Kiss in the Moonlight

 prologue-----04
案内された彼女の部屋は、無駄の無い質素なものだった。
キッチン・リビング・寝室も一体のワンルーム。あとはバス・トイレがあるだけ。
それでも窓辺やテーブルの上を見ると、野の花を飾ったり明るい色のカーテンやクッションがあったり。
若い娘らしい、生活を楽しむ工夫が見えた。

ハーブティにマグカップは似合わないが、洒落たティーカップなんてないので…と彼女は恐縮する。
だが、入れてくれたお茶は香りも良くて、王宮で出される薬草茶よりも、ずっと薫り高く美味かった。
一杯の茶を飲み、あかねも気持ちが落ち着いたところで、友雅はようやく今回のいきさつを話すことにした。


王宮には数人の巫女が、祭司とともに政に携わっている。
だが、それとは別に"上級巫女"という存在がおり、彼女は天帝に仕える龍から、数々のお告げを受け止める。
上級巫女は、一人しかいない。
龍の加護の元にお告げを受け取り、それらに従って国の安定だけではなく、この世界の安泰をも保つ役目を負っている。

「王宮内には巫女さまがいることは、聞いていましたけど…」
「でも、上級巫女の存在は知らなかっただろう?王宮外不出の極秘機密だからね」
龍のお告げはトップシークレット。
彼女が受けたお告げの内容さえも、目に出来るのは極限られた一部の者しか認められていないくらい。

「で、現在の上級巫女様が、皇太子様とご婚約したものでね。そのために、後を継ぐ者を見つけることになったんだ。」
上級巫女の結婚を、禁止する規則はない。
だが、彼女が皇太子妃になった後が問題だ。
幸いにも世継ぎを授かったら、今のように政中心の生活を続けるのは無理だろう。
そのため、緊急に円卓会議が行われた結果、彼女が結婚する予定の三年後までに、新たに上級巫女の資質を持つ娘を探し出し、来るべき日のためにしっかりと、育てて行こうということになった。
「で、ようやく昨日お告げが出て、その内容が……」
「ここの町に住む女性、っていうことなんですね?」
ほんのりレモンの香りがするハーブティを、飲みながら友雅はうなずいた。

「でも…だからって私が巫女だなんて…。霊感とか全然ないんですよ?」
「巫女の力は、龍が選んだその時から与えられるものなんだ。君は、まだ気付かないだけだよ。」
普通の巫女と違い、上級巫女は特別な存在だ。修行や生まれつきの霊力で、得られるような地位じゃない。
生まれたときは普通の娘でも、龍に選ばれたその時から、巫女の力を少なからず与えられる。

「私もまた、龍に選ばれし者なんだよ。」
たった一人だけ、彼女の"気"を読み取る者として選ばれたのが、自分。
「……分かった?私は君に逢ったとき、インスピレーションが走ったんだ。君こそが、私が連れて帰る姫君だって」
彼の手から空のカップを受け取り、おかわりのもう一杯を注ぎながら、あかねは友雅の話に耳を傾ける。
しかし、こうして話を聞いてきたが、果たしてこれが真実なのかどうか…まだ半信半疑だ。

「お茶のおかわりが………ええええっ!?」
入れたての二杯目を差し出そうとすると、ソファに座っていたはずの友雅は、あろうことか立ち上がって、シャツのボタンを外している。
「ちょ、ちょ、ちょっと何するんですかっ!!」
「君の目で、確かめて欲しいことがあるんだ。」
ボタンを全て外して、シャツから腕を抜いて行く。
引き締まった身体と筋肉が、素肌のままで目の前に現れてくるのを、あかねはテーブルにうずくまって目を閉じた。
「こっち向いて」
「いやっ!いやですーっ!!!」
背後に彼が近付いているのが、その気配で分かる。
上半身裸の男がいるのに、"はい、分かりました"なんて簡単に振り返られるか!

