Summer Breeze Dream

 001
眩しいほどの青空が広がる八月。
世の中を見渡してみれば、中旬頃にあるお盆休み数日間に向けて、忙しさがピークに達している会社も多い。
しかし、まなびやに通う者たちは、早々と年に一度の大型休暇を楽しんでいる。
まだ小学校にも満たない彼らも、例外ではない。

「友雅さん、そろそろ起きてください」
肩を揺するぬくもりは、毎朝自分を起こしてくれる彼女の手。
声も手の感触も同じだが、漂う空気はさわさわと涼しげに流れて心地良い。
「……今、何時だい?」
「もう9時過ぎです。みんな朝ご飯、済ませちゃいましたよ?」
静かに友雅は、瞼を開いた。
まっすぐ前に視線を懲らすと、いつもなら漆喰の天井が見えるはずなのだが、今朝は違う。
高い天井には、深みのある茶色の梁が剥き出し。
爽やかな籐細工のダブルベッドに、肌触りの良いさらりとした麻のシーツ。
開いた窓からは、潮の香り。
海が近い------------五感が、そう気付く。

「あの子たちは?」
「とっくに起きてますよ。ご飯済ませて、海に飛び出して行っちゃいました。」
ようやく友雅は、ベッドから起き上がった。
あかねは窓際に向かい、開き掛けていた窓を全開にした。
「ほら、あそこにいますよ。」
彼女が指差した方向を見ようと、友雅もベランダに出る。
それほど遠くない浜辺は、プライベートビーチで他人は入り込めない。
浅瀬で緩やかな波であるため、子どもたちだけでも安心ではあるが、一応義父が同行しているようだ。

義父、とは友雅にとっての呼び名で、あかねにとっては実の父である。
沖縄の支社に栄転となり、支店長として日頃は仕事人の彼だが、久し振りにやってきた娘夫婦と孫の相手は、まさに命の洗濯。
到着した時は空港まで迎えに来て、それからはずっと子どもたちに付き合ってくれている。
おかげで、こうして夫婦水入らずの時間も十分取れて、良いことずくめの夏休み。
都合をつけるため、仕事はかなり強行スケジュールで終えてきたが、それだけの甲斐はあった。
年に一度か二度くらい、こんな長い休暇をのんびり楽しむもの良いものだ。

天然木で作られ、広いベランダで二人潮風に揺られる。
あかねの白いコットンドレスの裾が、レースのカーテンのように波打っている。
後ろから抱きしめて、挨拶代わりに頬にキスをすると、まだ午前中だというのに彼女の肌は少し汗ばんでいる。
「そういえば、まゆきはどうしてる?」
「まゆきは、母がずっとおもりしてくれてます。さすがに、海には連れて行けませんからね。」
年の始めに生まれた、二女のまゆき。
離れて暮らしている義父母に、彼女を会わせるのも今回の旅行の理由のひとつだ。
千歳たちが生まれた頃は、また二人とも近くに住んでいた。あの頃はお互いの家を行き来して、ちょくちょく顔を見せられたものだが、今はそれも難しい。
「久し振りに子育てしてるみたいで、楽しそうですよ、うちの母。」

"まゆきちゃんは私達に任せて、あなたはしばらくお母さん稼業よりも、奥さん稼業に専念してらっしゃい。"
母は度々そんなことを言って、やんわりと背中を押してくる。
単に孫と触れ合いたいのが第一なのだろうが、その言葉には少し気を利かせた意味も含んでいるのだろう。

「さー、朝ご飯一人分残してありますから、早く着替えて下さいね。」
胸の前で組みし抱いていた手を、そっと解いてあかねは振り返る。
ベッドから抜け出したままの彼は、コットンパンツにシャツを無造作に羽織っただけ。ボタンなんて、ひとつも掛けていない。
「食事の前に、シャワー浴びても良いかな。」
「あ、良いですよ。」
いくら海風の抜ける涼しい立地でも、寝ている間にかなりの汗をかく。
この時期の朝シャワーは、目覚めだけでなく汗を流すためにも必要不可欠だ。
「じゃあ、私は先に母屋に行って、朝ご飯の支度してきますね」
あかねは入口のドアを開け、友雅はシャワールームのドアを開ける。
先に部屋を出ようとするあかねの手が、後ろから彼に捕まれて引き止められた。

