黄金色の秋の宵

 001
宮中は常に慌ただしいものだが、節句の時期が近付くと一層静けさと無縁になる。
女房たちも各省の役人たちも多忙を極め、のんびりとしている者を見つける方が難しいくらいだ。
「こうして座っているのも、気が引けて来るな」
「さすがに、主上のお手を煩わせるわけには行きませんし」
「とは言ってもな。どうも集中出来ん」
帝は筆を置き、ゆっくりとその場から腰を上げた。
かれこれ数時間、文台の前に座り続けている。
金薄敷緑紙など艶やかな和紙が並べられ、その表面に歌を認める。
近々行われる宴の際に読むためのものだが、どうも満足行く言葉が思い付かず筆が進まない。
「気分転換でもするか。少し違った景色を眺めたくなった」
「では、どちらに参られますか」
「そうだな…」
黄金色の花が、濃い緑の葉に鮮やかに映える。
暑さもほとぼりが冷めた頃。
訪れる秋の準備は、着々と進みつつある。


「主上がお渡りになられます」
その一言が響くたび、騒がしさの後に緊張が張りつめる。
今上帝は堅苦しさを好まない性格だが、かと言って気の抜けた態度で接することは許されない。
「お待ち致しておりました主上」
部屋に足を踏み入れると、一同に頭を垂れる。
「大層にもてなさずとも構わぬよ。親が子の顔を見に来ただけのことだ」
東宮を中心に、女房や坊の職員たちが数名。
左右開かれた窓からは、秋を思わせる涼風が吹き込んでは流れて行く。
「それに、わざわざ演奏を止めずとも良いものを。道すがら、楽しませてもらっていたのだよ」
渡殿を歩きながら、聞こえて来る笛の音に誘われて辿り着いた。
秋の夜に馴染む穏やかで透明感のある音色は、師である永泉のおかげだろう。
「どれ、もう一度聞かせてもらえぬか」
歌に使える閃きを探していたが、運良く良いものに遭遇出来た。
しばらくここで彼の笛の音に耳を澄ませていれば、自然と何か引き出されてくるような気がする。
東宮は幼い頃より、笛を始めとして琵琶や笙、琴など一通りの楽器を嗜んでいる。
その中でも笛は、特に秀でているように思う。

「血は争えぬものだな」
帝は東宮を眺め、ふとそんな風につぶやいた。
彼も幼少から笛を楽しんだが、純粋に楽への興味があったというよりも、ひとつの術でもあった。
帝位を巡る小競り合いの中で距離を取らされた弟の永泉と、楽という口実があれば共に時を過ごすことが出来たからだ。
自ら法親王の道を選び俗世を捨てた弟と、帝として即位した自分とは立場がかなり変わってしまった。
それでも、お互いへの信頼と深情は今も変わらない。
兄弟の想い出が刻まれている古い龍笛は、手放すことなく大切に保管してある。
「お近くに住まわれているのですし、これからは東宮様とご一緒に奏でてみては如何です?」
「親子で、か…。それも良いか」
彼の笛の練習に付き合えば、同時に弟の永泉と触れ合うことも可能。
何より、血の繋がった者たちと同じものを愛で楽しめるのは、格別のひとときに違いない。
「そなたに言われると、説得力があるな」
隣にいる友雅を見て、しみじみと帝は言う。
「屋敷では子どもたちと、楽を奏でたりしているのだろう?」
「稽古の仕上がりを見るついでに、程度ではありますが」
文紀の笛と千歳の琵琶。
それに加えて、まゆきも姉の様子を見て興味を持ったらしく、揃って琵琶を嗜むようになった。
「今回大役を授かりまして、毎日稽古に精を出しておりますよ」
近々紫宸殿で行われる五節句のひとつ重陽宴は、菊花と触れ合いながら災厄を祓い平穏や長寿を祈願する。
宴では菊花酒を楽しみつつ、歌や管弦を披露することになっている。
楽を奏でるのは主に雅楽寮の者たちだが、楽に長けた者が加わることもある。永泉や友雅もその一人だ。
更に今回は年の若い貴族の子らを厳選し、宴の舞台で演奏する機会を与えることになった。
発案者は帝ということで、当然ながら文紀と千歳も選ばれている。
問題は、そこにまゆきの名前を挙げられたことだ。
「熱心に練習はしておりますが、果たしてご満足頂けるかどうか」
「気にするな。素直な音を出せるのが、子どもたちの良いところだ」
そうは言っても、親としてはやはり良い想い出にしてやりたい。
苦肉の策で知人の楽師に編曲を頼み、三人で演奏出来るように仕立ててもらった。
兄姉に教えてもらいながら、まゆきも自分なりに頑張っている様子。
さて、本番ではどうなることやら…。