すると、後ろから両手首を掴まれた。
くるりと回るように身体が動いてしまい、振り返ったその視線の先は…
「きゃああっ!!!」
悲鳴をあげたあかねの手に、友雅は自分の首にかかるペンダントを握らせた。
「これで、信用してもらえるかな?」
萌えるような緑の瑪瑙に、インタリオで掘られた龍の姿。
間違いなくそれは、龍京王国の紋章だった。

「…綺麗」
濃淡のある層が、丁度インタリオに重なるというデザインで、透き通った緑の水に龍が浮かんでいるような。
「納得行くまで確かめて良いよ。私の身分証明だから。」
紋章の入ったペンダントを、ひっくり返して裏側を見せられると、そこには何か刻まれている。
"attendant:Tomomasa Tachibana"
王家の紋章の中央に、刻まれた彼の名と"側近"の印。
「自己紹介が遅くなって失礼したね。私は龍京国王の側近、橘友雅と言うんだ。」
初めて彼は、自分の名をあかねに告げた。

チャリン、と瑪瑙とネックチェーンが触れる音がして、彼はそのペンダントを首から外した。
そしてそれを、あかねの首へと掛けてやる。
「君をちゃんと王宮に届けるまでは、これを君に預けるよ。」
「で、でもこれ…身分証明になる大切なものでしょう?そんなの、他人の私に預けて良いんですか?」
しかも国王の印まで刻まれて、彼が直属の部下であることを物語るものだ。
もし無くしたり盗まれたりしたら、処罰を与えられるんじゃないか?
「その大切なものを盾にしても良いくらい、君に本気だっていうこと。私の覚悟の現れだよ。」
重なる大きな手が彼女の手を取り、唇が指先に落とされた。
まるで今にも、あなたに忠誠を誓います----なんて言いそうな、そんな雰囲気で。


「君の伯父さんには、私がきちんと説明する。君が王宮に召されたあとに、不自由の無い待遇は王が約束してくれるはずだから、心配はいらない。」
今回のことに関しては、もちろん王も了解済みのことだ。
次期上級巫女になる者に関しては、あらゆる待遇を整えることは決まっている。
「これからたくさんのことが、君に待っているけれども、私が君を護って行くから、安心して良いんだよ。」
あかねを抱きしめながら、友雅はそう囁いた。
……彼が私を護る?王の側近の、キレ者の彼が…?
まるでお姫様を護る、騎士みたいに?

「その背後を守る者も、王宮に行けばたくさんいる。だから、安心して現実を受け止めなさい。」
「そんなこと言われても…まだ、何が現実なのか…」
「ふうん…。じゃあ、少し目を覚まさせてあげようか」
くいっと顎を掴まれて、顔を持ち上げられて。
目の前が真っ暗になって、呼吸を何かで塞がれて。

「きゃ、きゃ、きゃっ………!!!!」
「しっ!こんな夜遅くに、大声は近所迷惑だよ。」
にっこりと艶のある笑顔を浮かべ、友雅はあかねの口を手で塞いだ。
とはいえ、当然ながらあかねはパニックを起こす。
訳の分からない展開に巻き込まれ、まだ気持ちの整理が付いていないのに…あ、あろうことか初めての……初めてのキスがっ!!!。

そう混乱している最中、今度はふわっと抱きかかえられる。
「え!?ちょっとっ…!!!」
「まだ分からないこともあるだろう?だから、今夜はここに泊まって良い?」
「とっ、泊まる…って、ここにですか!?」
彼の足が目指すのは、窓際にあるあかねのベッドの上。
狭い部屋の中では暴れる前に、目的の場所にたどり着いてしまう。

「一晩中でも、君の疑問に答えるよ」
もちろんあとで、一泊の宿代は払うから、と明るく友雅は笑う。
でも、いくらなんでもそれは!!
だって寝るところなんて、この狭い一人用のベッドだけしかないのに…。
「こっ、困ります!お、男の人と一緒に寝るなんてっ…わ、私…」
「へえ…。その動揺の仕方を見ると、男が女の部屋に泊まることの意味は、ちゃんと分かっているんだ?」
やたらに艶やかな眼差しをして、微笑む彼の表情は曰くありげ。
おかげでますます、顔が熱くなって来てしまう。

それに。
「と、と、とにかくお願いですからっ…ふ、服を着て下さいっ!!」
毛布を剥いでベッドに潜り込み、あかねは彼が脱いだシャツの方を指差した。
その気があるかどうかは別として、上半身裸の胸に抱きしめられるだなんて、刺激が強くて耐えきれない!


ふふ…可愛い巫女候補だねえ。
これからたくさんのことを学んで、一人前を目指して行かなければいけないのは、さぞかし窮屈で大変だろう。
ま、その合間に気分転換も兼ねて、違うことを教えてあげるのも良いかな。
-----なんてことを、彼が考えていることも知らず、まだ幼い巫女候補はベッドの中で丸くなっている。





そんな彼女が少しずつ成長を遂げ、幼さが薄らいだ三年の月日のあと。
次期上級巫女へ近付いた彼女とともに、
ようやく物語は本格的に歩き始める。



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Megumi,Ka

suga