Kiss in the Moonlight

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あかねに用意されたのは、二階の一番奥にある南向きの部屋。
中は二間続きの造りになっていて、ベッドルームとくつろぐ部屋が、それぞれ別になっている。

「こんな部屋、一泊だけなんて勿体ないですねー」
入ったとたんあかねがつぶやき、ソファの上に腰を下ろした。
ふわふわのクッション、シックなアンティークの応接セット。ベッドはセミダブルサイズで、山の裾野にある宿とは思えないくらい豪勢だ。
「これだけ広々としていれば、のんびり旅の疲れも取れるよ。」
友雅は窓を開いて、夕暮れの風を部屋の中へと流れ込ませた。
綺麗に整ってはいるが、空気は閉じ込めておくと、自然に淀んできてしまうもの。
常に空気は浄化させた方が良いと、あかねの側に着く前に泰明に教えられた。
自分一人の時は気にしないが、彼女といる時は自然にそんな行動が出てくるほど、完全に身に付いてしまった習慣だ。

「夕食は、2〜3人ずつ交替で行くことになっているからね。」
ぞろぞろと大人数で出掛けたら、好奇の目で見られてしまうのは必須。
数人で順番に入れ替わる方が自然だし、周囲の情報も耳に入りやすい。
「先に、頼久と天真が食事に行っているはずだから、もう少し私たちは時間が掛かりそうだけど…我慢出来るかい?」
「うん、大丈夫ですよ。まだそれほどお腹空いてないですから、平気です。」
腹ごなしになるかは微妙だが、部屋のテーブルの上にはティーセットと少しの砂糖菓子がある。
口寂しくなったときは、それらを一粒頂くことにして。
取り敢えず喉を潤そうかと、友雅は慣れた手付きで茶の用意を始めた。



程良く使い込まれたクリーム色のカップに、ルビー色の熱い紅茶を注いだ。
角砂糖を二つ落として、銀色のスプーンで軽くかき混ぜる。
「お茶が入ったよ。」
カップとソーサーを手に、友雅はあかねの側に行く。
彼女は窓の手すりから身を乗り出して、さっきからずっと外を眺めていた。

「熱心に外を見ていたようだけれど、何か珍しいものでも見付かったのかい?」
「ううん、そうじゃないですけど…。ここから、あの輝く大地とかって見えないのかなーって思って…」
この宿は町の中でも、やや高台に建っている。
窓からの見晴らしも良いし、ならばあの名物の景色が部屋から見えるかも…と思ったのだが、残念ながらそれらしきものは目に入らなかった。

「明日の朝、私の部屋に来るかい?」
ソファに戻って、熱い紅茶を味わっていたあかねに、友雅が自分の紅茶を入れながら切り出した。
「下で話を聞いたけれど、輝くのは夕暮れだけではないらしいよ。明け方の朝日も、同じような効果が現れるらしい。」
「え、そうなんですか?」
朝と夕暮れでは方角は違う。
朝の光は夕暮れとはまた色合いも違い、大地をもっと明るく照らすのだそうだ。
「私の部屋はここの向かい側だけれど、少しだけど見えるようだよ」
「ホントですか!?」
友雅の話を聞いたとたん、あかねの表情はぱっと明るく変わった。

…やっぱり、気になっていたんだねえ…。
あかねの様子を見て、友雅はふとそんな風に思った。
三年間も巫女修行に集中して、やっと広い外の世界に戻って来た。
上級巫女となる娘とは言っても、見たこともない、行ったこともない町にある名所の話を聞けば、まだまだ心躍ってしまう年頃だ。
自分の立場や、鷹通たちが心底自分を気に掛けてくれていることは、おそらく十分に分かっているだろう。
それでも、目の前にある美しいものや珍しいものに、惹かれてしまうのは女性なのだから仕方ない。

「早起きして、私の部屋においで。明日は天気も良いらしいから、ちょっとだけでも綺麗なものが見られるよ。」
「分かりました!じゃ、今夜は早く休むことにします!」
「うん、それが良いね。自分で思っているより、体は疲れているものだからね。」
手のひらを彼女の額に乗せて、くしゃっと優しく髪を撫でながら友雅は微笑んだ。

