Oh,happy rainy day

 001
「雨が降っているようだね」
外から聞こえる雨だれの音に耳を澄まし、友雅は言った。
「梅雨真っ最中ですからね…。でもせっかくの日曜日は、お天気になって欲しかったなあ」
子どもたちは土日が休みだが、友雅が土曜日も休みを取れるのは稀なことだ。
日曜だけは家族全員が、一日中揃う大切な休日。
近場でも良いからみんなで出掛けたり…と、天気が良ければ楽しみも増えるというものだが。
「まあ、それならそれで…朝をゆっくり過ごせば良いよ」
腕の中にあかねを抱き込み、彼はもう一度目を伏せる。
悪戯っぽく瞼と頬に唇で触れながら、ベッドの中でまどろむ雨の日曜日。
まだ、朝が明けるには早過ぎる。
「あかねだって、毎日朝早くから家事をしているのだから、休日は怠けてごらん」
「そんなこと言ってー…」
背中にあったはずの彼の手は、いつのまにかゆっくりと移動して。
指先が腰からパジャマの下に忍び込んで、何か合図を送るように肌を撫でる。

「ダメですよ、お休みだからって気を抜いちゃ」
友雅の腕の中からするりと抜け出し、彼の隣を横切ってベッドを下りた。
乱れた上着を整え直す彼女の背中を、友雅は眺めながら枕にもたれる。
「一旦気を抜くと、だらだらするのが染み付いちゃうんです。子どもたちは特に、ちゃんと決まった時間に起こさなきゃ」
「あの子たちは、既にしっかりしてるだろうに」
千歳も文紀も、朝は割と目覚めが良い。
目覚まし時計はセットしているが、ベルが鳴る前に起きていることが多い。
どうやら体内時計が、きちんと機能しているようだ。
「母上の教育の賜物だねえ。私としても、心強いよ」
「そういう父上も、早く起きてお休みを満喫しましょうね?」
くるりと振り返って、にこっと微笑む。
起きたばかりとは思えないほど、清々しい彼女の笑顔。
子どもたちが揃って朝が強いのは、どうやら母譲りなのかもしれない。

「仕方ない…私もそろそろ起きるか」
あかねは先に着替えを済ませ、さっさと寝室を出て行ってしまった。
一人でベッドでまどろんでいても、退屈な時間が流れて行くだけ。
立ち上がった友雅は、ほとんど着ていない状態の上着を脱いで、薄暗い窓辺へと向かう。
しと、しと、しと……。
「ああ、やはり今日は一日この天気のようだね」
モスグリーンのカーテンを開けると、思った通りのどんより空と雨の雫が庭を濡らしている。
と、そんな友雅の視線の先に…赤いレインコートの塊がある。

「千歳?」
がらりと窓を開けると、今の季節は紫陽花、百合、夏椿。
季節折々の花が庭を彩る、広大な橘家の自慢の庭。
その隅っこで、真っ赤なレインコートを着て、うずくまっている千歳がいた。
「父様!おはようございますっ」
「ああ、おはよう…。こんな雨の中、何をしているんだい?」
あかねもそうだが、彼女の朗らかさは雨の日でも眩しい。
張り出したテラスに出ると、細かい霧のような雫が降っている。
「お花を摘んでいましたの。ほら、百合と椿がとっても綺麗でしょう?」
小さな手いっぱいに積んだ花を抱えて、足早に駆け寄って来た千歳は友雅にそれらを見せる。
ふわり、と香りたつ甘い花の香りは、優雅で、そして優しい。
「取り敢えず、早くこっちにお入り。いくらレインコートを着ていても、朝は寒いのだから冷えてしまうよ」
友雅は花と千歳を一緒に抱き上げて、寝室へと連れて行く。
小粒の雨が身体に張り付いているが、部屋が濡れても彼女が凍えるよりはずっとマシだ。

「母様は、もう起きてらしたの?」
寝室にあかねの姿がないのに気付き、千歳は友雅に尋ねた。
「千歳たちと同じで、母様は早起きだからね。今頃、朝食の支度をしているよ」
「まあ!兄様もまゆきも、もう起きてるのに。父様ったらお寝坊さんですのねっ」
ぷっと思わず、吹き出してしまう口調。
小学校に進んだばかりだというのに、言葉遣いは一人前だ。
「今日は父様のために、いろいろ用意しているのよ。あまりのんびりしていては困りますわ」
「うん?それは一体どういうことだい?」
誕生日は、先週済ませたばかり。
さほど嬉しい行事ではないのに、あかねと子どもたちに囲まれた時間は、それだけで友雅にとっては最高のひとときだった。
そして一週間後…なのだが、果たして、そんな特別なことがあっただろうか。

首を傾げている友雅に、ぐっと千歳が顔を近付ける。
「今日は、六月の第三日曜日ですのよ。だから、父様の日なの」
父様の日……。
ああ、もしかしたら今日は、世間で言うところの…
「そうか、今日は父の日だったのかい」
「もうー父様ったら!私たち、朝早くから色々支度をしているのよっ。父様に喜んでもらいたくて!」
「へえ。そうとなったら、ここでのんびりはしていられないな」
「そうよ!早く着替えてリビングにいらしてね!いつまでもそんな格好では、お風邪を召すし、第一はしたないですわよ!」
言われて我に返ってみれば、確かに。
そういえばさっき上着を脱いだので、上半身は裸のままだ。
「これは失礼。姫君にお見苦しいものを見せてしまって」
「ちゃんとお洋服を着ないと、母様にも叱られてしまいますわよ?」
「ふふ、そうだね。気をつけるよ」
庭で摘んで来た花束を抱え、千歳はリズミカルな足音を立てながら部屋を出る。

彼女が消えたあとは、太陽が雲に隠れてしまったような感じ。
「朝から元気だねえ…」
笑いながらクローゼットを開けると、中にきちんと彼の洋服が用意されてある。
コットンのシャツとチノが、色違いで二つずつ。
必ずあかねが、前日のうちに揃えていてくれるのだが、結婚してこの方、その様子を目にしたことはない。
「鶴の恩返しの鶴よりも、あかねの秘密は強固だな」
さらりとしたシャツが、肌に軽く馴染んで行く。
外は雨だというのに、清々しい気持ちが彼の中に浸透して行った。


「ぱーぱー!」
リビングのドアを開け、真っ先に声を掛けて来たのは、たどだとしい未完成の声。
小さな手を振り回して、まゆきは友雅を元気よく呼ぶ。
「おはよう、今日も楽しそうな顔だね」
椅子からまゆきを抱き上げて、カウンター越しのキッチンへと進む。
そこにはあかねと女中の祥穂と、珍しく文紀の姿があった。
「おや、男子厨房に…とか言うけれど、我が家はそういう決まりがないから、のびのびして良いね」
長い伝統を持つ橘家であるが、まあそういうしきたりとかはこだわらない。
現当主の友雅が、そもそもそういう性格ではないし、あかねもまた一庶民の出だし。
まず、そんな堅苦しいことで子どもを縛るより、男女隔たり無くいろいろな経験を楽しむのが良い-----というのが、二人の信条でもあった。

「今日は、僕がコーヒーの用意をしてたんです」
文紀が言ったあと、彼の手に視線を落としてみれば、コーヒーミルから香ばしい匂いが沸き上がっていた。
「あ、でもまゆきにはちゃんと、ホットミルクを用意してあるので!」
「そうか、優しい兄上でまゆきも幸せだね」
丁度人肌の温度に冷ましたミルクは、文紀がバレンタインのお返しにと、まゆきの為に買ってあげたカップに注がれている。



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Megumi,Ka

suga