未来予想図

 001
さて、どうしたものか?
悩んでいたのは、当事者の頼久だけではない。あかねもずっと悩んでいた。

あの時、このまま離れたくないと思った。
お互いに違う世界で、交差することのない時空の輪の中で、二人それぞれに生きて行くのは耐えられないと思った。遠い世界で過ごした時間の中で、二人の間に生まれ、育ち始めたばかりの想いは、埋めてしまうには大きすぎた。
たとえ、これまでの生活が消えてしまうとしても。
彼のそばにいたかった。そして、彼女のそばにいたかった。

■■■


頼久は自分の意志で、あかねの住む現代へ行くことを選んだのだが、このカルチャーショックはあまりに衝撃的だった。
もちろんそれは、あかねも予想していたことではあったのだが。
何が問題か、というと、どうやって頼久はこの現代で生きていかなくてはならないか。生活するためには、住居が必要になる。
一体、どこに住めばいいというのか?まさか、あかねと共に住むなんてことは、どう考えたとしても無理である。高校生で、しかも家族と共に生活するところに、まさか頼久を連れてくるわけにも行かないだろう。
困った。
「しょうがねーな。取り敢えず、うちに来い。俺んちなら、どうにかなる。ランもいるけど、あいつも向こうでの事は分かってるしな。状況も把握できてるし、俺のダチとか言えば、どーにかごまかせるだろ」
天真がそう言ってくれたおかげで、何とかその場しのぎの住まいは確保出来たが、ずっと居座っているわけにも行かないだろう。
これからが問題なのだ。

■■■


空は青い。雲は全くなかった。
あの世界と同じ色で、空だけを見ていれば時空の違いなんて感じられなかった。
暖かい風のなびく、初夏の空気。街の外れにある廃墟ビルの屋上は、休日を過ごすのには格好の場所だ。
誰も来ない。コンクリートの上に寝転がって、目を閉じる。
彼らがやってくる時間を待ちながら。
「あかねちゃん!そんなところで寝てたら、風邪ひいちゃうよ」
目の前に人の影が差して、あかねは目を開ける。詩紋が上から顔を覗き込んでいた。
「あ…詩紋くん…。なんだか良いお天気だから、寝転がってたら眠くなっちゃって」
「ダメだよ。いくら暖かくても、こんなところでうたた寝しちゃ。天真先輩たちは、まだ来てないの?」
「うん、まだ。っていうか、私がちょっと早く来ちゃったんだけどね。何だか最近寝不足でさ-」
あかねは身体を起こして、身体に付いたほこりを払った。
「頼久さんのことで?」
「うん…」
詩紋は、大きなランチボックスを下に置いて、フェンスにもたれるように腰を下ろした。
「そうだよね。向こうとは全然違う世界だもんね、ここは。僕らだって向こうに行ったとき、やっぱり戸惑ったもん。僕らはあかねちゃんや天真先輩がいたからいいけれど、頼久さんは誰もいないんだもんね、同じ世界で生まれ育った人が。」
当然だと思って疑わなかった世界の他に、もう一つ別の時間が流れ続けていたことを知った瞬間に、人はそれらをすぐには受け入れられない。
いくら気丈な頼久であっても、この殺伐とした冷たい空気に馴染むには苦労するだろう。

それでも。
わがままだけれど。
一緒にいたいから。

それだけは、どうしても譲れない、お互いの最後の一線だった。

「それよりも、お腹すいちゃったよ。詩紋くん、今日のお昼はなに?」
詩紋のすぐそばに置いてあるランチボックスを、あかねが覗き込んで尋ねた。
「今日はね、ローストビーフのサンドイッチだよ。全部手作りなんだよ、すごいでしょ?」
「ねえー、みんなが来るまでに、味見させてくれない〜?」
「ダメだよ。天真先輩の分がなくなっちゃうもの」
「そんなに食べないよ、私っ☆」
明るい笑い声が響く中、階下に続く階段を上がってくる足音が聞こえた。複数の音。
ガチャン。金属のドアを開ける音がする。