まだ、旅は始まったばかり。
これから先は、こんな風に彼女が終始笑顔で過ごせるとは思えない。
だからせめて…ほんの少しの気晴らしでも、出会った時のような笑顔を作らせてあげられるなら、それで良い。


+++++


それからしばらくした後、友雅は鷹通に呼び出された。
彼女を一人で部屋に残すのは気がかりだったが、部屋の鍵を掛けること・誰が来てもドアを開けないこと、と言い聞かせて、友雅は部屋を後にした。

「ラムチョップが、すげー絶品!」
「特産レモンを使った、レモネードやソルベも種類が豊富でした。あかね殿のお好みに合うかと。」
一足先に食事を済ませた天真と頼久が、酒場のメニューや味について報告した。
店は小綺麗で、酒場にしては品の良い雰囲気だと言う。
料理は手軽に食べられるものばかりだが、種類も品数も豊富に揃っていて、老若男女問わず楽しめそうだ。
おそらくそれも、最近増えた観光客向けに発達したのだろう。

「それで、何か気になるような話は…ありましたか?」
鷹通が少し神妙に、頼久たちに尋ねた。
一晩だけの滞在ではあるが、この辺りの習慣や文化などについては、知識を仕入れておいた方が良い。
何かあった時に困るし、問題を回避するにも情報は必要だ。
そして、町の治安などの噂話も重要。
どこでどんな相手と会うか、分からないのだし。
そういう調査も兼ねて、様子見をしながら食事に行くことになっていた。

「治安はそれほど、悪くはないようです。ただ、観光客目当ての詐欺やスリなどは、いくつか多発しているようですが。」
頼久は言ったが、それくらいはどこの町でもあるもの。
こちらは人数もいるし、注意次第でやり過ごせるくらいのことだろう。
「夜でも結構、外は人が出歩いてるし。比較的安全な町だと思うぜ。」
特に大きな事件も起こっていないようで、そこは一安心といったところか。

「あ、でも、さっき宿に戻ってきた時にさ、支配人のオヤジに呼び止められて言われたんだけど、ちょっと変わった風習みたいなのがあるから、"娘さんはくれぐれも気を付けろ"って。」
「娘…というと、あかね殿に関わる事ですか?」
それまでほっとして穏やかにしていた永泉が、眉を潜めて天真の顔を見た。
一瞬、部屋の中の空気が緊張する。
「部屋の窓際にあるデスクの引き出しに、注意書きが入っているらしいんだけど、友雅…見たか?」
「いや、気付かなかったな、それは」
注意書きということは、何かしら危険を伴う可能性があるということ?

「何かさ、この辺りでは、夜に窓から女が顔を出して、外を歩いている男に声を掛けたらば、"今夜はオッケーよ"って合図なんだとさ。」
「こ、今夜はオッケーって…それは、その…そういうこと!?」
顔を赤くして詩紋が尋ね返すと、天真はしっかりとうなづいた。
「だから、女性の方は夜になったら、あまり窓を開けたりしないようにって、そういう注意書きを置いといてるらしいぜ。」
永泉はすぐに、デスクの引き出しを開けて見た。
中には革細工のメモボードが入っており、その旨が記された用紙が挟んであった。

「これ、あかねちゃんに、ちゃんと注意しておかなきゃいけな……」
詩紋が言いかけた時、急に友雅が椅子から立ち上がった。
「どうしました?友雅殿…」
「ちょっと部屋に戻る。話の続きは、後で良いかい?」
「え、ええ…構いませんが…」
彼は鷹通に返事をすることもなく、やや急いだ様子で入口へと向かう。

「友雅殿、もしやあかね殿のことで何か…!?」
「……分からないけど、ちょっと胸騒ぎがしたのでね。」
大事とはいかなさそうだが、何故だか妙に心が落ち着かなくなった。
自分が持つ直感力は自覚しているし、それがあかねの事になれば尚更鋭くなる。
だから、この胸騒ぎが気になって、じっとしていられなかった。



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Megumi,Ka

suga