Kiss in the Moonlight

 prologue-----03
「それにしても、こんな時間に女の子が一人で酒場っていうのは、ちょっと物騒だと思うよ?」
治安の方は悪くなさそうな町だが、酒が入れば性格が変わる者も多い。
特に男は気が大きくなるから、普段の人柄を知っていても安心は出来ない。
友雅が心配そうに言ったが、彼女はこれまで同様の邪心のない笑顔で、何でもないように答える。
「大丈夫です。お店の中に入るわけじゃないし。裏口から入って、支配人さんに会うだけなんで。」
「でも、外に出れば夜道を歩いて帰るんだろう?女の子一人では危険だ。送って行ってあげるよ。」
「平気ですよ。家はすぐ近くなんです」
あかねが指差したのは、アトリエ街とは違う方向の、古びた煉瓦のアパートメントだった。
「アトリエで、暮らしているんじゃないのかい?」
「作業場が大きいから、ご夫婦だけで住むのが精一杯なんです。だから私は、アパートメントを借りてもらって一人暮らしなんです。」
アパートからアトリエまでは、徒歩5分程度。
更に、この酒場の前を通って帰れるので、帰宅ついでに納品と受注を受けているのだ、と語った。

「やっぱり、家まで送るよ。こう見えても鍛えられているから、ボディガードくらい務まると思うよ。」
鍛えられている…って、どこかの道場で武道でも嗜んでいるんだろうか?
見た目はすらりと優雅で、そういう風には見えないけれど。
「あのー…どちらからいらしたんですか?」
どうも不思議な印象の彼に尋ねると、指先で口止めの合図をしながら、あかねの耳元で囁くように告げた。

「あのね、実は王宮からやって来たんだけど。」
「お、王宮っ!?」
驚いて声を上げそうになった彼女を、友雅は咄嗟に抱き寄せる。
……柔らかいシルクのシャツから、さっき感じた甘い香りが鼻をくすぐる。
「実は内密に人探しを任されてやって来たんだけれど、手掛かりがなくて困っていたんだ。」
「は、はあ……」
「でも、もう今夜は遅いからね。明日から動こうと思って、宿を取ろうかと思っていたんだけど-------」
彼の声が耳元で聞こえるけれど、あかねはそれどころじゃなかった。
広い胸とがっしりとした腕に、閉じ込められて動けない。
確かに外見からのイメージよりも、ずっと逞しくて骨太で。
そのくせ長くしなやかな指で、柔らかな仕草であかねの身体を抱きしめる。
……お父さんとか、伯父さんとか…と違う。
他人の男に抱きしめられたなんて、生まれてはじめて。
恋人に抱きしめられるのって、もしかしてこんなにドキドキして、安心感を感じるものなんだろうか…なんて思ったり。

「何とか今日中に、ミッションクリア出来て良かったよ」
「…え?ミッションクリアって…もしかして、見つかったんですか?」
「そう。目の前に、この腕の中に。」
彼の目の前。彼の腕の中にいる……って。
ぱっと顔を上げると、瞳と瞳が一直線につながる。
「私が…探し人だったってことですか!?」
黙って彼は微笑む。

いくら考えてみても、王宮から探される覚えは、まったくない。
水晶細工職人である伯父ならいざ知らず、自分はただの居候の娘。
王宮の目に止まることなんて絶対にないはずなのに…どうして?。
もしかして自分で知らないうちに、とんでもないことをやらかしていたとか…。
でも、そんな罪になるようなことは…していないと思うけど。
「あの、人違いじゃないですか…?」
「いや、間違いなく君だよ。」
そこまで彼が断言する理由は?
この町に住む"元宮あかね"という娘を、ピンポイントで探すようにと言われたなら、間違いなく自分だけれど。

「へえ…"元宮あかね"さん、って名前なのか。覚えておくよ。」
まさか今の今まで、名前を知らなかった?
なのに探し人が自分だと、確信を持っている根拠はどこにあるのだ。

「それはね、私が君に、インスピレーションを感じたから。それ以上に、正確なものはないんだよ」
インスピレーションって、直感?
直感で自分が"探していた人物"だと言い切るなんて…どういうこと?
「だから、今直ぐにでも連れて帰るよ」
そう彼が言ったとたん、ふわりとあかねの身体が浮き上がる。
彼はその腕で、軽々と彼女を肩に抱きかかえると、すたすたと歩き出した。
「な、な、何するんですかぁっ!きゃー!きゃー!」
「暴れると、スカートがはためいて、なめらかな足が見えてしまうよ」
そんなこと言ったって!
この状況で、冷静に大人しくなんかしていられるか!

「どこに連れて行くつもりなんですかっ!わ、私なんか誘拐したって、身代金なんか手に入りませんよ!?」
「誘拐?面白い事を言うね。言ってなかったかな?私は王の側近だって。」
王の側近!?
もしかして彼が噂の…王宮一のキレ者?
神懸かり的な直感力を持ち、王の片腕として国政をサポートしている者がいると。
「何なんですか!王様にお話なんか、私は何もないです!」
「君にはなくても、こちらにはあるんだよ。君は選ばれたのだから。」
選ばれた……?私が?


気付くと、町の外れに連れて来られていた。
辺りは明かりも遠くて、真っ暗。通り過ぎる人も、いない……。
そこに繋がれていた馬に乗せられると、続いて彼が後ろにまたがる。
「いやーっ!下ろしてっ!帰してっ!!」
たまりかねてあかねは、馬の首にしがみついて暴れ出した。
このままじゃ、この男の言うがままになってしまう。
まだ、彼が本当に王の側近だという証拠もないし、もしもそれが嘘だったら…。
もしも側近なんてものじゃなく、盗賊とか裏社会の人だったら…!

「離してっ!帰るっ!帰してー!」
「落ち着いて。別に取って食うわけじゃないんだから」
「いやーっ!!!そんなの信じられないーっ!!!」

友雅は溜息をこぼした。
さっきの素直な笑顔など、どこへやら…だ。
必死に泣きわめいて、顔はぐしゃぐしゃ。
それでも何とか抵抗して、ここから逃げようとしている。

……ちょっと無茶をしてしまったかな。
まだ14〜5の娘だし、今まで普通に生活して来たのだ。
そこに突然王宮の者が来て、"選ばれたから連れて行く"と言われたら…興味よりも恐怖の方が強いだろう。
それでも彼女を連れて行くことは、避けられない運命。
いかにして気持ちを落ち着かせ、この事実をしっかりと受け止めさせるか。
今の彼女には、それが一番の問題か。

「ごめんね、ちょっと急ぎ過ぎたね。」
馬を止めた友雅は、あかねをそっと抱きしめた。
頬を濡らす涙を舐めろうと唇を寄せたが、それでも彼女の瞳からこぼれる雫は、止まらなった。
小さな肩は震えて…それを見ていると、こちらまで胸が痛む。

「部屋まで送って行くよ。そこでちゃんと説明するから、取り敢えず話だけは聞いてもらえないかな?」
駆け引きを知る女にはない、柔らかく暖かいぬくもりの彼女を包むように抱いて、もう一度友雅は町中へと戻った。



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Megumi,Ka

suga