「よっ。早いなおまえら」
天真が顔を出した。
「天真先輩、遅いよー!あかねちゃんに、もう少しでお昼食べられそうだったよ!?」
「なにー!?おまえ、そんなこと許されると思ってんのか!?」
「だから、そんなに食べるわけないでしょーっ!!!」
食ってかかる天真を、苦笑しながらあしらう。気持ちの通じ合った、親友同士のじゃれあいは楽しい。
でも、それよりも…もっと楽しくて、嬉しい気持ち。
「遅くなりまして、申し訳有りません。神子殿」
天真の後ろに立っていた、頼久の笑顔。その影響力は、何よりも強い。
「なかなか似合うだろ。俺の洋服、分けてやったんだぜ」
そういえば、どこかで見覚えのある服だな、と思った。以前天真が着ていた覚えがある。
「こいつ、あっちの世界のヤツにしちゃ、結構背がでかいしガタイもでかいけどよ。かえってそれが良かったみてぇだぜ。俺のサイズ、どうにか着れるから、服はまあ心配いらねえんじゃねーの」
「似合うかどうか分からないが…」
まだ現代の服装に、気持ちが馴染んでいないせいなのか、どこか頼久の動きはぎこちない。
「でも…結構似合ってるよ、頼久さん」
「み、神子殿…」
あかねから声をかけられて、思わず頼久は目を見開く。
「うん。こっちの人の中に紛れても平気だよ。あんまり気にしなくても大丈夫だよ。」
詩紋も続いた。

その頼久が、どんな格好をしているかというと、天真から借りたものであるから、カジュアルなものである。
Tシャツとジーパンと、上に軽くシャツを羽織っているくらいの簡単なものだが、さほど違和感なく着こなしているように見える。
「まあ、その髪型をだな、変えてみればもっと現代らしくなるんじゃん?」
「髪の毛を…切る?」
頼久は、束ねた自分の髪の毛に手を伸ばした。頭の上で結い上げた暗紺色の髪は、おろすと背中にまで伸びる。
「そーそー。今時、男でポニーテールはないと思うぜぇ?いっそさっぱり切っちまったらどうだ?」
さすがにこちらに来たとき、ポニーテールはおかしいと天真に散々釘を刺され、いつもは下ろしたままで無造作に一つに束ねているだけである。例えて言うなら、鷹通のような髪型だ。
「そうだね、頼久さん、いっそ切ってみたらいいかもしれない。」
詩紋までが口を揃える。
「そう言われても…私はずっとこの髪の長さで……今更髪を切るなどとは、なかなか心の決心が……」
頼久は、とまどいがちにあかねの方に目を移した。彼の瞳は、まるで飼い主の様子をうかがっているような犬みたいで、何となく新鮮な気がした。
はじめて出会った、あの遠い日の中で、誰よりも気丈で、己を抑制して忠誠を主に誓った、気質一本筋の頼久を思うと、今の彼はどこか人間的で微笑ましく思えた。
「でも、似合うんじゃないのかな、短くても」
あかねが頼久の視線を受け止めたあと、ふと声を漏らした。
「折角の男前なのに、もったいないよ?今まででも似合ってたけど、ここで暮らして行くんだったら、短い方がきっと似合うと思うなぁ、私」
横から天真が、頼久の肩をつつく。
「ほら、頼久、どーすんだ?おまえの神子殿のお言葉まで出たぜ?男なら、バッサリとやっちまったほうが良いんじゃねーの?」
「神子殿まで、そんなことをおっしゃるのですか?」
困ったような、すがる目で見る。
「大丈夫だよ、似合うよ、きっと。あたし、見てみたいなぁ、髪の毛の短い頼久さん」
思いっきり、あかねはにっこり笑って答えた。
本当は、少しだけ頼久をつついてみたかったのだ。
あまりに、無防備な彼が愛しかったから。
「分かりました…神子殿がおっしゃるのであれば、そのお言葉に従いましょう…」
かくして、頼久の断髪は決行することになったのだった。


■■■


「頼久が心配か?」
詩紋の知っている店だというヘアサロンの、真向かいにある喫茶店のオープンテラスに、あかねは天真と共に時間を費やしていた。
常連客の詩紋の付き添いで、1時間前に頼久はヘアサロンへ出かけていった。
ぞろぞろと何人もが店内に入っていても仕方がないので、あかねは天真とティータイムを兼ねて待機中だった。