「あかねも一緒に、どう?」
「ええっ?い、良いですよっ…汗かいてないしっ!」
こっちは早めに目が覚めたから、既にシャワーも済ませてある。
けれどその手は、力が込められていて離さない。
「でも、もう少し汗ばんできているよ。暑いから仕方ないだろうけどね。」
真夏の沖縄。青空にカンカン照りの太陽。
屋内には空調も設備されているけれど、風通しの良いこの屋敷では、子どもたちの体調も考えて、自然の風を取り入れるようにしている。
だから、少し動けばやはり汗ばむし。しばらくすれば、汗を拭うこともあるし。

「ほらほら、早くおいで。一緒にシャワー使えば、待ち時間も短縮で済むだろう?」
「あーん、もうー!」
腰に回された手で、ふわっと身体が浮き上がる。
抱きかかえられるようにして、あかねはシャワールームに吸い込まれていった。




真っ白な砂浜が、どこまでも続く。
足元を濡らしてゆく波は、優しくて冷たくて、澄み切っている。
「兄様っ!あっちの水たまりに、お魚がいっぱい集まってますのーっ!!」
水泳の得意な祖父と一緒に、浅瀬で透明な水底を眺めていた文紀のところに、千歳が駆け足でやってきた。
「小さな水たまりが、向こうにいっぱいあるの。そこにね、小さいお魚がたくさんいるの!」
「ああ、満ち潮の時に魚が流れてきて、くぼみに留まっているんだよ。」
都会育ちの子どもたちは、こんな風に直に自然に触れる機会は少ない。
なので、こんな開放的な場所にやって来ると、解き放たれたように海や野原に飛び出してゆく。

「ねえ兄様?あの小さなお魚、捕まえて帰ってまゆきに見せてあげたら、喜ぶと思いませんっ?」
子どもたちの手のひらにも乗るような、小さな小さな魚たち。
南国の魚らしく、色も鮮やかで目にも美しい姿を持っている。
まだ一歳にも満たないまゆきだけれど、綺麗なものを見れば喜んでくれるのではないか、というのが千歳の提案だ。

しかし、文紀はあまり好意的な顔をしなかった。
「でも…海の魚って、家で飼うの難しいんだよ。そうなんでしょう?」
海よりも澄んだ瞳をして、文紀は祖父の顔を見上げた。
「そうだなあ。魚を飼うのは爺ちゃんも詳しくないしなあ。」
「もし、連れて帰って死なせちゃったら、可哀想だよ」
文紀にそういうことを言われては、千歳も納得せざるを得ない。
「せっかくまゆきに見せてあげたかったのにー」
小さな色とりどりの魚たちが、心地良さそうに水の中を泳ぎ回る。
初めて見る生き物に、きっとびっくりして喜んでくれるに違いないのに…と、やっぱり千歳は心名残があるようだ。

「ねえ、千歳。だったら…貝殻を拾って、持っていってあげるのはどうかな?」
ぱしゃぱしゃと水から上がった文紀が、砂浜に出て千歳の足元にしゃがみ込んだ。
そして、その辺りを掘り起こし、小さな手のひらに拾い上げたのは、桜色の貝殻。
「まあ!桜の花びらみたいね!」
「ほら、こっちのは真っ白でつやつやしてるよ」
次々に拾い集める貝殻の欠片は、どれもこれも美しい色を持っている。
さっき見かけた小魚の色にも劣らない、優しく甘い色合いだ。
「二人とも、それを拾って持っていっておあげ。まゆきちゃんも喜ぶぞ。」
「うん、そうしますわ!お爺さまも、一緒に拾うの手伝ってくださる?」
「ああ。たくさん集めてお土産に持っていってあげよう。」
愛しい孫たちの愛しい姿を、微笑ましく思いながら彼はひとつ、白い貝殻を手に取った。




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Megumi,Ka

suga