幸せの花

 001
毎日毎日、雪が降り続く季節。
綻びかけた梅の蕾が、そっと顔を出している枝も時々見かけるが、空からの綿雪があっという間に隠してしまう。
"まだ春が顔を出す時期ではないぞ"
冬将軍がそんな風に言っているような、寒さ厳しい如月前。
しかし、ここ清涼殿だけは、一足早く春らしい賑やかな空気が漂っていた。

「さて。これは何かな?」
「にゃーにゃ!」
「うむ。では、こちらは何か分かるかな?」
「……わんわん!」
「おお、よく分かったな。まゆき殿は本当に賢い姫だ」
彼女を膝の上に乗せ、猫や犬の人形をちらつかせては、彼女の反応を見て満面の笑顔を浮かべる。

このような展開は以前もあったが、敢えて念のためにもう一度言っておく。
彼は一国の主、帝の座におわす方である。
その腕に抱かれてはしゃいでいる娘はといえば、正室の子でもなければ側室の子でもない。
まったく縁のない血筋の、完全なる他人の子だ。
そして、近くに腰を下ろしている、よく似た面持ちの少年と少女。
さらさらした春を思わせる短めの髪と、緩やかな川の流れのようにたゆたう髪。
「まゆきは、動物が好きなようですの。雀やヒバリも好きですわよね、兄様?」
「はい。今年は軒下に燕の巣が出来たのですが、毎日それを楽しそうに眺めておりまして」
「ほう、そうか。まゆき殿は生き物が好きなのだな」
西の対の軒下で、雛の声を聞いた子どもたちが見つけた燕の巣。
いつ頃から出来ていたのか分からないが、ピイピイと元気良く鳴き声を上げる雛のさえずりに、子どもたちは興味津々だった。

「鳥たちが巣立ったあとは、まゆきが特に寂しがって泣きましてね。あやすのも大変でしたよ」
「なるほど…それは可哀想だったなあ」
まゆきの頭を撫でながら、帝は彼女の顔を除き込んだ。
こうして元気に笑っている子が、泣くなんて想像しただけでこちらが切なくなる。
とはいえど、本来燕というものはそういう鳥だ。
飛来しては繁殖し、そしてまた新しい命とともに巣立って行く。
だが、父である友雅の腕に抱かれて、泣いているまゆきの顔を思うと可哀想でならない。
「ああ、良いことを思い付いたぞ」
春になれば、狩りが始まる。
獣や鳥は食糧として利用されるものだが、少しくらい飼育しても構わぬだろう。
宮中に飼育場所を作れば、誰もが見て触れて楽しめるかもしれない。
まあ…誰もと言うわけではなく、参内を許可されている者だけに限るけれど。
「そうしたら、これまで以上に気軽に親子共々顔を出すが良い。鳥やうさぎなども見つけておこう」
「主上、わざわざそのようなことをなさらずとも」
「何を言うか、友雅。幼い頃から、生き物の命に触れるのは重要だぞ?後々心身の養いともなるはずだ」

…とか何とか言ってはいるが。
結局のところ、子どもたちと触れ合う機会を増やしたいのが、帝の本音であろう。
千歳たちが生まれた時も、随分と目をかけてくれたものだったが、まゆきが生まれてからは更にその勢いは増すばかり。
異国からの珍しいものや、諸国の説話を集めた巻物などを見つけてきては、子どもたちを連れて参内されよ、と声を掛けられる。
おかげですっかり千歳たちも宮中の空気に慣れ、まだ十にも満たない年でありながら、緊張する気配さえも見せない。
帝と接する際は、どんな場合でも砕けた態度は厳禁。
はきはきと、きちんとした声で受け答えすること。
最低限これだけは守るように、と子どもたちに言い聞かせてはいるのだが、逆に帝の方が肩肘張らず向き合って下さるものだから、かしこまった空気とは無縁だ。

「ぱーぱ!ぱーぱ?」
「おお友雅、まゆき殿がそなたを呼んでいるぞ」
帝の腕に抱かれていたまゆきが、手をばたばたさせて父を呼んだ。
「ん?どうしたんだい」
「…まーま?まーま?」
小さな手を友雅に握られながら、きょろきょろと辺りを見渡すまゆき。
どうやら、何かを探しているような。
「母様はどこにいるの、って言っているんですわ」
千歳がそう言った。
毎日いつでも一緒にいるから、まゆきが何を言っているのかは何となく分かる。
まだまだおぼつかない発音ばかりであっても、表情や身振り手振りで感情は十分に伝わってくるもの。
もちろんそれだけではなく、同じ血を持った者同士が出来る以心伝心が、彼女たちの間には築かれているのだろう。
「母様はちょっと、御用で席を外しているからね。すぐに戻って来るよ」
帝の腕から、友雅の腕へ。
改めてまゆきを抱き上げると、まあるく柔らかい背中をさすってやる。
「そなたが子をあやす姿も、今となってはまったく不自然ではないな」
「ふふ、さすがに三人も育てておりますからね」
そんな言葉に、友雅も帝も思わず笑い声が上がった。
自分が子を持ち、親になるなんて。
ほんの十年ほど前だったら、一寸でも考えたりしなかったことだろう。
友雅自身だけではなく、それはきっと周囲の者たちもそうだ。
このような未来を想像出来た者は、おそらくいない。

「しかし、早いものだな…。まゆき殿も、もう三つか」
文紀と千歳がいるだけでも、十分賑やかだった橘家に咲いた愛らしい花は、そろそろ数えで三歳になる。
母の胎内に息づいていた頃から、両親や兄と姉の愛情をたっぷりと注がれて生まれた彼女は、それらを栄養に今もすくすく育っている。
幼い彼女には、地位や立場なんてものは不必要。
相手が例え帝であろうとも、いつもと同じようにはしゃいでは笑い声を上げる。
「そういうところが、子どもの良いところだ。特に、そなたたちの子らは…な」
「過ぎるほどのお気遣い、感謝しております」
宮家に生まれた時から、運命というものは決まってしまっている。
子どもらしい感情を出せぬまま成長した者にとって、千歳たちの無邪気な様子はどこか憧れのような感情もあるのかもしれない。

するり、と静かに衣擦れの音が聞こえる。
御簾の向こうに、うっすらと浮かんだ女性の影。
「主上、あかね様がお戻りになられました」
その声が聞こえたのか、友雅の腕の中にいたまゆきが、ぴくんと顔を上げてそちらを見た。
ゆっくり御簾が開き、中へとあかねが入って来る。
彼女を囲むようにして、藤姫と中宮が続く。
「おかえり。まゆきが母上をお待ちだったよ」
「え、そうだったんですか?」
友雅はさっそく彼女をあかねに渡そうと思ったが、その姿を見て諦めざるを得なかった。
両手で抱える小さな葛籠は、さほど重さはなさそうに見える。
けど、手の塞がっているところには、まゆきの居場所はない。
「あら、ちょっと!誰かお荷物を受け取ってあげてちょうだい!」
すぐさま中宮が、後ろに着いている女房たちを呼び寄せる。
だが、ぞろぞろとやって来た彼女たちもまた、揃って同じような葛籠を抱えていたのだった。

「これはまた随分と、気合いが入ったようだ」
帝が笑いを浮かべながら、その様子を目に映す。
前々から用意していたこととはいえ、こんな量になるとは…。
彼女たちも随分と、まゆき姫にご執心のようだ。



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Megumi,Ka

suga