある龍。
大きくて壮大で、神気溢れる聖なる獣。その力は、攻撃力も含めて絶大だ。
「でも、友雅は彼を認めさせたのよ?しかも剣一本で、相手に一矢を報いたのでしょう?それは過去の例を見ても、滅多にない凄い事なのよ?」
「だけど…あんな怪我しちゃったんですよ…?」
「そんなに思った程、深い傷じゃないのよ。もう治療法が見つかったから、すぐに元通りに……」
慰めようとするが、あかねは首をぶんぶんと横に振る。

弱かったのだ。
もっと強く懸命に叫けば、声は届いたかもしれない。
「あんな試練とかしなくたって…私は友雅さんしか頼れる人いないのにっ…。試さなくたって、友雅さんはずっと護ってきてくれてたのにっ…!」
試練なんて無用だった。龍が何と言おうと、三年余りの中でどんなに彼が自分を護ってくれたか。
それは、上級巫女になる自分が一番良く知っている。
それだけで良いじゃないか。他に,何の問題があるのだ?


「じゃあ、これから面会に行きましょう。」
立ち上がった彼女が、あかねの手を引いてそう言った。
奥に声を掛けると、すぐに彼がやって来る。
「これからあかねを連れて、友雅の面会に行きます。病棟にも、その旨を伝えておいて。」
「承知致しました。」
溢れた涙で頬を濡らしつつ、あかねは呆然として彼女を見上げる。
「もうかなり元気な様子だったから、会いに行きましょう。その目で見れば、怪我が意外と軽傷だったって分かるわよ。」
「で、でも…泰明さんが…」
継承儀式の前であるから、あまり外出はするなと言われた。
だからこうして部屋に閉じこもっていたのだが。
「そんなの平気よ。私も護衛官たちも着いて行きますから。」

指先で涙をぬぐってくれる彼女は、上級巫女として先輩であるだけでなく、あかねにとっては姉のような存在だ。
兄弟もなかった自分にとって、優しく心に触れてくれる。

でも、今は彼女よりも……友雅に会いたい。
もっともっと、優しく抱きしめてくれて、護り続けてくれている彼に、会いたい。


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右手を添えて、左腕を少し上へと持ち上げてみた。
痛みはまるっきり消えているが、感覚は相変わらずだ。
しかし、以前はその腕の存在さえ失っていたものが、ほんの少しだが自覚症状を取り戻してきている。
「ふうん…やっぱり効いたのかな。」
鎮静剤と、特殊な薬草を配合した安定剤。
そして現上級巫女が、直々にこの腕全体に与えてくれた龍の力。
多分それらが自らの治癒力を、活性化させてくれているみたいだ。
…まあ、これで治るなら良いよね、と友雅は思う。

今から思えば、相手はこちらの想像をすべて超える存在の聖獣だ。
どんな攻撃をするかなんて、分かったもんじゃない。
外傷だけじゃなく、身体の中の組織を壊す攻撃だって、彼なら容易かっただろう。
なのに、これくらいで済んだのが不幸中の幸いだ。泰明も、そう言っていた。
命があれば、あとは何とかやっていける。
…彼女のそばに居続けることが出来るのだし。


「失礼します。面会希望の方をお連れしました。」
軽やかなノックのあとで、病棟のスタッフが顔を出した。
さっきのような慌ただしさが、再び廊下に広がっているようだが、一体誰が訪れたのだろう。
…と思っている間に、開いたドアの向こうから眩しい光が飛び込んで来た。
その光は、迷わずこちらにやって来る。
小さいけれども、暖かく眩くて優しくて甘い…。
この感触を、友雅はよく知っている。

「あかね殿…?」
「友雅さんっ…友雅さ…んっ」
左腕に触れない様に気遣いながら、涙も止めずに彼女はしがみついてくる。
自由の利かない左のかわりに、友雅は右腕であかねを抱きとめた。

静かに、静かに、ドアがそっと閉まる。
廊下にいる者たちに小声で言伝を頼み、現巫女と彼女を護る彼は、気付かれないように病室を後にした。





「だから、ほらね?もう痛みもないんだよ。」
あかねを枕元に座らせて、友雅は何度か腕を動かしてみせた。
時間が経ったせいか、数時間前よりも腕は動く。痛みも鎮静剤が効いていて、取り敢えず今は無痛だ。
「本当に大丈夫なんですか…」
「心配性だねえ。あれくらいのことで立ち直れなかったら、君を護るって自信を持って言えないよ。」
泰明たちの治療法のおかげで、こんな風に誤摩化しつつやり過ごせそうだ。
あとは、彼女が不用意に責任を感じて、うなだれたりしないようにすること。
この笑顔こそを、護ってあげなくてはね…。

「あの、私…何かすることありませんか?」
「うん?何かって…逆に何をだい?」
「ええと…欲しいものとか、買って来てもらいたいものとか…そういうのあれば、持ってきます。」
十分自分の立場は分かっている。
上級巫女を継承する日が迫っている、大切な時期であることは。
でも、それでも…彼のために何かしたい。
早くいつもの彼に戻ってもらえるように、少しでも力になりたい。

「じゃあ、何もしなくていいから…ここにいてくれるかい」
ぽかんとして、あかねは友雅の顔を見る。
相変わらずいつも通りに、彼はそこで微笑んでいてくれる。
「護る者の特権を無駄にしたくないんだ。尊い存在の上級巫女殿の可愛い顔を、こんなに近くでじいっと見ていられるんだからね。」
「ふふっ、何ですかぁ、それ…」
目尻にはまだ涙の痕が残っているけれど、そうやって少しでも笑ってくれれば。
そう、君の笑顔を間近で見ることが出来る特権。
どんなにそれが、私にとって至福のひとときであるか……気付いていないだろう。

「ん?何ですか?」
伸びた長い指先が、あかねの髪を軽くすくう。
はらはらと、さらさらと指からこぼれ落ちて、柔らかな頬へと少し乱れて。

オレンジ色の夕日が、窓から差し込む。
薄暗い部屋に二人。
影が重なるように近付いては、その手を取って、見つめ合って…。
次第に、それだけじゃ満足出来なくなってくる。
二人、同時に。


影がひとつになり、ぬくもりが重なる。
唇と手のひらが--------------確かに互いを求める。



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Megumi,Ka

suga