愛の言霊

 001
「何をやってるんですかーっ!」
あかねがはじめて泰明の家にやってきたとたんに、思わず発した驚きの声である。
「見れば分かるだろう。穢れを払うための呪(まじな)いをしているところだ」
「だからってこの状態は………☆」
ぐるりと壁一面を見渡してみる。筆で書かれた呪符が貼り巡らされて、更に精神を清めるために、と立ちくらみがするほど強い香を焚き込めている。
「大丈夫ですよ〜、いくら古い家だからって、そんなこの現代に鬼とか妖怪なんて出るはずないです」
延々と呪文を唱え続けている泰明は、ちらりと横目で何度かあかねの顔を見たのだが、それ以外は何も変化なしだ。
顔を半分覆う呪がはがれたあと、あかねとともにこの現代にやってきた泰明が生活するためにやっと見つけたのがこの屋敷だった。

中心街から離れ、人通りもさほど多くない山に近い場所。裏には森が広がっている。
普通の現代人だったら、こんな交通の便の悪いところなど選ぶはずがないのだが…まあ何も知らない泰明にとっては、これくらいのところが一番良いかも知れない。
昭和の後期に住人が転居してしまってから、買い手の付かないまま放置されていた空き家である。それなりに広く、泰明が一人で済むにしては広すぎるのだが、古めかしい和風建築は彼にとっては心地よく感じるだろう。
……それに、こう人里離れた土地だと賃貸価格も超格安なのだ…現実的な話だが。

「ちゃんとご飯、食べてますか?」
「……あの者に雑用はさせている。特別何も問題はない」
泰明が視線で促す向こう側に、今まで気付かなかった気の薄い女性がいることに気付いた。真っ直ぐの黒髪を胸の上ぐらいまで伸ばし、透き通るように白い肌に橙に近い紅を差している。
直感で……普通の人間ではない、とあかねは気付いた。
「……式神さんですか?あの人」
あかねが彼女を見ると、わずかに神秘的な笑みを浮かべてこちらに頭を下げた。
「お師匠が、私がこちらに来る時に付き添わせてくれたのだ。私一人では見知らぬ土地で生活に困るだろう…との事だと言う」
そう泰明は言った。

泰明の師匠……安倍晴明。
彼の持つ計り知れない陰陽道の力があれば、あちらとこちらの時空を飛び越えて術を送るくらい、容易いことなのかも知れない。いわゆる保護者的な存在の彼が、泰明を気遣うことは当然だろう。
しかし泰明は、というとさほどいい顔をしていない。
「お師匠も余計な心配がすぎる」
少しだけ不満そうに、そう言った。
「どうしてですか?せっかくお師匠様が泰明さんのためを思って送ってくれたんじゃないですか〜」
あかねは問いかける。
「私は一人ではない。おまえがいるというのに……心配など必要ないのだがな」
そう言って、泰明はかすかに笑顔を作って見せた。自然に、ふと浮かんだ笑顔だった。
「おまえがいてくれるなら、私は平気だ。これからもこうやって生きていける。」

こんな何も迷いのない泰明の真っ直ぐな視線を受け止めると、あかねは少しだけ幸せな気分になれる。
出会った時はただ、彼の足手まといでしかなかった自分の存在が、今はほんの少しでも支えになっているのだと実感出来るからだ。
わずかと言えど、泰明との歩幅が縮まったような、そう思うと嬉しくなる。

「………腹が減った。何か頼む」
突然、泰明がそんなことを言い出したので、あかねは思い切り肩すかしをくらったように気が抜けた。
「……色気全然ないんだから。そういう雑用こそ、式神さんにやってもらえば良いのに〜」
あかねは立ち上がって、笑いながら台所へと向かおうとしたが、泰明はあかねの手を取り、しっかりと握りしめた。
「式神はおまえの代わりにいるだけだ。おまえがいる時間の中では、おまえにしてもらいたいことが山のようにある。」
「なんだか、それってお手伝いさんに頼むような言い方ですねえ」
ちらりと少し不機嫌そうな視線を、泰明に向かってあかねは投げかける。
本当は、その言葉にどんな想いが隠されているのか分かっている。
「雑用は式神のためにある。おまえに頼みたいことは彼らには出来ない。」
「…そういうときは、ちゃんと言葉で言わないと分からないですよ。どうして欲しいんですか?」
子供を躾る母のような気持ちで、穏やかさを残しつつあかねが尋ねると、少し考えて答えを探した。
「…おまえの作った料理が食いたい」
しらっと泰明はそう答えた。普通の男ならそんな言葉は、恥ずかしくて躊躇しがちなのだろうが、良い意味でも悪い意味でも、思ったことをそのまま形にする泰明との会話は、時にははっきり明確で心地よく、そしてこういう場合はほのかに胸の奥を熱くさせてくる。


