約束の季節

 001
「あれは……何をされているところなのでしょう?」
頼久が指さした方向には、花に囲まれて満面の笑顔を作る女性が立っていた。
6月も最終週に差し掛かった頃。あかねと頼久の毎週日曜のデートは既に習慣となっていた。
雨続きだった一週間にも関わらず、その日は眩しいくらいの晴天が空を輝かせていた。
夏が近い、という印だ。

■■■


頼久が現代の世界で生活するようになってから、早一年が過ぎようとしていた。
日常生活にもさほど不自由を感じなくなり、あかねにも天真にも詩紋にも揃って『普通の人間と変わらない』と言われるようになった。
散歩も一人で出かけられるようになったが、それでも一人で歩くのは味気ないと思う。だから、滅多に外を歩くことはない。
日曜日の、あかねとの時間のためにと、ずっと待機している。
そんな毎日の日々の中でも、気付くことはたくさんある。住居であるアパートの下にある垣根に紫陽花が花を咲かせたことや、雨の中でアスファルトの上を懸命に飛び回る小さな雨蛙の姿を見つけたり。それらは些細なことではあるが、ひとつの発見として頼久の心を刺激し、そして和ませた。
そして、その頼久の言葉をいつも楽しそうに笑顔で聞いてくれるあかねの存在。
それを見ると、自分の選択は間違っていなかったのだ、とホッとする。


■■■


「まるで、婚儀のようですね」
真っ白なドレスに身を包み、隣にいる男性と笑い合う女性を見て頼久がつぶやいた。
「え?よく知ってたね、頼久さん」
あかねは少し身を乗り出して、その情景を背伸びまでして眺めていたのだが、頼久の言葉に驚いたように振り返った。
「……本当に、そうなのですか?」
思いつきで言ってしまったことが当たっていたとは思わず、驚きが強かったのは頼久の方だった。
「そうだよ。あれは……洋風の、西洋式の結婚式なんだけどね。日本では白無垢の打ち掛けとかの着物を着たりするんだけど。でも、お嫁さんが真っ白な服装には変わりないね」
そう言ってあかねは、また頼久に背を向けて彼女たちの方を眺めた。

誰もが幸せを笑みの中に浮かべていた。
男性が女性の手を取り、彼に寄り添うようにして彼女は花束に囲まれる。真っ白な長いドレスに、細かく編み込んだ長いレースのベールを髪にまとい、そこだけが楽園であるかのように見えた。

あんな笑顔を保てたとしたら、どんなに気分良いだろう?
素直な感情のままで、あんな笑顔でいられたらどんなに幸せだろう?
友人たちに囲まれて笑う二人を見て、頼久はそう思った。

「結婚…とは、あのような笑顔をお互いに浮かべることが出来るものなのですね」
あかねの背後で同じように彼らを見ながら、頼久はそう口にした。
「だって、当然だよ…お互いに好きな者同士が一緒になるんだもの。嬉しくないはずないじゃない?」
「……そうなのですか?」
少し不思議そうな顔をして、頼久はあかねを見下ろす。そんな彼の表情の方があかねにとっては不思議だった。
「違うの?結婚って…そうじゃないの?お見合いだって相手のことを好きだって思えるから、OKするものじゃないの?」
当然のように言うあかねに、少し戸惑い気味の頼久は前髪をかき上げた。
「……家の後継ぎを…一族の繁栄を促すためだと、私は思っていました。」

平安の頃。京の世界。
あの世界では……それが当然だった。結婚は家を栄えさせるための、一つの行事に過ぎなかった。
惹かれ合うこと、想いを寄せることなど一切関係なく、それなりの家柄を持つ女性は更に上の上級貴族たちの所と血縁を結び、それによって生まれる血筋から家に富を、地位を得ようとした。
男は幾人の姫君と契りを交わし、子をなして後継ぎを増やし、家の未来を作る。
結婚とは……そんなものだと頼久は思っていた。あかねも、どことなく気付いてはいた。

「……寂しいよ、そんなの」
向こうの世界がどんな日常であったか、そんな生活が普通と言えるのか、少しくらいは知っていたはずだが、それでもそうつぶやかずにはいられなかった。
「結婚って…ずっと一生、その人と生きていくものだもの…。人生が長ければ長いほど、好きな人とでないと…私はやっていけない…と思う。……っていうか、そうじゃないと…イヤだな…」
風は緑の香りを乗せて吹いてくる。
二人の髪の毛を揺らして、そして心の一部までも揺らす。
「色々嫌なこともあるかもしれないけど、好きな人だったら許せることもあるでしょ。小さないざこざとか気にいらないこととか、やっぱりたくさんあるかもしれないけど……そばにいるのが好きな人だったとしたら、許してあげたいと、きっと思えるんじゃないかって。気持ちをもっとゆったり持っていられるんじゃないかな…って」

「あなたは………今でも、私の価値観を変えてしまうような言葉を口にするのですね」
伏し目がちの顔を上げて、頼久が独り言のようにつぶやいた。
「そのあなたの口にする言葉で、私が変わって行くことを……新しい何かを感じることに気付いておられますか?」
頼久の言葉を把握出来ず、あかねはぽかんとして彼の顔を見上げた。真っ直ぐに見つめる視線と表情が、野の花のように愛らしく感じる。
当然と思っていたことを、一言で簡単に裏返しにしてしまう。見たことのない世界の扉を開けてしまう。
答えが一つではないこと、多様にある選択肢や価値観。それに気付くのはいつでもあかねの言葉だ。
好きな相手が、愛する相手が…そばにいなかったら。その寂しさに耐えきれないと思ったからこそ、自分はここにいるのではないか。
あかねと離れることなど耐えられないと思ったからこそ、生まれ育った世界を捨てたのだ。
あかねがいるから………今、ここにいる。
風の香りの違う、この世界に生きている。

「……あなたは色々なことを私に教えて下さいました。そのたび、一つ世界が広がるような気がする。あなたに出会えて良かった」
頼久の広い手のひらが、あかねの両方の頬を包んだ。剣を持っていた頃のなごりで、少しだけごつごつした感じがするけれど、悪い感触じゃない。

『あなたを愛して、本当に良かった』

と、言おうとしたとき。
バサッと音を立てて何かが飛び込んできた。驚いてあかねの腕の中を見る。
「こ、これ……ウェディングブーケ!」
まさか…と思い振り返ってみると、向こう側にいる見ず知らずの花嫁があかねたちに向かって手を振っていた。
「……どうしよう、キャッチしちゃった〜っ!」
驚きと嬉しさで興奮気味になっているあかねを、今生まれたばかりの夫婦はそろって微笑んで眺める。
『次は、あなたたちの番ですよ』と、笑顔はそう言っているように見えた。
思いがけずに手に飛び込んできた、真っ白な花を集めたウェディングブーケ。
「美しい花ですね。こちらまで幸せになれそうな…気がします」
頼久がそう言った。
手にしたブーケに秘められた本当の意味は、まだ教えない。
いつか頼久自身が気付いたとき……どんな風に向かい合ってくれるだろう、とあれこれ考えるのも楽しい。
ただ、この花が本当に夢を現実にすることが出来るのなら、こっそり彼に気付かないように祈りを込める。
大好きな人と結ばれますように。
愛する、彼と共に生きていけますように、と。

片手にブーケを抱えて、もう一方の手を頼久の手に伸ばす。しっかりと握り返してくれる強くて大きな手。
「いつか……あなたにもこんな花を贈ります」
振り返った穏やかな頼久の笑顔を見つめる。

夢に、一歩近づいた。






-----THE END----



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