「うーん、心配っていうか…ちょっと興味あるんだよねー。髪の毛の短い頼久さんって、どんな感じなのかなーと思って。」
「まあ、女みたいに髪型をあれこれなんて、男はあまり言わないからなー。ま、普通にバサッと短くなるだけなんじゃねーのか?」
「でも、ほら、ずっと長い髪の頼久さん見慣れてたから、どんな風になるのかなーなんて、ちょっと楽しみ」
「のんきだなー、おまえ」
大きめなアイスティーのグラスの中に入った、たっぷりの氷をストローでくるくるまわしながら、あかねは自分で空想をして楽しんだ。

「ところで、天真くんのうちで頼久さん、毎日何をやってるの?」
初夏の風が、テラスの間をすり抜けて行く。
垣根の緑が、シャランと揺れた。
「あー…あいつかぁ。まあ、なんつーか、別に何をやってるってわけじゃねーけど。本とかは読んでるみたいだぜ。俺の苦手な古文とかさ。まあ、俺には何だかさっぱりだけど、あいつにとっちゃ、日常用語なんだろうけどよ。」
「そっかぁ。そうだよねー、頼久さん、あの時代で生きてたんだもんね…。私たちと住んでた世界が違うんだもんね…」
本当にこの世界で、彼はこれから生きて行けるのだろうか。自分は彼のこれからの未来に、何か手助けになることが出来るだろうか?
自分があの世界に飛び込んだとき、彼が手を引いてくれたように、自分はこの世界で何が出来るだろう?
あかねの頭に浮かんでは消える言葉は、不安と期待が交互にすれ違う。
「なんだよ、冴えねえ顔してるな」
天真の声とほぼ同時に、ストローの滴があかねの鼻の先に冷たさを感じさせた。犯人は、もちろん目の前にいる声の主である。
「そんなに心配したって、しょうがねえだろ。あいつがこの世界にやってきた理由は、おまえの存在だけなんだろ。だったらおまえがそんな顔してたら、前に進むモノも進まねぇぜ?」
滴に濡れた鼻の先を、あかねは指先でこすった。

「俺らだって何とかさあ、あっちの世界で生活出来たんだ。あいつだってここで生きて行けねえこたあ、ないだろ。いざとなりゃ俺たちだっているわけだし。ともかくおまえがいるんだから平気だろ。あいつはそんな柔な男じゃねえからな」
「天真くんがそう言うんだったら…そうか、な」
「かな、じゃねーの!そうなの!」
「うん…そうだよね」
あの世界で、頼久と互いを信じ合った天真の強い言葉が、今のあかねにはとても嬉しかった。
少し氷の溶けたアイスティーのストローに、口を近づけると冷たい紅茶の味が舌に触れた。

■■■


「どう?どう?頼久さん、すっきりしちゃったでしょう!」
小さな詩紋は、丁度頼久の胸くらいの身長なので、彼の前にいても背後の頼久の姿は丸見えだ。
そこにいる頼久の髪は、肩にさえ届いていない。
「へえ、結構見られるじゃん?全然あっちの世界のヤツには見えねえぜ、頼久」
「……なんだか、首のあたりが寒くて仕方がないんだが………」
あらわになった首と、いきなり軽くなってしまった襟足を、頼久はずっと気にしている。
「見かけは全然オッケーだよ。な、あかねもそう思うだろ?」
あかねが頼久の方に目をやると、さっと顔を違う方向に反らせる。少し照れくさいのか、目を合わせることが出来ないらしい。
「頼久さん、照れなくったっていいのに。おかしくなんてないよ?」
あかねの声に、頼久は躊躇しながらも顔を少しだけこちらに向けた。

「大丈夫だよ、全然カッコイイって」
そう言って彼女が笑顔を浮かべると、頼久の顔は少しまた赤くなる。
「これならあかねと一緒に歩いても、全然違和感ないから安心しろ、頼久」
天真が豪快に笑って、頼久の肩を叩いた。
頼久は相変わらず照れながらも、あかねと目を合わせると、少し苦笑してみた。





-----THE END-----




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