「言霊って結構…効きますよね」
必要以上の道具しか揃っていない台所に立って、ひとりごとのようにつぶやくあかねの言葉を、泰明はダイニングチェアに腰を下ろして聞いていた。
「言葉の持つ意味って強いですよね。贈り物とかもらうよりも、言葉一言を言ってもらえるだけで、すごく嬉しい気持ちになったりしますもんね」
コンロにかかった鍋からは、白い湯気が湧き上がっている。窓ガラスに蒸気が結晶となって張り付いていた。
「おまえが嬉しくなる言葉は、何なんだ?」
コトリと湯飲みをテーブルに置いて、泰明が尋ねた。
「そういうのは自分で考えないと半減なんですよ?相手が驚くほど効き目あるんですからね、言葉って。」
女の子の欲しい言葉、女の子が言われて嬉しい言葉は、大概いくつか決まっているものではあるが、泰明に果たしてそれを気づくことが出来るかどうかは分からない。
「おまえの喜ぶ顔が見たい。だから知りたいのだ」
泰明は、そう言った。
あかねは溜息をついて苦笑する。
………もう言ってるじゃない、泰明さんてば。
あかねの喜ぶ顔を見たいと、その一言だけで十分こっちは嬉しくて仕方がないのに。
無意識のうちに、いつもそんなことを口にして、あかねの心だけを暖かくさせて。
どんどん好きにさせられていく。

「じゃあ、反対に泰明さんの喜ぶ言葉って何ですか?」
あかねに尋ねられた泰明は、しばらくその質問の意味を黙って考えた。
自分が喜ぶ言葉。あかねが言ってくれたら嬉しい言葉………………さんざん考えた。首をひねって、目を閉じて真剣に考えてみたが思いつかない。
「……まあ、良いですよ。泰明さんはいつも、思ったことはっきり言ってくれるからこっちも動きやすいし。」
本来、言葉の種類や言葉の持つ威力というものを、まだ泰明自身完全に理解しているとは言い難い。
こうしてほしいとき、どう言えばいいか。どう言えば相手の気持ちを変えることが出来るか…そんな細やかなことをまだ分からない。
だから時折相手を不機嫌にさせてしまうことも多かった。
だが、あかねの表情を見ていると…何となくその微妙な言葉の意味が分かってきたような気もしてきた。そして、その変化をあかねが一番良く知っていた。
「だから、して欲しいこととかは、はっきり言ってもらって全然平気ですから、私」
そう言われても、あかねの悲しい顔だけは見たくはない。こちらが悲しい気持ちになる。
それだけは肝に銘じておかなければならない。泰明は何度も自分にそう繰り返す。

「あかね」
「何ですか?何かして欲しいこと、また思いつきましたか?」
振り返って泰明を見る。澄み切った瞳を輝かせて。泰明が初めて、美しいと感じた瞳の色で。
「……火を止めて、しばらく私のそばに座っていろ」
しらっと相変わらずの無感情な顔でつぶやく。
『はいはい』と笑いながら、あかねは泰明に寄り添うように腰を下ろした。

外を流れてゆく風は日々を追う毎に温度を変わりゆく。触れた手も少しだけ冷たい。
「ねえ泰明さん、言葉なんか思いつかなくってもね、言葉以上に通じるものってあるから平気ですよ」
あかねの顔を振り返って泰明が、少し首を傾げる。
彼がそれに気づかなくても、その想いは二人の中に強く芽生えているものだから何も問題はない。

相手を想う恋心は言霊の威力よりも、熱く、そして強いものだから。
握りしめる互いの手の暖かさが、それを一番よく知っている。





-----THE END-----





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