本日のスープ

 001
橘家では、朝と夜の食事は全員で摂るのが普通だ。
日曜やたまの土曜は、主の友雅も休みで家にいるので、そういう時は三食とも殆ど家族揃って食卓を囲む。
時折、文紀が弓道などの稽古で帰りが遅くなるときもあるが、その場合は彼の帰りを待ってから食事を始める。
それは、誰が遅くなっても同じである。

仕事が捗るための重要条件は、本人のメンタル面の充実。
どんなに有能な技術を持った者でも、気持ちが乱れていては集中出来ないし、満足行く結果も望めない。
適度の努力、適度の休憩を常に心がけること。
特に所帯を持つ者は、家族とのコミュニケーションを大切に。
残業ばかりに時間を費やし、家族との時間が減るようではいけない。
-------------というのが社長からのお達し、というか社訓みたいなもの。
それを社長自ら実践しているのだが、果たして彼がそうしたいから言ったのか、それとも社員の為を持って言ったのか、どちらが先かは分からない。

家族全員で食卓を囲み、一日の出来事を話す。
子どもたちが学校で経験したことや、あかねが家の中で気付いたこと。
友雅が仕事で知ったことも、彼らに分かりやすく話すこともある。
もちろん、まだ言葉もたいして話せないまゆきに、語りかけることも欠かさない。

一緒に時間を過ごせなくても、会話がすれ違ったりしないように。
ほんのわずかでも、家族の声を聞き逃さないように。
いつだって、自分たちが彼らを守るためにいることを忘れぬよう、その笑顔に向き合って時間を過ごす。
普通のようでいて、大切なひととき。
橘家にとって、食卓の時間は何よりも大切な日々の儀式だった。



冬も間近に迫った、とある11月の日曜日。
朝食を済ませたあと、あかねはいそいそとよそいきの支度を始めた。
外出の用意をしているのは、彼女だけ。
友雅も千歳も文紀もまゆきも、普段着でリビングに集まってくつろいでいる。
あかねだけが、慌ただしく動き回っていた。
「ああ、あかね…ちょっと待ちなさい」
友雅に呼び止められて、手招きされるがまま彼の方へ行く。
すると伸びて来た指先が、ボレロの裾へと伸びて糸くずを払い取った。
「あっ、ありがとうございます。気付かなかったぁ…」
「色の濃い生地だから、気をつけた方がいいよ。多分、そんな汚れるところには行かないだろうけれど」
「はあい、注意します」
そう言って、またパタパタと部屋を出て行く。

「母様、今日はいつもより支度が忙しそうね」
「久しぶりに会うお友達がいるんだよ。だから、綺麗にしていかないとね」
母の姿を眺めながら言う千歳に、友雅はまゆきを抱きながら答える。
数ヶ月前に、一通の招待状があかね宛に届けられた。
それと同時に鳴り響いた電話の主は、彼女の同級生で幼なじみの青年。
彼の実家は運送会社を営んでおり、美術品を取り扱う専門スタッフも兼ね備えているため、仕事上でも付き合いの深い相手である。
ミュージアムの所蔵品を外部に貸し出しする際は、時期跡取りである彼を通じ、スケジュールを組んでもらっている。
そんな彼の元にも、同じ招待状が届いていた。
つまり、カードに記されていたのは、同窓会のお知らせということだ。
同級生たちも殆どが社会人となり、改めて集まろうじゃないかという話になったらしい。

リビングに響いた、インターホンの音。
すぐに祥穂がスピーカーをONにすると、来客が到着したとガードマンから連絡が入った。
「奥様、森村様がご到着されたようですよ」
「ええっ?ちょっと待ってくださいねっ…。今、どっちにしようか悩んでて…」
出掛ける予定の時間まで、既に15分を切っている。
天真が迎えに来てもおかしくない時間だというのに、彼女は二枚のショールを手に取ったまま。
「祥穂、取り敢えず天真を中に通して、お茶を一杯用意してあげてくれるかい」
「そうですわね。では、玄関までお迎えに行って参ります」
友雅に言われたとおりに、祥穂はリビングのドアを開けて廊下へと向かった。



