Little Princess

 001
窓ガラスを通じて差し込む午後の陽射しが、少しずつ傾き始めた頃。
彼は自社ビルの一室で、モニタの向こう側にいる女性と会話を続けている。

「で、今回展示方法について根本的に見直そう、ということになりましてね」
「それについて、各方面から多数の専門家をお招きして、ディスカッションを重ねたとお伺いしましたが」
「私は専門家ではなく、ただの責任者ですからね。本職の方の意見を聞く方が正確ですから」
-------カシャッ。
「なるほど…。では具体的に、どのような部分にポイントを置かれましたか?」
「まずは、光の角度からなる反射と人間の視覚について……」
------カシャッ。
手元のファイルを開きながら話す彼の周りを、一人の男性がカメラを手にシャッターを切る。
真正面から斜め角度からと、アングルを変える彼が撮影しやすいように、友雅もまた動きをなるべく緩やかにと心掛けた。

たまにこうして、ビジネス的な取材を受けるときがある。
これまでも何度か機会はあったが、最近はデジタルネットワークが進歩したせいで、取材方法もかなり様変わりした。
インタビュー程度のものならば、わざわざ場所を用意して時間を作る必要もない。
今回のようにSkype機能を使い、取材する側もされるもその場で会話ができる。
会話は録音出来るため、原稿として内容をリライトするにも楽なのだそうだ。
もちろん、それらは過去に懇意のある会社に限る。
初めて取材を受ける相手は、信頼関係を築くためにも従来どおり会って話すことが殆どだ。

「ありがとうございました。ミュージアムリニューアルの際には、また是非お邪魔させて頂きます」
インタビューの区切りがついたので、カメラマンもシャッターを切るのを止めた。
機材を片付けている間も、モニタを通じて会話は続いている。
しかし話題がプライベートになったためか、心無しか彼の口調や雰囲気も柔和になっていた。
「ま、確かに多忙な時期ですがね。それでも帰宅すれば、賑やかな空気が待っていてくれますし」
「すっかり浸透していますからねえ、橘さんのマイホームパパぶり」
ここにいる橘友雅という男性は、国内でもトップクラスの実業家である。
元華族である彼の家には、代々伝わる国宝級の美術品や調度品が多く存在し、それらはどれもこれも学術的に貴重なものばかりだという。
現当主の彼はそれらを管理しつつ、展示公開するミュージアムを経営する傍ら、付属したレストランやショップなども経営している。
店舗も単独として評価が高く、各地にいくつもの支店を展開していた。
「お疲れさま。写真は上手く撮れたかい?」
「あ、はい。どうもいろいろありがとうございました」
「被写体が若い女性なら、君もカメラも張り合いがあっただろうにね」
笑いながらそんなことを言う彼だが、十分被写体として通用する風貌だ。
というか…まだ聞いたところでは30代そこそこ。
華族の当主とか実業家とか、そんなイメージとはかけ離れていて、あまりに艶やかなその雰囲気は、どちらかと言えば華やかな業界が似合いそうな男性だ。

「では、失礼致します」
カメラマンは友雅に一礼をすると、ドアを開けて外に出た。
車に戻ったらカメラのチップをPCに繋いで、撮影したデータを編集部に送信する。
インタビュー方法もだが、カメラもデジタル化のおかげで簡単に仕事が進む。
送ったデータをチェックしながら、女性スタッフたちはさぞかし湧くんだろう。
出来るだけ多めに撮影するように言われていたが、そういう意図があったからか。

カーペットの敷かれた廊下は、足下にしっとりとした感触を与える。
音を立てずにエレベーターホールに向けて歩くと、人影が向こうから近付いて来るのが見えた。
賑やかな話し声も聞こえる。子どもの声と、若い女性の声。
徐々に距離が狭まると、彼らの輪郭がはっきりとしてきた。
肩より少し長いくらいの、さらりとした髪型をした女性は、こちらに気付くと笑顔で軽く会釈した。
つられてこちらも頭を下げると、手をつないだ二人の女の子が目に留まった。
「こんにちはっ、お仕事お疲れ様です」
「え?ああ…どうもこんにちは」
彼の顔を見ると、緩やかな髪の女の子がはきはきとした声で、ぺこりと頭を下げて挨拶をした。
背格好を見た限りでは、小学校低学年くらい。
手を繋いでいる子は、多分彼女の妹だと思う。幼いながらもぎこちなく、ぺこっと同じように頭を下げる。
「失礼致します」
丁寧な動作で、母らしき女性は二人を連れて立ち去って行く。

彼女たちが立ち去ったあと、残り香のような感触が漂う。
-----何だろう、不思議な感覚だ。
まるで、突然春の日差しの中に放り込まれたみたいな、優しい暖かさときらめき。
彼は足を止め、徐に振り返って彼らの背中を目で追った。
三人は今しがた彼が出て来た部屋の前で立ち止まり、ドア横のインターホンを鳴らした。
やがてドアが、内側からゆっくりと開く。
「父様ー!」
すぐさま明るい声が響いて、女の子たちが室内へと飛び込んで行く。
それに続いて、女性も中へと足を踏み入れた。
父様……。
もしかしてあの二人は、彼の娘?そしてあの女性は、彼の妻か?。
姿が消えた今も、残像がまだそこにあるかのよう。
きらきらと輝いて、目の中に焼きついている。


エレベーターで一階に下りて、取材許可のカードを受付の女性に手渡した。
「ご足労頂きまして、ありがとうございました」
預けた貴重品はロッカーから取り出され、彼に戻される。
取材中は、フロントに貴重品を預けるというルールらしい。まるで一流ホテルか旅館のサービスだ。
「あのー…」
一か八か、彼は受付の女性に声を掛けた。
「もう一度、橘さんにお会い出来ませんか」
「…ええと…予め、アポを一日のスケジュールに組んでおりますので…」
困ったような顔で答える女性。
そりゃそうだろうな…と彼自身も思ったが、それでも引き下がる気持ちになれなかった。
「いや、ちょっとだけでも。何なら、ここからお電話だけでも構いませんので、繋いでもらえませんか!?」
やけに彼が熱意を奮って言うので、彼女も一瞬たじろぐ。
友雅は残業を一切しないというのが信条なので、定時に帰宅出来るよう予定外のことはしない。
「是非お願いします!お嬢さんと奥様がいらっしゃるうちに、どうか!」
今にも土下座しそうなほど、彼は真剣に頼み込む。
そこまで踏ん張っても、アポなしor飛び込みの応対を、友雅が受け入れることはまずないと思うが…。
「社長にお聞きしますので、お待ちください」
根負けした彼女は、内線ボタンを押した。

生き生きとしたグリーンの葉を眺めながら、もう一度彼は記憶を思い浮かべる。
こんな出会いなんて、そう滅多にあるものじゃない。
その中で強いものを感じる出会いは、長い人生を送ってもほんのわずかだろう。
この偶然の遭遇を、無駄にしたくはなかった。白紙のまま、通り過ぎることだけは避けたかった。
土下座でも逆立ちでも、可能性があるならばやってやる、とまで彼は思った。
それだけの価値があると、ひとめ見て直感が働いた、



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Megumi,Ka

suga