葉桜の空

 001
五月の空には、雲らしきものは見えない。
どこまでも清々しく、澄み切った青が広がるその景色に、色鮮やかになる新緑が良く映えた。
初春に芽吹き始めた小さな息吹は、やがて蕾となり、そして花を咲かせる。
桜の時期が過ぎて、いよいよ日差しが暖かさを増して来た。

「父様ー母様ー!お荷物が届いたって祥穂がー!」
ぱたぱたと威勢の良い足音を立てて、千歳が和室へとやって来た。
普段は洋間のリビングが家族の団らんの場であるが、今日は東側の和室に集まっている。
15畳の広々とした畳敷きの間に、勇ましい鎧飾り。
床の間に飾られた花菖蒲と矢車菊の生け花が、威圧感を少し和らげていた。
「友雅様、奥方様、ただいま文紀様宛にお荷物がいくつも」
「おやおや、これはすごいねえ。さすがに今日の主役殿を、みんな放ってはおけないようだ」
祥穂が抱えていた箱は二つ。
しかしそれだけではなく、後からやってきた二人の女中にも、同じようなものが抱えられていた。

差出人に目を通すと、殆どは得意先からの名義になっている。
友雅が家庭を最優先する人間であることは、業界でもかなり有名な話。
そのためこういった行事の日には、あちこちから荷物が届けられるのである。
「ねえ友雅さん、どこかで文紀の好物の話、したことあるでしょ?」
伝票を確認していたあかねは、まゆきを抱っこしている友雅に尋ねた。
よく見ると、三つほど同じ包装紙の箱がある。それらは隣町にある、イタリアンレストランのロゴがプリントされていた。
品名には『チーズクラッカーギフトセット』と書かれてあり、箱の大小の差はあるが中身は同じようだ。
そしてこの店のクラッカーが、文紀は小さい頃から好物なのである。
「兄様っ、しばらくお店にお食事に行かなくても、おうちで食べられるわねっ」
「でも、こんなに食べられないよ〜」
積み重なった箱を見て、苦笑いする文紀は朝早くから紋付姿。
凛々しい格好の彼のそばには、華やかな赤い振り袖の千歳がちょこんと座り込んでいる。

橘家は、女三人に男二人。
娘二人のためのひな祭りとなれば、それはいっそう華やかになるのだが、かと言って端午の節句も力は抜かない。
今のところは、橘家の跡取りとなる大切な長男。
健やかな成長を祈るのは、娘だろうと息子だろうと変わりない。
「んんっ。うー」
「こらこら、まゆき。それは兄様の弓矢ではないよ」
父の腕から抜け出して、鎧飾りに添えられた弓太刀に手を伸ばそうとするまゆきを、友雅は抱き上げて引き離した。
いつも弓道の稽古から帰ると、同じようなものを手入れしている兄の姿を見ていたから、彼女にはそれが文紀の弓だと思ったのだろう。

「でも、まゆきって鎧を怖がらないのねえ…」
不思議そうな、それでいて笑顔を浮かべながら、あかねが言う。
端午の節句の鎧飾りは、あかねの両親が文紀の誕生の際に、特別に注文して作ってくれたものである。
雄々しい立派な仕立てで、見ているだけで圧倒されそうなほどの佇まい。
小さい頃はこれを見て、千歳など和室に入りたがらなかったくらいなのに、まゆきと言えば物怖じもしない。
「行く末が楽しみだな。さぞかし逞しい姫君になりそうだよ」
友雅たちが苦笑する中で、自分の身の丈にも及ばない大きな鎧を、まゆきはしげしげと興味深げに眺めている。


しばらくすると、再びインターホンの音が家の中に響いた。
『永泉様と詩紋様がお越しになられました』
「え?どうしたんだろう、ふたりとも…」
友雅とあかねは、顔を見合わせる。
橘家を通じて知人同士ではある両者だが、揃ってやって来るなんてことは珍しい。
「あかね、中にお通ししたらどうだい?せっかくの祝いの日だしね」
「ええ、そうですね……って、こら千歳!裾を気を付けないとつまづくわよ!」
両親が話している途中で、勢い良く振り袖をはためかせながら、千歳が再び玄関に走って行く。
「やれやれ。姫君は王子様の名を聞くと、おとなしくしていられないようだね」
「しょうがないなあ」
そう言いながら、文紀はあかねに手を引かれて部屋を出て行く。
残ったのは、小さい姫君と父親の友雅だけ。
「さ、まゆきも父様と一緒に行こうか。可愛い顔を、お客様方にも見せておあげ」
静かに彼女を抱き上げ、ゆっくり友雅は腰を上げる。
格子戸の障子を開けて廊下に出ると、さっそく玄関から賑やかな声が聞こえた。