長い白木の廊下を進むと、玄関に天真の姿があった。
彼がここへ訪れることは滅多にないのだが、今日はこれまでの印象とはガラッと違って、ややフォーマルな装いである。
「いらっしゃいませ森村様。どうぞ中へお上がり下さいませ」
来客用のスリッパを取り出そうと、シューズボックスに手を掛けた。
すると、後ろから小さな手が伸びて来て、扉を開けて中のスリッパを取る。
「いらっしゃいませっ、天真殿」
きちんと相手側に揃えてそれを置いた二人は、にこっとよく似た笑顔で天真の顔を見上げた。
「お、久しぶり。おまえら、見ないうちに大きくなったな!」
靴を脱ぐよりも先に、天真の手が千歳たちの頭を撫でる。
男の文紀に対してはさほど遠慮することなく、千歳に対してはやや丁寧な仕草で。

通されたリビングは、ほんのりと肌に優しい暖かさ。
外は結構気温が低いが、ここは小春日和の気温にも似た心地良さがある。
深みのある茶葉の香りが、カウンターの方から漂って来たのでそちらを見ると、祥穂に手伝ってもらいながらも、千歳がそろりそろりとカップに紅茶を注いでいた。
「いっちょまえに、お客のお茶の用意までやってんの」
「女の子というものは、小さい頃から何かしら、花嫁修業らしきことに興味があるみたいだよ」
「とかなんとか言ってるくせに、そん時になったら"嫁には出さん"とか言うタイプだよなー、おまえ」
膝の上で小さなまゆきをあやしながら、友雅はただ微笑みを浮かべている。
冗談半分…でも、本気の意味で言った部分もある。
そこまで子どもたちを干渉はしない男だろうが、娘となると過保護になっても仕方ないのが男親というものか。
妹に対する自分の父を思い返し、天真はそんなことを思った。

くいっくいっ。
天真のシャツの袖を、一生懸命に引っ張る手がある。
「あーん…んー」
「ん?どーしたー?」
まゆきは袖についたボタンをぎゅっと握って、何やら意味ありげにそれらをいじっている。
「こらこら、ボタンがちぎれるよ。いたずらっこだねまゆきは」
軽く彼女の指先をつつき、手を離させて友雅は彼女を抱き直す。
そして、バトンタッチと言って隣にいた文紀へと、まゆきの世話を預けた。
「千歳もそうだけど、まゆきもね…この頃は好奇心が旺盛でね」
きらきらしたボタンや、バスケットに入った毛糸玉。
カーテンのフリンジ、雨樋から落ちる雨の雫の動き……等々。
まだまだ知らないことの多い彼女には、あらゆることが興味の対象になる。
「小さいものとか気をつけろよ。こういう時期って、何でも口に入れるだろ」
「そうそう。好奇心だけじゃなく、食欲も旺盛だからね」
友雅が言っているそばから、まゆきが身を乗り出してカウンターの方を見た。
白いティーカップを乗せたトレイを手に、千歳がこちらへと向かって来る。

「天真殿、お茶が入りましたわ」
爽やかな癖のない香りの湯気が、ルビー色のカップから立ち上る。
それを天真に差し出したあと、彼女は小さなガラスのカップを、スプーンと合わせて友雅に差し出した。
「ふふ…この姉様特製プリンは、日曜限定のごちそうなんだよね、まゆきには」
「え、おまえがコレ作ったの?」
少し驚いたように振り返った天真に、千歳は自信ありげにこくんとうなずく。
ミルクに甘みをつけて固めた簡単なプリンだが、まゆきの最近のお気に入りだ。
ただし千歳たちが休みでなければ、料理する時間がないので日曜くらいしか食べられない。
「んんー」
「へへ、美味そうな顔しやがってぇー」
プリンをほおばって嬉しそうなまゆきの頬を、つんつんと天真が指先で突いてみると、更に彼女はニコニコと笑い出した。



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Megumi,Ka

suga