花ひとつ、春うらら

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それは、冬の足音が近付きつつある頃のことだった。
庭の木々が日を追うごとに彩りを落ち着かせ、はらはらと葉を舞い落としている。
これからの季節、庭で目を楽しませてくれる植物と言ったら、屋敷を囲む橘の緑と、その中で膨らむ黄金色の実。
或いは鮮やかな色が白銀の雪に映える薮椿。
そして、ここだけにしか存在しない、一年を通して花を落とすことのない万年桜。
冬は大概の生物が休息を得る季節。
やがて迎える春の恵みを受け入れるため、力を蓄える大切な時間。
「さあ、出来ましたよ」
祥穂たちに気付けをしてもらい、千歳とまゆきは身軽な小袖に着替えた。
町に出たり庭の掃除をする時には、いつもこんな格好をさせてもらう。
表向きの身分は貴族であっても、心の中は町の庶民たちと何ら変わらない。
彼女たちの目は常に真っすぐ前を見ていて、何かを見下ろすことは絶対にない。
ここは典型的な母親譲りだ。
「じゃあ、お掃除に行ってきますわね」
「行ってらっしゃい。あまり汚したりしないようにね」
高欄から庭に下りた二人を見届け、あかねと祥穂は厨房へと下がった。

「おねーちゃま、こっちの葉っぱ真っ赤ー」
「まあほんとね!隅々まで赤くて、とても綺麗だわ」
掃き集めた落ち葉の山は、赤、黄、橙と色とりどり。
錦絵のように鮮やかな色をした葉は、彼女たちの目と心を十分に楽しませる。
「そうだわ。もっとたくさん集めて押し葉を作りましょ!」
花や紅葉を厚みのある書に挟んで、ひと月ほどそのままにしておくと、色褪せない綺麗な形で花や葉を保存出来る。
紙に貼って貼り絵を作ったり、屏風に貼って彩りを添えたり。
母が教えてくれることは楽しくて、子どもたちを飽きさせることはない。
しかしそれにしても、広い敷地に加え多種多様の花木が生きる橘家の庭。
落ち葉の種類も多さも半端なく多く、探し出したらキリがない。
あまり汚さないようにと母に言われたことも忘れ、二人とも屈んで地を這いながら落ち葉拾いに気を取られる。

そんな時。
「あら?」
千歳の目の前に、小さな茶色の球体がひとつ転がっていた。
つるんとしていてトゲもなさそうなので、手を伸ばしそれを拾い上げた。
「おねーちゃま、それなぁに?」
「何かしら?私も今まで見たことないわ」
手のひらに乗るくらいの、茶色い薄皮に包まれた実。
形はてっぺんが尖っていて、まるで桃みたいな外見をしている。
「なにかの木の実かしらー?」
「でも、近くにこういう実がなってる木はないわ」
他にも転がっていないかと思い、まゆきと一緒に探してみたが見つからない。
たったひとつの、小さな実。
幼い子どもたちが知恵を絞っても、その正体を明らかにすることは出来なかった。


「母様ー!母様いらっしゃるー?」
厨房にいたあかねと祥穂の耳に、千歳たちの声が届く。
やがて小さな足音が近付いて来て、二人揃って厨房に顔を出した。
「母様!お聞きしたいことがあるの!」
「はいはい、ちゃんと聞いてあげるから、今はちょっと静かにしてね」
あかねは千歳の方を振り返り、しーっと唇に指を立てる。
すると、そろそろと足音を忍ばせながら、今度は文紀が厨房へとやって来た。
「父上がお戻りになっているんだよ。」
「父様が?まだそんなお時間じゃないわ、どうなさったの?」
今夜は宿直の当番ではなかったのだが、急な欠員が出てしまった為に友雅に白羽の矢が立った。
明け方まで帰れないので、一旦帰宅して仮眠を取ることにしたのだった。
「お部屋でお休みになってるから、しばらくは静かにしてちょうだいね」
「わかったわ。まゆきも静かにね」
「しーってするのね、しーって」
「そう。しーってするのよ」
声を潜めながら互いに顔を見合わせて、しーっとやっている子どもたちの可愛いことと言ったら。
本当なら父と戯れたいのだろうが、そこはもう状況を理解出来る年頃。
感情を抑えることや、相手のことを考えて行動することは身についている。

だが、子どもたちが気を回しても、当の本人が動き出しては止めようがない。
「綺麗な小鳥のさえずりは、どれほど小さくても耳に入ってしまうものだよ」
最後に厨房へやって来たのは、仮眠を取っていたはずの彼。
友雅は迷わずまゆきを抱き上げると、腰を屈めて千歳の目線に姿勢を合わせた。
「父様、お休みじゃなかったの?」
「夢の中より、千歳たちがいる世界の方が心地良いからね」
子どもたちと戯れたいのは、父である彼も同じ。
お互いの気持ちが、自然と引き寄せ合ったのか。
「それで、何を母様に聞こうとしていたんだい?」
「あっ!これ、お庭で拾ったのだけど、何なのか分からなくて」
千歳は袖に忍ばせていた例の木の実を取り出し、まずは目の前にいる友雅に見せてみた。
「これは…さて、何だろうねえ?」
「木の実じゃないかってまゆきは言うのだけど、父様ご存知?」
「さあ…。うちの庭にある木々で、こういう実を見かけたことはないよ」
宮中の供物でも見覚えがないし、市に並んでいる様子もない。
木の実にも見えるが、それにしては軽い気もするし。

「ちょっと見せてもらっても良い?」
あかねがそう言いながら、二人の間に入って来た。
友雅の手のひらに乗せられたそれを見ると、何か考えているような表情をした。
「これに見覚えがあるのかい?」
「うーん…はっきりは言えないんですけど、球根っていうものに似てるなあって」
作物は種を蒔き、育つ。
それが一般的な京の世界では、球根の概念はまだ存在していない。
これもまた種の一種みたいなものであり、土の中に植えれば芽吹き、そしていずれ花が咲くのだ。
「まあ、お花が咲くの?」
「分からないけど、可能性は高いかもね。もし球根なら…の話だけど」
この形の球根に見覚えがないわけじゃない。
でも、あちらとこちらでは環境が違うし、見た目が似ているだけかもしれない。
元の世界では最初から花の名前と写真が提示され、販売されていたから疑いもなかった。
だがこれはまったくの白紙状態。
正体さえも明らかではない、あくまでも球根"らしき"ものである。

「それなら、試しに植えてみたらどうかな」
友雅は球根らしきものをつまんで、千歳の手のひらに戻す。
花が咲くか咲かないか。もしくは別の植物が育つか。
少なくとも植えておけば、何かしらの変化は起こるだろう。
「むしろ、予想がつかない方が面白いと思わないかい?」
その時が来るまでの、お楽しみ。
一日一日変化を待ちながら、ゆっくり過ごすのも悪くはないのではないか。
「じゃあ、お庭に植えてみるわ!」
千歳が見つけた、ひとつしかない球根らしきもの。
彼女の手によって土の中に埋め込まれたそれが、変化を見せるのはまだまだ先。
おそらくそれは、これから雪が降り、新しい年を迎え、ようやく梅の蕾がほころび始める頃になるだろう。



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Megumi,Ka

suga