ないしょのアイスクリーム

 001
時計が示す時間は午後3時半。
友雅はオフィスの機器をすべてシャットダウンした。
「そろそろ終わるから、車の手配を頼むよ」
向かいにある秘書室へ内線を入れ、帰宅の用意を始める。
立場上定時というものは特にないのだが、普段は午後5時前後が多いので今日はかなり早めだ。
外はまだ気温が高い。ジャケットは羽織らず手に抱え、ドアを閉めてエレベーターで1階へと下りた。
ロビー前には、既に車が到着していた、
「ジュニアシートひとつでよろしかったですか」
「ああ。今日は王子様一人だけだからね」
そう答えた友雅は、程よくエアコンの効いた車内へ乗り込んだ。

自宅の方向とは逆の道をしばらく走り、『運動公園』の標識が見えて来る。
緑に覆われた広い施設の周りに遊歩道が設けられ、ジョギングを楽しむ人々を横目に車は駐車場に向かう。
車から降りて事務所のエントランスに行くと、文紀は品の良さそうな男性と話をしていた。
真剣に耳を傾けているので邪魔をするのは気が引けたが、車を長く待たせるわけにもいかない。
そうしているうち、男性の方が友雅に気付いたようだ。
向きを変えた文紀は、こちらにやって来る父に視線を定めた。
「待たせたかな?」
「ううん、着替えて今出て来たところだから」
文紀の頭を軽く撫でたあと、友雅は男性に軽く頭を下げた。
「いつも息子をご指導頂きまして、ありがとうございます」
「いえいえ。文紀くんの姿勢にはこちらの方が学ばせて頂いておりますよ」
彼は大学の弓道部で長く顧問を努めていた範士で、退職後はここで老若男女に指導をしている。
文紀が体験教室を経て道場に通い始めてから、ずっとお世話になっている師匠のような存在だ。
「次は少し間が空いてしまうけれど、それまで元気でね」
「はい、ご指導ありがとうございました」
親子揃って会釈をし、外に出てくると熱気が肌にまとわりつく。
一気に汗がじわりと浮き上がり、そこだけジャングルの空気が現れたかのよう。
早く家に帰ってシャワーを浴びよう、と考えていた時。スマホがポケットの中で小刻みに震え出した。
液晶画面に表示されているのは、彼の最愛の女性の名前。
『あ、友雅さん?今、どこですか?』
「武道館だよ。王子様を車まで誘導しているところだ」
車のドアを開け、先に文紀を乗せた。
荷物を後ろに積み込みながら、あかねとの会話は続いている。
そして文紀の隣に乗り込んですぐ、"メモを取ってくれるかい?”と尋ねた。
バッグから慌ててメモ帳を取り出し、友雅が読み上げるものを素早く記録する。
黒こしょう(詰め替え用)、パルメザンチーズ、バルサミコ酢、そしてコンソメ(顆粒)。
「母上からおつかいを頼まれてしまったよ。少し遠回りしないといけないね」
本当は黒こしょうだけで良かったのだが、それだけでも何なのでいくつか買い足しをお願いしたいとのこと。
千歳とまゆきが夕飯の支度を手伝ってくれているので、あかねが出掛けるわけにはいかないらしい。
「じゃあ行先変更だ。近くのスーパーまで頼むよ」
ドライバーは彼の指示通り、ナビに示された商業施設へ向かった。


店内はやや混雑している。
時間的に見て、夕食の材料を買いに来た人たちが多いせいだろう。
さほど重い買い物ではないので、レジのバスケットは文紀が持ち、友雅はメモを片手に商品を探す。
「黒こしょうはスパイスのコーナーかな」
案内板に従ってやって来ると、多種多様なスパイスがずらりと棚に並んでいた。
黒こしょうもブラックペッパーと名前を変え、粒状だったり粉状だったり容器も色々ある。
あかねは詰め替え用をと言っていたので、小袋に入ったものを選べば良い。
適当に友雅が手に取ったところで、文紀が違う袋を指差した。
「あ、それじゃなくこっちが良いと思う」
彼が指定したのは、友雅が取ったものの隣にあった別メーカーのもの。
「これとこちらとで、味が違うのかい?」
「うーん…分からないけど、母上はいつもこのメーカーのを買うから」
なるほど。いつもと同じものを買っていれば、まず間違いはないということか。
それなら文紀の助言に素直に従おう。
「えっと…コンソメは袋じゃなくて、小袋が箱に入ったこっち」
パルメザンチーズは緑の筒、バルサミコ酢は蓋が赤くて細い瓶…と、文紀は次々と的確に商品を棚から選んで行く。
たくさんの種類があるというのに、彼は一瞬たりとも迷ったりはしない。
「ひとつひとつ、よく覚えているねえ」
「買い物に着いて行くうちに、何となく覚えちゃった」
キッチンのスパイスラックに並んでいるものが、いつも変わらないことも印象に残っていた。
覚えたくて覚えたわけじゃなく、自然に頭の中に刻まれていた母の姿。
祥穂と話しながら、自分たちを交えながら、食事の支度をする光景はすぐにでも浮かんでくる。

レジで精算を済ませ、買い物袋に商品を入れたらミッションコンプリート。
「さて、急いで家に帰らないと」
我が家のレディたちがディナーを用意して、自分たちの帰宅を待っている。
とびきりの笑顔と料理がセッティングされた我が家は、ミシュランレストランさえ霞んでしまう。
文紀の手を取り、駐車場に向かおうとした友雅だったが、ある店の前で何かに気付いて足を止めた。
そこは、入口近くのアイスクリームショップ。
常時20種類以上のフレーバーがあり、季節を問わず客足が絶えない。
「買い物を無事に終えられたのは、文紀のおかげだからね。好きなものをひとつ選んで良いよ」
「えっ、夕飯前なのに食べても良いの?」
夕飯が食べられなくなるから、夕方はおやつを控えるようにと言われている。
母はもちろんのこと、父も同じように言っていたはずだけど…。
戸惑ってフレーバーを選べないでいる文紀に、友雅はひとつ提案をした。
「じゃあ、父様と半分こしよう。それなら夕飯に差し支えないよ」
アイスひとつくらい大目に見ようと思ったが、文紀が気にするのならこういうのもアリ。
ホッとしたのか、文紀はバナナチョコレートのフレーバーを選んだ。
カップの中にひとつのアイス。でも、スプーンはふたつ。
バナナの濃厚な甘さとチョコのほろ苦さ。口の中であっという間に溶けて消える。
「ねえ父上」
プラスチックのスプーンを舐めながら、向かいに座る友雅を見る、
「今度みんなで出掛けるとき、千歳たちにもアイス食べさせてあげたいな」
自分だけ味わっている罪悪感なのか、それともこの美味しさを彼女たちと共有したいのか。
おそらくどちらも正解だろう。彼はそういう性格の少年だ。
「優しい兄上だね。約束するよ」
その時はきっと、この笑顔が三倍になる。


「今日の夕飯は何だろうね」
「母上が今朝、ハンバーグにしようかなって言ってたけど、どうかなあ」
「それはみんな喜びそうだね。期待しながら帰ろうか」
手をつないで駐車場へと歩いて行く。
思えば文紀とこんな風に手をつなぐのは、随分と久しぶりのことだ。
いつも彼は妹たちの手を引いていて、常に彼女たちを守ってくれている。
そんな頼りがいのある文紀も、友雅にとっては愛しい我が子。

彼が妹たちを守るように、自分は親としてこれからも彼を守ろう。
小さなその手のひらが、同じくらいの大きさになる時が来るまで。





-----THE END-----




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2018.07.11

Megumi,Ka

suga