しばらくすると、左近衛府の少将がやって来た。
重陽宴の晩の内裏警護について、友雅の確認が必要だとのこと。
「私はここにおる故、向かっても構わぬぞ」
東宮も女房たちも大勢いるし、外には常に滝口も数人待機している。こんな場所で帝に危険が及ぶことは、まずないだろう。
「では、少々席を外させて頂きます」
友雅はそう言って帝に一礼すると、少将を連れて部屋を後にした。
「少将か。懐かしいものだな、以前は友雅がそう呼ばれていたものだ」
「そうですわねえ。当時は友雅殿のおかげで、随分と内裏が賑やかでしたわ」
彼が通れば女房たちが色めき、華やかな空気に包まれた。
話題に事欠かない人物で、どれほどの浮き名を流したことか。
「それが、今や可愛らしい奥方と子らに囲まれてなあ」
彼が結婚すると決まった時は、天地がひっくり返るほどの大騒ぎだった。
京の女性たちから嫉妬の目を向けられるのではないかと、帝もあかねの身を案じていたものだったが、それらは取り越し苦労で終わった。
「友雅殿がお側から離れませんものね。あれでは、他者が口出し出来ませんわ」
「はは、確かにそうだな」
そのうちに彼女の人柄が知れるようになり、自然と周囲に受け入れられるようになった。
そして子どもたちが生まれたあとは、一家で再び内裏を賑わせることになる。
「人見知りしない子らで、そりゃあ可愛らしくてな」
帝に抱かれても全く動じることなく、楽しそうに笑い掛けてくるものだから、他人とはいえ溺愛したくなるのも仕方ない。
しかも先の子らだけでなく、まゆきも同じだった。
こんな調子だから、何かと用件をつけて参内させたくなるのだ。

「ああ、すまぬ。友雅の子らを持ち上げ過ぎだったな」
ふと思い返して、帝は東宮の方を見て言った。
他人の子どもを賛美してばかりでは、目の前にいる我が子は面白くなかろう。
しかし東宮は、そんなこと気にしていないようだった。
逆に、彼からこんな言葉が発せられる。
「お気になさらないで下さい。友雅の子らが可愛がられるのは当然のこと。私とて見習いたいほど優れた部分がございます故」
「ほう?そうなのか」
文紀たちは東宮よりも二つほど年下。
そんな彼が見習いたいとは、一体どんなところだろうか。興味がある。
「文紀殿の笛は…とても聡明で優しいと思いませんか?どうすればあんな音が出せるのかと」
「なるほどな。それは、文紀殿の性格が現れているのかもしれぬよ」
「はい。利発で奥ゆかしいところが、まさに文紀殿らしい音です」
それでいて、不思議な艶も感じられる。
優しさと艶やかさの調和が取れた音色。これはなかなか特異なものだと思う。
「それも、文紀殿だからこそではありません?何しろ、友雅殿の御子様ですもの」
女房の一人が微笑みながら言う。
同時にその場にいた者すべてが、納得したような顔で軽くうなづいた。



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Megumi,Ka

suga