真夏の夜の夢語り

 001
7月も後半になり、義務教育の現場は大概のところが夏休みに突入する。
長引いていた梅雨もタイミングよく明け、これから更に暑さが本格化してくる。
それを考えると、やれやれ…と言いたくなるのは大人。
長い夏休みが始まったばかりの子どもたちは、この暑さでさえも楽しさに捕らえてしまう。

「必要なものとか、買い忘れてたりしてないわよね?」
「大丈夫よ。ちゃんと点検したもの」
千歳と文紀はリビングで、それぞれのリュックの中身を確認する。
二人は明日から、2泊3日の宿泊学習。
近県の高原に学校の宿泊施設があり、オリエンテーリングや工芸などの実習を行うのである。
参加するのは希望者のみだが、何人かのクラスメートに誘われたので、今回二人とも参加することになった。
「向こうでは、色々なことをやるのだね」
まゆきを膝の上に乗せ、友雅は学校から配布された予定表に目を通す。
男子部と女子部で若干の違いはあるが、普段体験できない楽しそうなことばかり。
川遊びや植物採集、拾った木の実や石を使っての工作など。
それだけでなく、朝昼晩の食事の用意も自分たちで行ったり、部屋や庭の掃除などもやる。
学校で学ぶことが学業ならば、ここで学ぶのは自立心。
日常生活に必要なことを、自ら実践して身につけようという試みだ。

「千歳は普段から、母上のお手伝いをしているだろう。料理ならお手の物じゃないかい?」
また始まった、とあかねは苦笑する。
微笑ましいほどの親バカというか、溺愛ぶりというか。
小学生の女の子のお手伝いなんて、それこそホントにままごとの延長線上程度しかない。
それでも友雅にとって娘が台所に立っていることは、母と同じことをしているように捕らえられているようだ。
「怪我をしないようにするのよ」
「包丁はちゃんと握って、丁寧にゆっくり切れば良いのよね?」
そうそう。
取り敢えず丁寧に、焦らずゆっくり行えば間違いはないはず。
あとは引率の先生に任せるしかない。

「あ、そうだ。母上、安全ピンをもう一つ持って行きたいんだけど…」
「良いわよ、ちょっと待っててね」
あかねはリビングを出て、物置へと向かった。
文紀の手には、メダルのような形の赤いワッペンがある。
オリエンテーリングで、彼はグループのリーダーに任命されたため、胸にこれを付けて歩かねばならないのだ。
「曲がったりしてダメになっちゃったら困るから、予備を持って行った方が良いかなって」
「なるほど。文紀は細かいところまで気が回るね」
こういうところが、リーダーに選ばれたのだろう。
神経を張り巡らしているわけではないのに、他人が気付かないところに目が届く。
友雅やあかねでも、そんな文紀の行動に驚かされたこともしばしばだ。
真面目に規律を重んじ過ぎずに、時と場合によって気を使うことが出来る。
我が子ながら、しっかりした子だよ…と、そう言ったらまたあかねが苦笑するだろうな、と友雅は思った。



-----翌日。

夏休みなので、普段は友雅だけが外出するので食卓はのんびりしているが、今日は違う。
「集合は学校かい?」
「うん。裏門が開いてて、そこにバスが待ってるって」
朝食を終えて、荷物も着替えも万全。
冷たいほうじ茶の入った水筒も、ふたつテーブルの上に用意されていた。
「あかね、二人は私の車に乗せていくよ」
「え、良いんですか?」
「構わないよ。今の時間なら、遠回りしても道は空いているし」
集合時間は彼らの登校時間よりちょっと遅めで、丁度友雅の出勤と同じくらい。
通学の送り迎えはあかねが付き添うが、時間が合うのだから彼女がわざわざ出掛けなくても良いだろう。
それに、祥穂がいるとしても、まゆきが一人になってしまうのは可哀想だし。
「じゃあお願いしますね」
玄関で山歩き用の靴に履き替え、それぞれのリュックを背負う。
帽子をかぶり、水筒を肩にかけて。
「おねーちゃま、おにーちゃま、いってらっしゃいー」
「いってきます!お土産持って帰ってくるから、いい子にしててねっ」
千歳と文紀が名残惜しそうに抱きしめると、まゆきも二人をぎゅっと抱きしめる。
そんな様子を見せられたら、引き離すのも心苦しくなってしまうのだが、非情なもので時間は待ってはくれない。
「さ、兄様と姉様はお出かけだよ」
二人の手を、友雅が取る。あかねは後ろから、まゆきを抱き寄せる。
何度も手を振る千歳たちを連れ、友雅は出掛けて行った。


「そうだ、洗濯物!」
朝はバタバタしていたので、洗濯物を仕掛けていたのを忘れていた。
天気の良いこの時期は、ちゃんと外に干して乾かしたい。
「かぁさまー、おてつだいするー」
「お手伝い?でも…」
千歳でさえ台を使うのだから、まゆきの背じゃ物干し台に届くわけもない。
かと言って、兄姉がいないところでひとり遊ばせておくのは可哀想だし。
「では、まゆきさまにはタオルとハンカチを、お手伝いしてもらいましょう」
ランドリーバスケットを持って来た祥穂が、中にあるハンカチを取り出した。
それを広げて、ぱたぱたっとはためかせてみる。
「こうして、お母様にお渡ししてもらえます?」
「ぱたぱたするの?」
「ええ、ぱたぱたってしてくださいね」
まゆきは祥穂に言われたように、バスケットからハンカチだけを探し出して、ぱたぱたと広げる。
ふわりと風に乗せて漂うシャボンの香り。洗ったばかりの、清々しい匂い。
「じゃあ、お庭に干しに行きましょうか」
「はあーい」
今年の夏は暑いから、庭に出るときでも帽子をかぶるように。
そんな習慣もあってか、ピンクのリボンがついた自分の小さな麦わら帽子を、まゆきはすぽっと頭に乗せる。

「ぱたぱたー」
タオルもハンカチも、一日だけで大量の洗濯物と化してしまう。
どれだけ予備を買っておいても、夏は頻繁に洗っておかないと底がつきそうだ。
「いろんなお国の旗みたい!」
「あ、ホント。カラフルで綺麗ね」
青い空に浮かぶ、いくつものハンカチやタオル。
白やピンク、ブルーにグリーン。
無地もあればストライプ、花模様や水玉模様…と多種多様な生地が風になびく。
「とぉさまの!おたんじょうびのね!」
ラベンダーグレーに、白いラインの入ったコットンのハンカチは友雅のもの。
彼の誕生日に、子どもたちと選んだハンカチの一枚である。
「今日はとぉさま、違うハンカチ持って行ったの?」
「今日はブルーのものを持って行ったの。毎日、ちゃんとまゆきたちが選んでくれたものを、持って行ってくれてるのよ」
3枚セットで選んだ、ブルーとラベンダーグレーとブラウン。
毎日彼はローテーションで、その中の一枚を必ず持参していく。
ハンカチを取り出したとき、彼がどんな表情をしているのか…容易く目に浮かぶ。

「お疲れ様でした。お飲物をご用意致しましたよ」
テラスに向かって、祥穂が声を掛けた。
氷が溶けて汗をかいたグラスに、烏龍茶とりんごのジュース。
照り付ける日差しの暑さが、グラスの冷たさで徐々に消えて行く。



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Megumi,Ka

suga