「ええ、とてもよくお似合いですよ。お二人とも、本当にご立派になられて」
物腰柔らかく微笑みながら、永泉は子どもたちを見る。
千歳がくるりと身体を一回転すると、父譲りの長く緩やかな髪が、簪のしだれ桜とともにふわりと舞った。
「お着物は前に買ってもらったのだけど、簪は父様が作って下さったのよ」
シャラン、と花びらと金銀の飾りが揺れるそれは、友雅が特注で作らせたもの。
リボンと組紐はワインレッドで、いくつか所有している簪と比べると、ちょっとだけ大人っぽい雰囲気がある。
「小学校進学のお祝いもあるからって、わざわざ作らせたらしいんですよねえ」
困ったような顔で、あかねが笑う。
友雅は何かと理由をつけて、子どもたちに贈り物を買って来る癖がある。
それには本来重要な理由などなくて、単に喜ぶ顔を見たいから…という、単純明快な理由だ。

「本当に綺麗な簪ですね。いずれはお姉様から、まゆき様に受け継がれるのでしょうか」
姉が大切に使った父からの贈り物を、今度は妹へお下がりに。
普通なら十分あり得る展開だが、まゆきを抱えてやって来た友雅が、永泉の推測をやんわりとはね除けた。
「どちらも私には大切な姫君なのだよ、永泉殿。使い回しなんて、させられるわけがないじゃないか」
まったく…と、あかねが呆れ気味に彼を見る。
実は既にまゆきにも、千歳と同じ簪を作ってあるのだ、彼は。姉妹お揃いになるようにと。
それを実際に使うのは、あと5年以上先になるというのに。
「気が早過ぎるんですよ、友雅さんは〜。5年も経てば流行とかも変わっちゃいますよ?」
「まあ、その時は作り直せば良いさ」
元々しっかりとした仕立てだし、調度品として飾っても様になる。
いざとなった時は、そんな風に応用すれば良いだろう、と気楽に友雅は話した。

「ほんっと、友雅さんて千歳ちゃんたちが好きなんですねえ」
彼らの様子を見ていて、詩紋は思わず笑ってしまった。
どこまで親バカなんだか、この艶やかな人は。
大輪の牡丹のように華やかな風貌で、家族に対する眼差しは一途で澄んでいる。
そんな彼の思いを子どもたちは身体いっぱい受け止めて、一日一日成長してゆく。
絵に描いたように幸せな家族の情景だ。こちらまでもが、胸の奥が暖かくなる。
「まあまあ、皆様、玄関でお話などされずに、中にお上がり下さいませ」
賑わいを聞きつけて、祥穂がキッチンからやって来た。
和室には既に、茶と菓子の用意も出来ている。客をもてなす用意はすべて整った。
「あっ、すいません!祥穂さん一人にやらせちゃって…!」
「宜しいですよ、奥方様。今日はお子様方の日ですから、ご両親もお子様とご一緒にくつろがれて下さいな」
せっかくの子どもの日は、家族で彼らの成長を祝いたいもの。
余計な雑用は他人に任せてもらって、じっくりと一家団欒を楽しんでくれれば、と祥穂は思う。
とは言っても、普段から家族一緒の時間が重視されている橘家では、祝日だろうが平日だろうがたいして変化はないのだけれど。

「では、少しの間お邪魔させていただきます」
差し出されたスリッパに履き替え、二人はそれぞれに荷物を抱えて中へ上がる。
永泉が抱えた山ほどのお祝いの花束に、興味をそそられたのか、まゆきは度々手を伸ばす。
その隣で千歳はといえば、白い紙袋を手にした詩紋の横に、ぴったりとくっついて歩いていた。



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Megumi,Ka

suga